通学路の先は真田丸 〜 それから四天王寺ワッソ
2016/11/6

「抜け穴開放」の謳い文句に惹かれて出かけることにした。出身高校の近く、真田山にある大阪城の抜け穴、ほんとに繋がっているのかどうか知らないが、穴の存在は知っていても、入ったことがない。例によって、近鉄主催のハイキングである。

スタートは大阪上本町駅、渡されたマップを見ると、思ったとおり、これは高校の通学路じゃないか。千日前筋を渡り、市バスの車庫、教育会館の横を抜ける。その先の東高津神社はちょっと通学路から離れるが、味原本町で再帰する。創価学会の会館が見える。その隣が高津高校だ。会館も校舎も建物は改築されていて昔の面影はない。教室の窓から紙飛行機を創価学会めがけて飛ばし、苦情になったことがあるなあ。あの頃は学生運動が荒れ狂っていた時期で、母校でも職員室占拠なんて騒いでいた連中がいた。友だちが通っていた近隣の清水谷高校でも同じ、あちらには中東で騒ぎを起こした丸岡某が在籍していた。

昔は汚かった校舎もずいぶん綺麗になっている。垂れ幕が何本か掛かっている。当時、あんなものは考えられなかった。平和なものだ。出身のワンダーフォーゲル部のものもあるぞ。いまどきはインターハイにも出ているらしい。我々の時代には考えられなかったこと。不審者と間違えられても困るので校門の内には入らなかったけれど、覗いてみると高津宮跡の石碑は昔の場所のままだ。当たり前かな。

次の角には鎌八幡というお宮さんがある。ここの中に入ったことはなかった。なぜか撮影禁止という触書がある。文面を見ると、不心得者に業を煮やしてという雰囲気が充満している。ここも真田ゆかりのところなのか、大河ドラマの影響でヘンな人間が狭い境内で好き勝手したということかも。

東に折れて真田山公園に向かう。公園と向き合う位置にあるのが真田山小学校、学生時代の友だちの出身校だ。ひょっとして榊莫山筆の校名標かもと思ったが、どうもそうでもなさそうだ。うちの近所に住んでいたこの大家、当時は図画工作の先生で担任も持っていたらしい。ここは、先生もユニークなら、三浦大輔、和田アキ子と、男女の番長(?)を輩出した小学校というのも面白い。

そして、本日のハイライト、真田の抜け穴、三光神社の階段を上がると長蛇の列ができている。このハイキングだけじゃなくて、今日は一般公開日のようだ。普段は鉄格子が閉じられている入口が開いているが、何のことはない、1mほど中に入って覗くだけ。まあ、そんなものだろうとは思っていたが、いささか拍子抜け。昔は近所の悪ガキの遊び場になっていたらしいのだが。
 NHKのご威光か、にわかに観光名所と化している。穴の奥の石積みの向こうには、たぶんその先があるはず。地形図に高低差の段彩を重ねてみると、ここが大阪城から東の方角の台地の突端であることが判る。地下で繋がっていても不思議ではない。

まるでタイミングを合わせたように、夜の「真田丸」では出城が完成、ラストシーンで堺雅人が完成した砦に「真田丸 !」と命名した瞬間、オープニングのメインテーマが始まるという逆の構成、きっとそうするだろうなあと思ったとおり。演出の定石だが、なかなか効果的だった。おまけに、続く所縁の地の紹介コーナーでは、きっちり三光神社も抜け穴も登場するという具合。昼間に行って来たばかりなので、何だか可笑しい。前日のブラタモリも大阪、次回は真田丸スペシャル版のようだから、またしても、このあたりが出てくるのかな。

次のスポットは玉造稲荷神社、ここに来るのは二度目、境内の見どころは阪神淡路大震災で壊れて哀れな姿になった豊臣秀頼奉納の鳥居、そして伊勢本街道の起点を示す石標か。この時期、七五三のお詣りなんだろう、家族連れの姿も見える。

大阪城方面に向けて北上すると、立派なキリスト教会が。これは、カトリックの大聖堂ではないか。つまり、ヴァティカン直轄ということか。神社あり、お寺あり、そのうえ創価学会から耶蘇まで、文教地区に点在する八百万神という具合だ。聖堂の前には高山右近と細川ガラシャの像、すぐ近くには細川ガラシャの所縁の越中井という史跡もある。

ハイキングコースは大阪城の中を抜けて難波宮跡に戻る設定になっていたが、お馴染みの大阪城は割愛して、四天王寺ワッソの会場へショートカットする。午後からのイベントなので、まだ準備中のようす。屋台のトッポギで小腹を満たす。大型スクリーンに出ているプログラムには、大統領、首相のメッセージという項目が並んでいる。大韓民国の人の祭なのに何だかヘンな感じだ。そもそも、彼の国の大統領は仰天スキャンダルの渦中、祭どころではないだろう。

この四天王寺ワッソというのは、韓国系信用組合の大阪興銀が始めたものだ。バブルの頃にはずいぶん威勢がよかったが、その後の韓国系信用組合同士の合併の果てに経営破綻、この祭も中止を余儀なくされた。どういう経緯で復活したのか知らないが、過去のワッソの模様を展示したパネルでは、前史については一言も触れていない。
 以前は四天王寺界隈の公道でパレードをしていたはずだが、今は規模も縮小され、難波宮跡の原っぱに200mほどのレッドカーペットを敷いて、そこを進むだけのようだ。スポンサーには在阪大手企業の名前が綺羅星のように並び、外務省、大阪府も後援に名を連ねている。資金援助しているのかどうか定かでないが、先のメッセージが示すように、ありがちな半島への特殊取扱であることは間違いなさそう。しかし、St. Patrick's Dayのパレードに、ニューヨーク市長やアメリカ大統領が何かするだろうか。アイルランド首相はメッセージを贈るだろうか。日韓両国についてはすこぶる微妙な関係、とても対等とは言い難く、ともに深層では併合時代を引きずっているように思えてならない。

じっとしていると肌寒いので、プレイベントの天理大学の雅楽演奏と、白頭学院の演禮楽という踊りを見物し、パレードが始まる前に会場を後にする。繁華街近くでもないし、わざわざここまで見に来る人は多くなさそうだ。

戻りは上町筋を大阪上本町駅に戻るルートだったが、別の道筋を辿ることにする。大勢が狭い道をゾロゾロと歩くのを避けたのだろう、普通に考えれば南下ルートは由緒ある熊野街道に設定するはず。京都の伏見港を出て、天満橋近くの八軒家船着場から熊野詣での古道が始まる。この道は、西の谷町筋、東の上町筋に挟まれて南北に走る。どちらの大通りよりも僅かに高く、上町台地の脊梁に沿っている。

谷町8丁目で西にそれて高津神社に寄ってみる。スタートが東高津神社だったから、最後はやはりこちら。こんな調子で、私はちっとも忠実にコースを辿っていないなあ。生國魂神社と同じく、ラブホテルの意匠が間近に迫り、ベンチではホームレスの人が寝ている。いかにも大阪らしさが横溢、この高津神社にしても、上方落語にここの富くじが頻繁に登場するように、現世の欲望が充満していたところだ。

このハイキング、勝手気ままにアレンジしたとはいえ、ちょっと表層を捲ればディープ大阪を体感できるなかなかの企画である。

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