台風の狭間の北アルプス縦走 〜 薬師岳から立山へ
2016/8/24-27

夏休みの日程を決めたのはいいが、山登りとなると天候次第、生来の雨男、太平洋には台風が発生だ。一つは山登りの前に通過、南海上に停滞したもう一つは山を下りた頃に北上するのではという自分の予想だったが、正にそのとおりとなった。おかげで、最終日に少し雨に降られたものの、予定どおりの行程を歩くことができた。山中3泊4日、北アルプスの中では比較的歩く人の少ない立山連峰の縦走を満喫できた。


【第1日】太郎平小屋まで

前夜に泊まった富山駅前のホテル、同じような登山者が6:30発の折立行き直通バスに乗り込む。エレベーターで顔を合わせたオジサンは、「昨日登るつもりだったんですが、台風の影響で雨量が多くて道路状況の確認ができるまで有峰林道が通行できないのでバスは運休になったんですよ。それで一日遅らせたんですわ」とのこと。
 とすると、私はタイミングが良かったということに。夜に富山入りする際、京都から乗った特急サンダーバードは、先行の普通列車が福井・石川県境で猪をはねたとかで遅れ出端をくじかれたのたが、一日早ければもっと具合が悪いところだった。

これまで山帰りに二度泊まったことがある亀谷温泉のところからバスは林道に入る。これが昨日は不通となっていた道、あちこちで道路補修が行われていて片側交互通行となっている。直行バスはほぼ満席、2時間の乗車で登山口の折立に到着、身支度を調えて登りにかかる。急ぐ行程でもないので、ゆっくりと歩き出す。

この太郎平への道は、高校生のころ初めての北アルプス登山で辿った道だ。そのときは雲ノ平を経て槍ヶ岳方面に足を伸ばす予定だったが、途中で体調不良となり野口五郎岳を経て七倉に下山した。その後、2度目には黒部五郎岳方面に縦走した。なので今回が3度目となる。大した急登はなく、緩やかな登りを4ピッチ、小屋に着く直前に雨が落ちてきて、やはり雨男の本領発揮かと雨具を出すが、太郎平小屋に着く頃には止んだ。

午後の時間はたっぷりある。すぐ近くの太郎山への散歩に出る頃には大きな根張りの薬師岳の全容が目の前だ。北アルプス広しといえど、ボリューム感ではこの山は最右翼だろう。明日はあの山を越えて行く。

太郎山の頂上は賑やかだ。小屋泊まりの人たちの散歩、ご多分に漏れず平均年齢は高い。東の方角の眺望も開けてきて、山座同定に喧しい。「あののっぺりしているところが雲ノ平、左側の白っぽくて高いのが水晶岳」といった具合だ。
 「日本百名山を目指してもだいたい後回しになるのがあれ、冥土の土産に登ってみたいなあ」なんて、冗談にならないような年格好の人もいる 。雲ノ平の奥、山頂部が雲に隠れた三俣蓮華岳の稜線が左に低くなったその向こうに、ちょっとだけギザギザが見えるのは槍ヶ岳北鎌尾根か。

現在の太郎平小屋は既に60年を経過し、そろそろ建替の時期になっていると思う。初めて来たとき、と言ってもそのときはテント泊だが、まだ新しかった小屋が、屋根は曲がっているし、床も傾いていたりする。過酷な自然環境での木造建築としては限界かも知れない。とか、そんなことを思いながら、小屋の前のテーブルで1000円の生ビールをいただく。いまどき、北アルプスの山小屋ではこんな贅沢ができるんだ。それと、ここの小屋のお米がとても美味しい。富山産コシヒカリなんだろうか。


【第2日】スゴ乗越小屋まで

早寝早起き、3時過ぎに目覚めて煙草を吸いに小屋の外に出る。月明かりなのにオリオン座の星雲も確認できるほどだ。思いのほか速い軌跡で人工衛星も動いている。富山の街の灯りも見える。今日のお山は快晴。

行程中の好天が約束されたようなもので、早々に小屋を後にする。早い人たちは未明に出発している。きっと薬師岳山頂でご来光ということだろう。そんな趣味より安全第一、足許が見えるようになってからでいい。途中すれ違った往復の人によれば富士山も見えたようだが、私が山頂に着いた頃には雲に隠れていた。

