畝傍山から貝吹山へ 〜 市町村境は難儀だなあ
2016/5/7・8

GW最後の休み、近鉄のハイキングに参加する。前にレンタサイクルで大和三山を巡ったことがあるが、今回は今井町を通り畝傍山に登るという一山のみのコース、物足りないのは見えているが、出かける気になったのはコースには含まれていない益田岩船を観に行こうと思ったから。

近鉄八木駅がスタートで、少し離れた今井の古い街並みを抜けて行く。前に六斎市に来たことがあるので二度目の訪問となる。あれは5月半ばのイベントなので今年も間もなく開催のよう、街角に幟が目につく。環濠集落を通り抜けてさらに南に向かう。高田バイパスを潜ると目の前に畝傍山が大きく広がる。畑の真ん中にポコリと出た瘤のような山なので、どこからでも判る。耳成山もそんな感じだが、畝傍山のほうが少し高い。

コースは登山口になる畝火山口神社に直行するのではなく、ちょっと南の懿徳(いとく)天皇陵を経由していく。4代目の天皇ということだから実在は疑わしい神話の世界だ。いちおう宮内庁の管轄になっているようで、天皇陵はどことも同じ新幹線のホームみたいな画一的な佇まいだ。各々の天皇の事績や時代背景など、説明板ぐらい設けておけばいいのにと思うのだが、そんなサービス精神はなさそう。

畝火山口神社の手前に「雪の元」と大きな文字が書かれた建物がある。あれは何だろう。怪しげな団体の本部かなと思ったら、付近の民家の板塀に打ち付けられた琺瑯引きの看板で正体が知れた。なんだ、薬屋さんか。でも宇陀生まれの私も知らない薬だ。まあ、このあたりは薬草の産地でもある訳なので、不思議ではない。

神社にお詣りをすませて鳥居脇の登山道に足を踏み入れる。ハイキング参加者はそれなりの人数だが、随時出発だし歩き出して1時間あまり、適度に人数は分散していて混雑はない、20分ほどで山頂に到着。

もっと狭い印象があった山頂部、意外に広い。混雑もないのでここでお弁当。樹木に隠れて眺望は開けてはいないが、山頂の少し下に辛うじて耳成山と香具山の三山の残りが視界に入るポイントがある。山頂で憩う人たちのほとんどはここまで来ないようだ。

渡されたマップによれば、ここからのコースは登山道を戻り途中から橿原神宮方面への分岐をとって、神武天皇陵に回ることになっているが、私はここで離脱だ。山頂から直接橿原神宮に向かう道を進む。どのあたりに降りるのかと思ったら、そこは神宮の奥、若桜友苑というところだった。ここは戦没者の慰霊の場所らしい。駅から向かえば橿原神宮の裏手になるので、関係者以外は訪れる人も稀だろう。予科練と関係が深いようだ。苑内には旧陸海軍の航空機の写真が一覧掲示されている。眺めていて初めて知った。零戦のゼロとは皇紀2600年のゼロということ。それを基準に九十九式とか一式とか呼ぶらしい。子どもの頃に作ったプラモデルでお馴染みの機種もいくつか並んでいる。

橿原神宮からは、久米寺参拝専用の踏切を渡り住宅地をしばらく進む。白橿町のニュータウンのはずれに益田岩船への登り口がある。いちおう案内板は出ているがここに来る人は多くなさそう。私以外に物好きな人間の姿はない。竹林の中を思ったよりも登る。すると竹の合間に巨大な岩が忽然と現れる。ほとんど小さなピークのてっぺんだ。

うーん、これは、でかい。明日香村にある鬼の雪隠や、二上山近くの久米の岩橋よりもずいぶんと大きなものだ。このあたりの謎の巨石の中でも最大級のものだろう。松本清張氏が唱えるペルシャ由来の火神崇拝に関わるものかどうか知る由もないが、遙か昔、こんな大きなものをどこから運んで来たのだろう。

この後は、橿原市内最高峰とかの貝吹山に登るつもりでいた。南側の高取町からは山頂の城趾への登山道が通じているらしいが、ぐるっと車道を迂回するのも面倒、益田岩船からは尾根伝い、ダメモトで藪漕ぎに挑戦する。

