️ルーツを辿る 〜 布施から平野へ
2016/1/11

今年初のハイキングは平坦地の街歩き、近鉄の布施駅からスタートだ。前日が十日戎だったので、今日は残り福ということになる。そして成人の日、駅前にはこれから成人式に出かけるのだろう派手な着物の若者の姿、なにせここは河内、やんちゃも多いところ。

布施駅近くで母方の伯母が長らく店をやっていた。今は特別養護老人ホームに入居していて後進に道を譲っている。電車で通過することはあっても、布施にはずいぶん長いこと降りていない。駅前の商店街は布施戎の参道でもあり賑わっている。

この通りには「廻る元禄寿司」という店があり、ここは回転寿司の元祖として有名なところ。だけど私は一度も入ったことがない。寿司好きの伯母に数え切れないほどご馳走になったけど、それはご近所の小さな店で大将が握ってくれる子供には贅沢すぎるものだった。大阪の商売人は子供に大人と同じように美味しいものを食べさせる。一昔前はミナミの割烹で子供連れというのも特異な光景ではなかった。大人になってからでは味覚が育たないという暗黙知の世界が息づいていた。

布施駅前の成人式の若者 布施駅前の商店街 元祖回転寿司 布施戎のえべっさん像 近鉄からの参加賞

このあたりは東大阪市足代、だんじり小屋の角を南に折れてフラワーロードほんまちのアーケードとなる。この通の三光堂レコード店、私が初めてクラシックのLPを買った店だ。大阪の学校に通うようになってからは、ワルツ堂堂島店に入り浸るようになったけど。

伯母の店や塩爺の愛称で呼ばれた政治家の自宅もすぐ近く。そう言えば、お見合いの話もあったなあと、タイムスリップしてしまう間もなく布施戎に到着。アーケードからちょっと路地を入ったところだ。伯母の店からせいぜい200mなのに、駅とは反対側だから来たこともなかった。こんなところだったのか。前日は大変な人出だったろうが、残り福ともなると混雑というほどでもない。今回は近鉄の駅長おすすめハイキングなので、参加賞としてえべっさんの鈴をもらう。参加費を取ることが多いJRのハイキングとは大違いだ。

住宅密集地に大きな更地 巽緑地 杭全神社 くまたん

このあたり、大阪市生野区と東大阪市の境が入り組んでいる。住宅密集地帯なのに、突然ひろい更地があったりする。再開発なのか何なのか、残った家屋と言っていいのか迷うような建物もあり、いろいろと複雑な事情がありそうだ。

どんどん南へ進むと巽東緑地に至る。巽配水場の配水池の上に造られた公園ということだ。看板を見ると大阪市建設局東部方面真田山公園事務所と下のほうに書かれている。真田山公園とはねえ、あれは高校のすぐ近くにあった公園だ。大阪城からの抜け穴があるとか言われているが、入ったことはないので真偽のほどは定かでない。まあ、懐かしい地名が出てくること。今年のNHK大河ドラマで取り上げられているから、そのうち番組のエンディングで紹介されるだろう。

生野区は全国一の外国人比率の地域、5人に1人、そのほとんどが半島の人たちだ。大阪市自体がそうなので、クラスには必ずあちらの一文字姓の人がいた。日本姓の人でルーツは彼の地という人も加えれば、かなりの人数だったはず。 もともと千数百年前には帰化人が住んだ所だ。

次のスポット、杭全神社に到着。生野区から平野区に入る。すると、何やら怪しい着ぐるみがお詣りしている。「くまたん」というらしい。ここのマスコットらしい。くまモンがメジャーになってしまったので影が薄いような感じもするが、いまや神社もゆるキャラの時代のようだ。
 この神社を創設した坂上田村麿呂の一族も百済がルーツらしい。もうそれくらい昔になると日本人とは何かなんて訳が判らなくなってしまう。そう、関西本線にも以前はこのあたりに百済駅があった。

大念仏寺 大念仏寺本堂 南海平野線の平野駅跡 南海平野線跡の踏切跡

さて、次は平野の大念仏寺、今回のコースで気になる場所だった。というのも、父方の祖父母が戦前に一時住んでいたあたりだから。祖父は私の生まれる前に亡くなっていたし、長生きした祖母に連れてこられたこともなかった。奈良の田舎を捨てて大阪に出たものの、戦争に夫の死、それ以外にも何らかの蹉跌があって生地に戻ったのだろうか。

親戚には天理教の人が多いのに、うちの宗派は違った。祖母から「だいねんぶつ」と聞いていたが、それが融通念仏宗と知ったのはずいぶん後のことだ。その総本山がここ、大阪府下最大の木造建築だという。祖父母の平野時代に宗旨替えをしたのだろうか。確かなことは判らないし、どんな宗教とも距離を置きたい自分だし、ことさら詮索するつもりもない。

昭和の風情の平野商店街を抜けたところに妙な遊歩道があった。路面にレールと枕木のデザインが施されている。ここは南海平野線が走っていた跡とのこと。昭和55年まで営業していて、地下鉄谷町線の開通とともに廃止になったようだ。残念ながらこのチンチン電車に乗車したことはない。
 このあたり、東京の下町とどこか似通った風情だ。ここに祖父母が住んでいたのか。奈良に戻り、その後、父は大阪の八尾に引っ越し、息子の私は奈良に居を構えている。それで、いま八尾で働いているのだから、なんだか行ったり来たりの家系だなあ。

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