明治、大正、オペラ受容の振幅甚だし
2016/9/25

最近出た二つの本を並行して読んだ。
 オペラに関する本は最近では図書館の棚にも沢山並んでいるが、この2冊は異色とも言える内容だ。ずっと昔、明治と大正の時代、日本でオペラがどのように受容されたかを伝える本だ。明治期にはインテリに、大正期に庶民に、まさに対照的とも言える構図で、それぞれ熱狂的に受け入れられたというのは、現代の我々にはなかなか想像がつかないものがある。
 その2冊は、竹中亨「明治のワーグナー・ブーム 近代日本の音楽移転」と、小針侑起「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇」。

会社で仲の良かった後輩で慶應大学ワグネルソサエティの出身者がいた。その団体が明治の初期に誕生し100年を越す歴史があるのを、ずっと知らなかった。確かに「ワーグナー」じゃなく「ワグネル」と表記するぐらいだから、ぼんやりと古いとは感じていたのだが。これも明治のワーグナー・ブームの一事象ということになる。
 しかし、ワーグナーのオペラが上演されてもいなかった明治の日本で何故ワーグナー・ブームが発生したか、ブーム自体を知らないし、知っていたとしても大きな謎に違いない。それをこの本は解題しようとする。大きな文脈の中では明治日本の列強に追いつく国を挙げてのあらゆる面での欧化主義の流れとして捉えている。ことクラシック音楽についても然り、筆者はこんな譬えをしている。

文明開化をめぐる経緯は、あえて言えばコーヒーやビールへの嗜好と似ている。最初に飲んだときには、とてもひどく苦くて、まったく美味には思えない。だが、大人たちはこれをおいしそうに味わっているではないか。それを見て、この苦みに慣れることが憧れの大人になる条件だと了見し、苦みを我慢して飲みつづける。

音楽に限らず、とにかく欧州列強に互すためにはあらゆる面でのキャッチアップが肝要であり、国策としての西洋文化の受容であった訳だ。しかし、何故ワーグナー、その疑問に対しての筆者の結論はこうである。

明治のワーグナー・ブームの火付け役となった姉崎嘲風はじめ、森鷗外、上田敏といった文人たちがワーグナーを知ったのは専ら活字を通してであり、ワーグナー自身の著作や他者による評論を読むことによって、その芸術観に共鳴すると共に作品への憧憬を募らせた。また、当時のヴィルヘルム二世治下の堕落したプロイセン社会の閉塞感を打破する、芸術至上の理念をワーグナーに見出したと洞察している。そのプロイセンはまさに日本が範としたものでもあったから、明治日本の社会の閉塞、文化の不毛への抗議に通底していたとする。

それが明治のワーグナー・ブームとして現れたということだが、実はこの本、タイトルとは裏腹に序章と結びの二つの章以外にはワーグナーに関わる記述はない。多くのページが割かれているのは、明治期における洋楽の文化移転の紆余曲折だ。何だか表題に偽りありの嫌いもあるが、そこは副題の「明治日本の音楽移転」のほうが正鵠を得ているということだろう。そちらの方面の記述がとても興味深い。中でも、幸田延と島崎赤太郎という二人の人物の留学とその後に関する部分は読み応えがある。草創期のこととは言え、彼らの大志と挫折の振幅の大きさには驚かされる。

一方の大正期浅草オペラはどうなんだろう。こちらもブームがあったことは知っていても、今の我々はその時代の空気を吸ったわけでもない。今もワグネリアンと称するファンが大勢いるワーグナー・ブームと違い、浅草オペラは一時の徒花に終わったものとするのが大方の見方だろう。

悪所の代名詞となっていた浅草、まともな芸術とはほど遠いものと知識人たちから蔑まれた浅草オペラ、反面、熱狂的なファンが学校や仕事をサボって押しかけ贔屓の歌手に声援を送るばかりか、ファン同士の乱闘まで起こし警察沙汰にもなる。まるで一部のサッカーファンを連想させるものがある。引用されている識者の浅草オペラへの侮蔑的な言がそれを象徴している。

「おそらく浅草の歌劇位ゐ馬鹿々々しいものはない。彼れは梅坊主や、岩てこを喜ぶ趣味から、恰度十里程手前にゐる輩が見るものだ」(久保田万太郎)
    (※原文にない註)
       豊年斎梅坊主:明治期のかっぽれの名人、海外公演も行う
       岩てこ:当時浅草で著名だった太神楽曲芸(寄席芸能)の演者

 「知識人、有閑人の集まる帝劇やローヤル館においてさえ不成功に終わった歌劇が、 浅草へ出るや俄然人気を博したのは、おかしい」(堀内敬三)

曲がりなりにも音楽教育を受けた歌手から、色気が売りのアイドル系の人まで、浅草オペラに登場する人物は多彩だ。あまりにも人間的、今と同じく、スター、タレントに付きもののゴシップ、スキャンダルも溢れている。乱立するオペラ団体の集合離散は目まぐるしく、浅草ばかりか、全国に足跡を残している人も数多い。私の住まいの近く、生駒歌劇団というのもあって、浅草オペラのビッグネームである伊庭孝、佐々紅華、内山惣十郎といった人たちが関わっていたというのだから驚きだ。

この本には、浅草オペラ空前のヒット作である「女軍出征」の台本が収録されている。ごく短く、内容も荒唐無稽で他愛のないものだ。これが大人気を博した理由は文字面を追うだけでは全然ピンと来ない。歌や芝居と組み合わさってなんぼのものであるから仕方がないし、そもそもオペラの台本にはこういうものが珍しくない。そんなことを言うと、ワグネリアンはワーグナーの偉大さは文学史上にも名を残す彼自身の手になる台本にもあると、どや顔が目に浮かぶようだ。ただ、それだってやたら観念的でだらだらと辛気くさいだけという見方だってあるのだし。

片や、聴きも観もしない(できない)状態で憧憬ばかりが先行し頭でっかちになったワーグナー・ブーム、片や、オリジナルからほど遠く思いっきり低俗化し、林立する小屋では一日2興業どころか酷いときには8興業も打つといった無茶苦茶な浅草オペラ、両者を眺めると、オペラの実体からは見事に正反対に乖離した感がある。

実際の舞台を観ることもなかった明治のワグネリアンたちが、今なら上演が珍しくもない「ニーベルンクの指輪」を4夜連続で体験したら、どんな感想を漏らすのだろうか。自分が浅草で上演されていた「リゴレット」や「トロヴァトーレ」を観たら、どれほどのショックを受けるのだろうか、想像を巡らすと興味が尽きない。

国内オペラ団体の双璧である二期会と藤原歌劇団、前者がワーグナーを含むドイツものに取り組んできたのに対し、後者はイタリアオペラの路線を歩んできた。前者はドイツ音楽一辺倒であった東京音楽学校・藝大の流れを汲み、後者は創立者が浅草の舞台にも立っていたのだから、二大潮流は現在に至っているとも言える。もっとも、最近では両者の演目のクロスオーバーも目立つし、所属歌手のレパートリーにしてもドイツ、イタリア、フランスと幅広くこなす人も増えている。東京では稀だが、びわ湖ホールのプロデュースオペラなどでは両団体の歌手を実力本位でキャスティングすることが当たり前になっている。

何も特別なものとしてではなくワーグナーの楽劇を観る一方で、イタリアオペラの興奮を味わう。考えようによっては我々の時代は恵まれているとも言えるし、西洋音楽受容から一世紀半を経て、ようやく普通に等身大の作品と向かい合うことが出来るようになったとも言える。

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