登るにつれ、太郎平で北鎌尾根の一部が見えていた槍ヶ岳が姿を見せる。思ったよりも高いところに頂があった。小屋のほうを振り返ると雲の彼方に白山、富山湾と手前には埋蔵金伝説の鍬崎山、これだけ見えると山座同定も簡単だ。

雨男なのに珍しく快晴、この山域特有のどっしりとした山並みが堪能できる。太郎山から北ノ俣岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳へと峰が連なる。乗鞍岳もちょっと顔を出している。こういうふうだと朝一番の登りも苦にならない。

槍ヶ岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

さて、薬師岳、この山の南と北は対照的だ。太郎平から望む姿はたおやかなもので、実際に緩やかに高度を上げていく。ところが北薬師岳方面に向かうと様子が一変、北側は荒々しい山肌で色からして違う。薬師岳圏谷群が姿を現す。北薬師岳から振り返ってみる金作谷カールが見事だ。5月頃なら、スキーで滑り降りたらさぞ楽しいだろうなあ。もっとも、今はそんな体力はちょっとないけど。

このあたり、昭文社の地図のコースタイムがヘンだ。薬師岳から北薬師岳までは足許も悪くて1時間近くかかる。それが市販地図では40分、これはちょっとね。歩く人の少ない地域はこうなってしまうのかも。中高年登山者が増え、コースタイム表示も長くなる傾向だが、この山域はそれとは無縁なのだろう。

北薬師岳を過ぎると黒部川を挟み水晶岳から赤牛岳に続く稜線が近づいて来る。昼になってだいぶ雲が出てきたが、まだ大丈夫だ。見たところ悪そうに見えた稜線も特段の問題はない。散歩というには厳しいものの、眺めを楽しみながら歩いていける。目立ったピークでもないのに三角点がある間山が近づくと、二重稜線のような地形になり、窪地にはお花畑、ちょっと時期は過ぎているが、それでも目を楽しませてくれる。北アルプスの秋は近い、夏を高山で涼しく過ごしたアキアカネも繁殖の季節のようだ。

赤牛岳から水晶岳への稜線 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

前日と同様、小屋が近づくと雨が落ちてくる。午後には雲が出て雨や雷が来ることがあるのは夏山の常識だけど、判で押したようなのが可笑しい。でも、少し降っただけで、雨具を出すまでもなくスゴ乗越小屋に到着した。太郎平小屋に比べるとずいぶん小さな山小屋だ。こちらも床が平らじゃない。太郎平小屋と同じ経営なので、ご飯が美味しい。ねぐらはこちらも蚕棚だが、高さが十分じゃなくて何度頭をぶつけたことやら。古き佳き小屋という感じで、雰囲気はいいのだが、夜になるとトイレに人が出入りするたびに香りが漂ってくるのは困りもの。そのうちに鼻がバカになるので問題ないけど。

今の皇太子殿下は百名山の1/3ほどは登っているはずだが、意外にも北アルプスにはあまり足跡を残していない。薬師岳も未踏のはずだ。殿下が登るとなると地元も取り巻きもさぞ大変なことだろう。開聞岳では来訪に合わせて登山道の整備までしたようだ。まして山小屋泊まりとなると、どうするんだろう。ウォシュレット導入ぐらいしかねない。宮内庁職員はおろか地元警察やSPまで一緒に登るのだろうか。たまたま来合わせてすれ違った一般登山者は、大名行列よろしく土下座してやり過ごすのだろうか。それとも普通に気さくに「こんにちは」でいいのかな。それもあってか、殿下は日帰り登山がほとんどということか。最近はあまりお出かけでないようで、今上天皇の生前退位の意向が表明されたいま、ますます山から足が遠のくことになりそうだ。と、眠りにつく前、臭いの中でくだらないことを考えた。

 

【第3日】五色ヶ原山荘まで

薬師岳から立山への縦走、体力に任せて長距離をこなす人は別として、普通に歩くと3泊4日の日程、槍穂高周辺のように山小屋林立という地帯ではないので、泊まるところも決まってくる。そうすると。自ずと毎日顔を合わせる人たちがいる。今回で言えば、中日ツアーズの団体11名だ。ガイドが3人というから、非常に手厚い態勢だ。
 二年前に常念岳でクラブツーリズムの転落事故現場に遭遇したが、あの会社の姿勢とは雲泥の違いだ。11人を2パーティに分けて、前の組の先頭にガイド、後ろの組の前後にもガイド、これなら中高年参加者全員に目が届く。太郎平から室堂まで、先発する彼らを途中で追い越すというパターンが続いたが、彼らのペース配分や休憩の取り方は実に適切だ。さすが、「岳人」を発行していた会社だけのことはある。もっとも、その老舗雑誌は今はモンベルに譲渡されている。同じように、ドラゴンズもトヨタあたりに譲渡してくれないかなあとは、親会社中日新聞の球団経営方針に不満なファンの願いだ。

