友ヶ島を歩く〜 島の山登り、もしくは要塞めぐり
2016/11/26

加太の休暇村にカミサンがお母さんを連れて出かけたのが、週の前半、日を措かず再び加太に。もともと私が行きたいと言っていた友ヶ島へ、二人でウォーキングとなる。奈良からだと第二阪奈・近畿自動車道・阪和道と乗り継いで行くのが時間的には速いが、無料の京奈和道を走る。途中の橿原市内と風の森の分水嶺で二箇所途切れてはいるが、この無料高速もずいぶん延びた。道路公団ではなく国の直轄だから、今後ともタダの可能性が高いのは有り難い。

定員100人ほどの小型船は20分程度で無人島に到着する。小春日和、満員ではないが、結構な人出だ。乗客は年寄りではなく若い人たちが多い。半日もあれば島内を一周できるが、思ったよりもアップダウンがある。ここには砲台などの旧日本軍の施設が多く残っている。その遺構めぐりが最近人気になっているらしい。

船着場から西に海岸沿いを進むと第2砲台、煉瓦積みの擁壁は破壊されていて内部には立ち入れない。宮崎駿のアニメのモデルになったらしいが、そちら方面に興味のない私にはよく判らない。朽ちた要塞というのが、作者のイメージをかき立てるものがあるのだろう。

車を走らせていたときは風もあったのに、歩き出すと暖かいというより暑いぐらいになる。ダウンジャケットを着ていたカミサンも手に持って歩き出す。友ヶ島灯台に着く頃には汗ばむほどだ。「日本標準時の子午線最南端の地」とかの標識がある。まあ、この南は太平洋になってしまうから、国土最南端というのも間違いじゃないけどピンと来ない。軍事施設は遺構だけど、灯台は現役のもよう、淡路島との間の紀淡海峡は大型船の往来が頻繁だ。そこに多数の釣り船が散っているから、危ない海域かも知れないなあ。

孝助松海岸というところに下る。タイドプールがある。子供と一緒なら海辺の生物の観察の時間になるところだが、この先、旧海軍聴音所跡に向かう。紀淡海峡を通過する(かも知れない)敵国潜水艦の探知のための施設とのこと。てっきり汀にあると思ったら小高い位置にあるので意外だ。ソナーから通信線を繋いで施設そのものはカモフラージュということなんだろう。屋根に草木が生えているのはそういうことか。内部は空っぽでまさに廃墟だ。

そして沖ノ島最大の軍事遺構、第3砲台に登る。ここは島の最高峰タカノス山の頂上に近い。しかし、これほど見事に残っているとは驚きだ。ずいぶん大きな施設だったことが窺える。数基の砲台を繋ぐ地下通路が縦横に走る。先日購入した山登り用のヘッドランプがこんなところで役に立つ。懐中電灯がないと奥まで入るのは難しい。通路は狭いところで人ひとりの幅しかない。アーチ状の天井はそれなりの高さがある。地下に降りる階段から中に入って、出てくるところは別の階段というのだから、迷子になりそうだ。灯りがないので躊躇している若い女性3人組に出口で遭遇、「中は暗いですから気をつけて。あっ、それから、天井に蜘蛛がいっぱいいるからね」、なんて声をかけると「キャーーー」、ちょっと余計なことを言ったかな。

往時の砲門は撤去されていて、台座があったとおぼしき円形の敷石部分だけが残っている。砲門の間はトンネルで繋がっていて、地下通路にも通じる。ほんと、こうなると秘密基地探検の趣きだ。件の蜘蛛のせいでカミサンはこれ以上の探検に付き合ってくれないので、一人でウロウロ。ヘッドランプの威力がまざまざ。

砲台のすぐ近くには発電所跡の建物が残っている。軍関係者がどれほどいたのか判らないが、将校用だったらしい廃屋も隣接している。竹小舞が露出した土壁の残骸、ここが床の間とか間取りまで想像できる。現実に使用されることなく役割を終えた砲台に70年を経ていま観光客がやって来る。三脚を据えて丹念に室内を撮影している女性カメラマンがいる。旅行雑誌か何かの取材ではないかな。

第3砲台のすぐ上が一等三角点のあるタカノス山頂上だ。さすがに眺めは素晴らしい。西側、さっき歩いた友ヶ島灯台が眼下に見え、紀淡海峡を船が行く。向こう側は淡路島、あちらにも往時は由良要塞があったらしい。水道の両側から砲撃ということだろう。確かに、この距離なら射程に入る。友ヶ島を足場に、ここに橋を架けて和歌山と淡路島(その先は四国)を繋ぐという京奈和道延長構想もあるらしいが、技術的な難度は問題ないとしても投資効果は疑問視されるだろう。まあ、私が生きている間に実現することではなさそう。

もうひとつの重要施設がここにある。巨大なトラス構造の通信施設、これは関西国際空港の航空無線施設なんだ。紀淡海峡は関空に着陸する航空機の進入路になっている。昔も今も航路であることは変わらないことに加え、そこに空路が加わった。この無人島は交通の要衝にある。

なんだかんだで、要塞探検に思いのほか時間をかけてしまった。全島一周を目論んでいたのに、結局は西半分だけとなる。11:00の便で島に渡ったので半日だとこんなものか。
 友ヶ島の野奈浦桟橋に到着したとき、戻り便の時刻が掲示されているのを見たら、最終が16:30。これはダイヤどおりだけど、それまでは時刻変更やら増便があり、その日の天候、海の状態、客の多寡などで臨機応変に変更しているようす。時刻表は目安程度のもののようだ。渡った人数は無人島から必ず戻るので判りやすいとも言える。いちおう、乗船時に人数のカウントはしているが、名簿があるわけでもなく、けっこうアバウトな管理のようだ。誤差が出たらどうするんだろう。キャンプの客はいいとして、自殺願望とかの怪しげな人たちが紛れ込んでも不思議じゃない。ここはそんなことを思わせる戦争の痕跡を残す無人島だ。

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