ちょっと枚方散歩
2015/9/2

用事があって枚方に出かけたついでに、ちょっと街歩き。真っ昼間だけど暑さもそれほどではない。年に3回ぐらい定期健診を兼ねて掃除に行っている歯科の予約時間には少し間がある。枚方市駅から隣の枚方公園駅まで、昔の街道筋を辿ってみることにした。

淀川資料館の外観 広重の描いた淀川 淀川の魚

9月に入ったとはいえ、正午あたりに街歩きというのは我ながら酔狂なこと。淀川のほとりの淀川資料館はいちおう開館しているが、何と無人。インターフォンで来意を告げると、国土交通省淀川河川事務所から遠隔操作で解錠されるというシステムだ。もちろん、他に来館者はいない。隣は淀川河川公園なので、シーズンには地元の小学校の遠足で賑わうのかも。
 入口を入ると広重の「京都名所之内 淀川」の拡大パネルがある。これは三十石船にくらわんか舟が漕ぎ寄せるおなじみの図だ。

淀川洪水の被害地図 巨椋池が描かれている地図 オランダ人技師デ・レーケの写真

地図好きの私としては、淀川の洪水の記録をまとめた古地図など興味深いものばかり。淀川流域では過去に何度も大洪水が起きていることが知れる。今でこそ干拓され農地となっている巨椋池も、当たりまえだがちゃんと描かれている。それどころか、「池」ではなく「湖」となっている。木津川、宇治川、桂川の三川が合流し淀川となるところにあった巨大な池は、豪雨の際に遊水地の機能を果たしていた。さすがに住宅こそ少ないが、今ではそこに多くの施設などが建っている。

淀川の治水に功績のあったオランダ人技師デ・レーケに関する展示も多い。洪水に限らず、日常的に上流からの土砂の堆積で水深が浅くなりがちな淀川に、大型船の航行を可能とする淀川修築工事を指揮したとの説明がある。私にとっては、滋賀県の堂山など湖南アルプスと呼ばれている地域や、木津川支流の不動川沿いに、この人の足跡を見ているだけに、なんだか親しみを感じてしまう。

鍵屋資料館の外観 鍵屋資料館の入口 昔の電話機

さて、昔の街道筋に戻る。古い建物は少ないが、小洒落た店もちらほらとあり、街歩きの人を呼び込もうということだろう。これらの中核が鍵屋資料館になる。江戸時代には三十石船の船待宿で、その後は平成9年まで料理旅館として存続していたとのこと。

古い電話機があったり、大名に供した食事の復元模型だとか、くらわんか舟の復刻もある。地元の農民が三十石船の客に物売りを行うさまを映像化したビデオもあったが、これはどんなものだろうか。他所の人が聞いたら言葉の乱暴さにびっくりしてしまいそう。

掛け合い漫才のノリで製作されているようだが、「飯食らわんか」ぐらいならともかく、「おんどれ」、「何ぬかしてけつかる」みたいになってくると、ちょっと具合が悪いんじゃないかな。役者が正しい河内弁のイントネーションで喋っているのは、河内育ちの私なのでよくわかるが、吉本芸人に輪をかけたようなどぎつさはちょっと考えものかも(吉本芸人は総じて関西のイントネーションではあるが、正調の大阪弁や河内弁を操る人は少ない)。

大名に供した御膳 二階座敷の外は淀川 天井がユニークな大広間

ひととおり見学を終えて出ようかと思ったら、「二階もどうぞご覧ください」と声をかけられる。ここでも見学者は私一人だ。いちおう有料で200円。二階に上がるとそこは大広間、63畳敷らしいから、7X9で並べるだけなのか、それとも特別な並べ方があるのか。ここは変わった天井で、縁がカーブしている格天井、それにシャンデリアが下がるという意匠に気を取られて足元はよく見なかった。

大広間の外は道路を挟んですぐ淀川、対岸は高槻。ここが京と大坂を結ぶ水上交通の要衝だったことがよくわかる。かつては三十石船、戦時中は火薬庫など軍需産業の拠点、今は枚方パークのイメージが強いので、時代とともに枚方も変遷している。歩いてみるといろいろなことが判る。この日は二つの博物館を独り占め、枚方宿のウォーキングはかくして終了。

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