さて、この日の行程は越中沢岳を越えて五色ヶ原まで。スゴ乗越小屋が行程の中間なので、行くか戻るかは天気予報と体調次第。土曜日は雨になりそうだが、この日の午前中までは大丈夫、五色ヶ原に着いてしまえば、室堂は遠くない。黒部湖に下りるルートもある。いざ、出発。

スゴ乗越小屋は乗越にあるのではなく、少し薬師岳方向に登った稜線上にある。したがって、歩き出しはスゴ乗越への下りだ。約30分、ここで休むと次のスゴの頭までの登りが1ピッチでは苦しいので、少し登ってから休む。2ピッチで登り切るが、中日ツアーズ組は3ピッチで刻む。どちらが正解とは言えない、メンバー次第というところか。振り返れば、薬師岳東面のカールがずいぶん高いところに見える。

越中沢岳は薬師岳と立山の中間にあって、不遇な山と言えるかも。2592m、他の地域にあれば人気の山になったかも知れないのに、気の毒な感じだ。この山を境に薬師岳エリアと立山エリアが分かれる。縦走路の岩にルートを示すペンキの色が白から赤に変わる。スゴ乗越小屋と五色ヶ原山荘の担当で分かれているのだろうか。北側のルート表示の仕方のほうがずいぶん丁寧だ。

同じコースを辿るのは件の中日ツアーズのほか、広島の大学生の2パーティ、ワンダーフォーゲル部のようで、幕営での縦走だ。彼らも途中で追い抜く。明け方のテント撤収で夜露を含み荷物はさらに重くなっているはず。自分の昔を思い出す。広島だけに、彼らは山中でも25年振りの優勝に向けてカウントダウンのカープが気になるようす。

昼になるとだんだん雲が出てくるのは毎日のこと、黒部湖や後立山連峰の山は見えるものの、天気の崩れは近い。と言うのも、勝手に遭難対策本部を委嘱した面倒見のいい友人から気象通報メールが何度も届く。台風の影響ではなく温帯低気圧の通過が近いということだ。今回、スマホのRazikoがあるしラジオを持ってい行く必要もないと省略したところ、この稜線ではauはさっぱり、全くdocomoにかなわないのだ。天気図用紙も持参したのにとんだ誤算。ときどき繋がるメールでの情報連絡はとてもありがたい。

越中沢岳を過ぎれば、五色ヶ原までは下るだけ。このコースが中日ツアーズのレーティングで上級とされているのは、歩きにくいゴーロもあるし、行程が長く体力が必要なこともあるが、スゴ乗越まで来ると進むにしても戻るにしても2日を要し、エスケープルートもないことが要因だろう。とにかく、五色ヶ原に辿り着けば一安心だ。

中日ツアーズの団体が遅れて到着した途端に雨が降り出した。時折激しく屋根を打つ。雨にやられた広島の大学生はかなり消耗の体、テント場の申込みをする間、パーティーの女の子は精根尽きたという感じで木道に座り込んでいる。雨の中の設営、ごくろうさんなこと。学生時代、一週間以上雨が続いた夏合宿のことを思い出す。この程度、大したことはないよ。

さすがに3日間汗まみれになると臭ってきそうだ。五色ヶ原山荘には風呂があると聞いていたが、今年は水不足で飲み水がやっとということらしい。デオドラントのシートで体を拭いて着替えるぐらいだ。まあ、お互いさま。と言っても立山からの人たちは初日かも知れないので気になるかな。そこは良くしたもので、五色ヶ原山荘は個室だ。部屋に蛍光灯まである。立ち上がって頭を打つこともない。床も平らだし畳も新しい。これはすこぶる快適。もっとも、壁は薄くて夜中には隣の部屋の鼾が聞こえてくるが。