ところが、これがとんでもない消耗戦となる。伐採された竹が斜めのバリケードとなって行く手を阻む。それがなければ大した距離でもないのだが、さすがに170m等高線のピークを越えた貝吹山手前の鞍部で断念。あと30分ほど藪と格闘すれば何とかなりそうだったが、まあいいやと諦める。いい加減くたびれたこともあり、南に下る道があるのを幸い、ここから下山。

さて、翌日。なんだか忘れものをしたような気になり、南から貝吹山に登ってみよう、付近の古墳群も観てみたいしと、再び出かける。前日は電車、今度は車だ。

飛鳥駅の先を西に折れ、なだらかな峠を越えて高取町に入る。昨日歩いた道だ。ところが貝吹山への登山口がなかなか見つからない。車道沿いではなく、10mほど北に入ったところの標識をやっと見つける。与楽乾城古墳のところが入口だった。古墳は補修中なのか立入禁止。前日の藪漕ぎが嘘のような、何の抵抗もない山道で20分もかからず山頂に。大違いとはこのこと。やはり、このルート以外にはまともな道はなさそうだ。

下りはそれこそ10分。まあこんなものか。先ほどの峠まで車で戻る。ここから古墳巡りの始まり。これらは日本遺産ということになっており、さらに世界遺産登録を目論んでいるらしい。名称は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」ということのよう。実現すれば奈良県では4箇所目ということか。それもあってか、牽牛子塚古墳、真弓鑵子塚(かんすづか)古墳とも補修中のようで、シートが覆っていたり、入口は閉鎖されていたりといまひとつの状態だ。扉の隙間から、バリケードの内側から覗き込む。面白いのは真弓鑵子塚古墳はトンネル状に開口部がふたつあること。これは珍しい。

二日にわたって狭いエリアを徘徊して思ったことがある。ここに掲載した地図の範囲は南北1.5km東西2kmほどで、そこに国土地理院の地図には記載のない地名やルートなどを臙脂色で追記したものだ。これを見ると、明日香村が近鉄吉野線や国道169号の西側に突き出して、橿原市と高取町に隣接する3市町村のボーダーエリアであることが知れる。

牽牛子塚古墳、真弓鑵子塚古墳は明日香村、益田岩船は橿原市、与楽乾城古墳は高取町で貝吹山城趾にも高取町側からルートがある。これは惜しい。3市町村が連携してスポットを繋いで整備すれば良いハイキングコースになることは間違いないのに、越すに越せない行政の壁ということなんだろうか。予算の問題もあるのだろう。ただ、それもやりようによっては解決できる。

「世界遺産候補地を繋ぐハイキングルート造ろう!」なんてキャッチコピーで、ボランティアを集めるなんてどうだろう。体力と経験のありそうな大学ワンダーフォーゲル部に声をかけ、10パーティほどが歩けば切り開きが出来る。「○大ワンゲル道」なんてネーミングライツを進呈すればOBまで駆けつけるのでは。そのあとで、まだまだ元気で暇な山好きの爺さん婆さんを300人ほど動員すれば、あっという間に立派な踏み跡が出来るに違いない。

まあ、これは行政が嫌う安全面での責任問題がつきまとうので、乱暴なアイディアとは承知しているが、他の方法もあるだろう。せっかくの歴史スポットが隣接しながら分断されているのはもったいないことだと思う。それぞれの首長に手紙でも書いてみるか。

(2016/5/15追記)

橿原市、高取町、明日香村の首長宛に、それぞれの公式ホームページから意見具申したのが週明けのこと、すると、橿原市の企画政策課からすぐに返事があった。あまりにも速い反応にいささか吃驚で、聞く耳を持つ行政と担当者の熱意、どんな組織でもそうだが、ほんとに人次第なんだなあ。
 貝吹山周辺はハイキングやトレイルに適したエリアということは認識されているようで、飛鳥広域行政事務組合(橿原市・高取町・明日香村で構成される一部事務組合)で現地調査をする由。この調査をもとに来年度以降、各遺跡をつなぐ周遊ルートとしてフットパスマップを制作していく予定とか。フットパスとは、車通りが少なく昔ながらの原風景を楽しむことのできる道ということらしい。このホームページ記事もご覧いただいたようで、参考にしたいとのことだった。 言ってみるものである。

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