ワイン祭りの後は外鎌山へ
2016/11/20

まだ酒蔵ハイキングの時期には少し早いが、あった。近鉄大阪線安堂駅周辺を巡るウォーキング、堅下の葡萄畑でのイベントがある。「おもろいやん!カタシモワイン祭り」というタイトルが付いている。
 朝の9:30、もう安堂駅にはたくさんの人が押しかけている。受付開始の少し前だというのに、先着何名かに進呈のペットボトルの水も私の直前で予定数が終了した。年寄りは朝早くて、いかん。と、人のことは言えた義理ではないが。

近鉄大阪線とJR大和路線が並行して走り、近鉄は大和川を渡るが、JRは右岸を行くので、ここで交差する。駅からすぐのところが大和川付替地点だ。川沿いの公園にはこの事業の推進者だった中甚兵衛の銅像が建っている。
 間もなく、もうひとつの近鉄線、道明寺線のガードを抜ける。線路の盛り土を切り割いて路地が通るという風情、第2号溝橋という名前が付いている。路地と鉄路は直交せずに斜めだ。上の線路は枕木もレールも剥き出しというのも変わっている。テッちゃんでもないハイカーはさっさと通り過ぎるだけだが、私はしばし見とれてしまう。
 三田家住宅というのは大和川の水運を営んだ旧家らしく、ボランティアガイドの人が説明をしている。人が鈴なりなので私は前を通り過ぎるだけ。人それぞれ、興味のありようが違う。

この先、JR柏原駅と近鉄堅下駅を結ぶオガタ通り商店街を通過し、山手に向かう。この両駅は少し離れているが、地元以外ではマニアしか知らないJRと近鉄の乗換ルートだ。近鉄京都線大久保駅とJR奈良線新田駅みたいな感じ。まあ、テッちゃん以外にはどうでもいいことだが。

山の麓に鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社、だいぶ紅葉が進んでいる。そして山麓を縫う古道、業平道となる。これは、高安の女の許に業平が通った道、伊勢物語の中に出てくる話だ。この女性が自ら飯櫃からご飯をよそう姿を見て幻滅したというのだから、いまの普通の夫婦だったらみんな別れなければならない。

まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、けこ(※)のうつはものに盛りけるを見て、心うがりて行かずなりにけり

(※)「伊勢物語」第二十三段、「けこ」を、飯を盛る器「笥子」と解するか、一家眷属の意味での「家子」あるいは「家口」と解するか両説がある。前者だと器という言葉が重なってしまうから、後者のような気がする。しかし、この行為がなぜ幻滅に繋がるかについて、依然として私には謎だ。

というのだから、往時の貴人はどんな生活をしていたのやら。なんてことを考えるうちにワイン祭り会場に到着。2500円でチケットを購入。残念、前売りで買っておけば2000円だった。

会場はいくつかに分散している。山のほうに葡萄畑が続いている。そこかしこに会場があって、ワインと出店がある。これを順繰りに回って飲んで食べるという趣向のようだ。受付でワイン4杯分のチケットとグラス(といってもプラスティックだけど)を引き替え、これがパスポート代わりということだ。まあ、値段的には少々高いと言ってもいい。お値打ち価格なら間違いなく来場者が殺到するから、なかなか賢明な値付けとも言える。
 こちら、専ら赤ワインなので、きのこオムレツと煮込みハンバーグをいただく。いい加減な屋台ではなく、堅下ワインを提供している普通のレストランなどが店を出している。そんなことで混み方もほどほどというところ。葡萄棚には収穫していない一角があり、房ごと切るのは御法度だが粒をちぎって食べるぶんはフリー、そちらにかかり切りのちゃっかり組もいるぞ。葡萄畑の一番上まで登ると展望台になっており、こちらはグラス片手の若者が多い。

グラス4杯ほろ酔い気分で安堂駅に戻る。まだ午後になったばかり、昼からはちょっとした山登りにする。そのまま近鉄大阪線で大和朝倉駅に向かう。この駅から外鎌山に登ろうという目論見だ。駅の南側に拓かれた住宅地のはずれから道が付いているはず。しかし、小雨が落ちてくる。

駅の南側、朝倉台住宅地が開発されたのは昭和50年代、それまでは外鎌山に繋がる丘陵地帯だったはず。駅の裏手の山を切り開いて出来たこの町に足を踏み入れるのは初めてだ。榛原駅に近い天満台住宅地と違い、こちらは駅まで歩ける距離だ。思いのほか街区は整備されているし家も大きめ、第一種住宅地域のようだ。
 だいたい新興住宅地が出来ると昔からあった山道は影も形もなくなるのが通例だが、ここでは復活を遂げている。駅前のロータリーから既に外鎌山への道標があり、道筋の住宅街の適切な位置に何本も立っている。外鎌山愛好会とあるので、この住宅街の同好の人たちの手によるもののよう。ここに家を買った人たちもリタイア世代になって、裏山のウォーキングで健康維持、それとともに登山道も整備という流れかと想像する。

道はよく整備されていて、樹木名の木札もあちこちに架かっている。30分もあれば山頂に辿り着く。三等三角点、西側の盆地の眺望が開ける。こちら側からだと、大和三山が確かに三山に見える。というのも、西側から眺めると天香具山がどうしても後背の丘陵と一体化してしまうからだ。愛好会の人たちが歓談するのだろうか、テーブルとベンチもあるぞ。ここなら月見で酒盛りなんてことも出来そうだ。誰も登っている人がいないから、愛好会の関与のほどを聞くこともならず。

1/25000地形図には私が登った道は記載されていない。同じく下山ルートの表記もない。それで地図に朱記してみた。今の地理院地図には作図機能も付いていて便利だ。これはPhotoshopやIllustratorを使うより簡単だ。
 山頂から南東に稜線を進み、小さなピークを越えたら南西に転ずる。降り立ったところは地図に墳墓のマークがある地点だ。外鎌山への道と大伴皇女押坂内墓への道が分岐する。墓まではすぐだ。そちらの方から一人の美人が降りてきた。人家もない谷間でこんなオヤジと遭遇したら警戒心が先に立つもの、こちら登山者の風体なので怪しいものではないにせよ余計な気を遣う。黙礼しただけだが、声をかけたほうがよかったかな。鏡王女墓、舒明天皇陵と続く道、桜井市忍阪(おさか)の王家の谷、こんなところまでやって来るのは歴女なのかなあ。
 それにしても、奈良で古墳の横は民家というのに慣れていると、大伴皇女押坂内墓は宮内庁の管理なのに、人の気配もない谷の奥にひっそりとあるというのも面白い。

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