雨が小降りになってきたので、傘をさして五色ヶ原散策に出かける。黒部湖のほうに10分ほど下ったところにテント場がある。2つ立っているのは広島組のテントだろう。彼らも雨を凌ぐ居住空間が確保でき人心地ついたことだろう。中から話し声も聞こえる。歩く人の気配もないので、せっせと雷鳥が花の蕾を食んでいる。

最近はどこでもそうだが、お花畑や湿原の保護のために木道が張り巡らされている。五色ヶ原もその例に漏れず、立派な木道が続く。これは山小屋のスタッフでやれることではないから、環境省や富山県の事業になるのだろう。木道をよく見るとそんなプレートが打ち付けられている。公共事業なので地元の建設会社が応札しているのだろうと想像していると、3年前の興味深い記事を見つけた。なるほど、ネパールからの出稼ぎの人たちも関わっているのか。太郎平小屋にはネパール人のスタッフがいたし、五色ヶ原山荘にもいる。小屋でネパールカレーを供するというのも合点がいく。彼らにしてみれば標高3000mなんて平気だろうし、目立った産業もなく国内情勢が不安定な故国よりも、遙かに高収入が得られるということかも知れない。

ヒマラヤの登山ガイドなどで知られるネパールの少数民族シェルパの男たちが北アルプス・立山連峰の登山道や山小屋の修復工事で活躍している。富山県からネパールに進出した建設会社が窓口となり、延べ100人以上が出稼ぎや研修に来ている。受け入れている同県立山町の丸新志鷹建設は約20年前からネパールに進出。日本国内でも山岳地域での工事を手掛けているが、高地での作業に熟達した働き手が相次いで引退。約10年前からシェルパたちの出稼ぎが始まった…
(MSN産経ニュース 2013.8.20 10:31)

  

【第4日】立山室堂へ

山荘のテレビで見る天気予報よりも本部からの連絡のほうが詳細、うまく行けば夜間に前線が通過し明けて回復の可能性もあったが、そうは問屋が卸さない。小降りだけど雨は残った。でも雷はなさそうだ。雨具に身を包み歩き出す。ザラ峠まで下って、後は高度を上げて立山に至る。午前中には辿り着けそう。

昨日の五色ヶ原までの下りで通過した鳶山は、過去の山体崩壊で立山カルデラに大量の土砂を落としているが、五色ヶ原の北側の崩壊も相当なものだ。こちらは稜線の縁に登山道が付いているので、その様子が覗ける。はるか谷底では延々と砂防工事が続いており、立山砂防工事専用軌道が走っているはず。38段のスイッチバックというから、箱根登山鉄道なんて目じゃない。いつか見学会に参加して乗車したいものだ。

降ったり止んだり、でも大降りにならないのが助かる。獅子岳を過ぎ、鬼岳の東面を捲いて最後の登りで浄土山へ。富山大学の立山研究所のところでは、室堂や一ノ越方面から登ってきた登山者が休んでいる。この天気、台風も日本東岸を北上する気配だし、浮かない顔の人が多いのは当然だろう。薬師岳まで足を伸ばすつもりの人なら思案のしどころか。きっと五色ヶ原で悩むことになるだろう。日頃の行いはともかく、雨男のくせに今回は運がいい。この天気だから、今日も雷鳥に出くわす。今度は親子連れだ。

あとは室堂まで1ピッチ、鼻歌まじりの下山と思いきや、これが手強い。ゴロゴロの岩を伝ってどんどん下りていくのだが、雨で濡れているので神経を使う。気を抜く余裕もなく、逆にちょうどいいとも言える。学生時代、下山の最後の林道で転んで骨折した人を知っているだけに詰めが肝心、徒然草にある「高名の木登り」の謂は真実だ。事故は危険箇所ではかえって起きにくく、その後の何でもないところで起きるものだ。

残念ながら立山カルデラはガスの中、展望台への寄り道は取り止めてバスターミナルに向かう。乗車の前に待望の温泉、日本最高所みくりが池温泉で4日分の汗と汚れを落とす。こんな山屋が大勢押しかけるのだから一般観光客にしてみれば迷惑な話かも。そこは場所柄、従業員は厭な顔ひとつしないのが立派。湯上がり、靴以外は全て替えてスッキリだ。体重まで減ったような気になる。ソフトクリームがなんとも美味しい。下山報告をメールに入れて、バス、ケーブルカー、電車と乗り継いで富山に。終わってみれば、あっという間の4日間だったような…

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