「ヨナス・カウフマン テナー」を読んで
2017/1/22

大阪府立中央図書館の新刊コーナーで見つけて、さっそく借り出した。たぶん私が第1号、書店に並んで間もない本だ。この売れっ子テノールの自伝と言っていいのか、サクセスストーリーを本人とのインタビューを交えて纏めたものだ。著者はトーマス・フォイクト。

東日本大震災のあと、予定されていた来日が立て続けにキャンセルとなり、この人のドン・カルロとホセ(「カルメン」)が聴けなかったのは残念なことだった。巻頭に「日本のみなさまへ」というメッセージがありながら、あの件について一切の言及がないのは引っかかるところだ。日本中が津波の惨禍に呆然とするとともに、先の見えない原発の恐怖に怯えていた頃だから、外国からわざわざ行きたいとは思わないのは当然と考えるものの、予定メンバーで乳飲み子を伴って来日して歌ったディアナ・ダムラウのような腹の据わった人もいただけに、その対比が極端だった。来日公演が予定されていた時期、彼はヨーロッパでロドルフォ(プッチーニ「ボエーム」)やフロレスタン(ベートーヴェン「フィデリオ」)を歌っていたのだから尚更だ。何も病気とアナウンスする必要もなかったし、「放射能が怖い」でよかったのに。この本で「病気によるキャンセル」と題して一章を割いて、2015年5月から6月にかけての耳鼻咽喉科の炎症のことを書いているのは悪い冗談のようだ。

この本は昨秋の来日に目がけて出版されたのだろうが、またも来日中止、どうもこの人は日本との相性が悪いのかも知れない。私自身はまだナマで聴いていないので、この人の歌をきちんと評価できないところもあるが、録音で聴くかぎり、イタリアものを歌うときの音色の暗さには相当な違和感を感じる。本の中ではしきりにイタリアものに対する適性について持ち上げているがどうなんだろうか。
 この人は、デビュー以来、ドイツもののレパートリーに限らずイタリアもののウエイトも高い異例のドイツ人歌手ではあるのは確かだ。ロブストというか、独特の声の重さということではフランコ・コレッリとも通じるものがあるが、コレッリを聴いたときのような爽快感はカウフマンの歌からは得られない。もちろん、それは個人的な好みの問題ではあるけれど。彼がイタリア・オペラの歌唱で評価されているのは、主にドイツ語圏や英語圏に限られているのも頷ける。

それはともかく、この本自体は構成が巧みで非常に読みやすい。カウフマンのキャリアがどのように形成されたかがよく判る。ミュンヘンで生まれ育った彼が、スターとなりこの地で活躍しているのは当然としても、それに先だって多様な役柄をチューリッヒで歌っていることが大きな糧となっているのが解る。「母船チューリッヒ」という章でそのことが語られている。モーツァルト、モンテヴェルディ、シューベルト、グノー、ワーグナー、ヴェルディ、ベートーヴェンと、チューリッヒの5年間で多彩なレパートリーを獲得したということだろう。
 もうひとつの成功要因はマイケル・ローズというアメリカからヨーロッパに渡った声楽家の指導を受けたことだという。優秀な声楽教師が極めて少ないという彼の主張には同感だ。そういう人に巡り会えた幸運で現在があるということなんだろう。往年の大歌手であるハンス・ホッターの指導を批判しているところなども意外で面白い。

この本の翻訳は伊藤アリスン澄子氏、音楽分野にも造詣のある人のようで、専門的な内容にもほとんどミスがないし、日本語としてもよくこなれている。「トロヴァトーレ」のアリアのハイC問題に言及している箇所で、「見よ、恐ろしい火を」とすべきところを「炎は燃えて」と取り違えてしまっているのに気付いた程度だ。せっかくの本だから、巻末の年譜はもう少し詳しく記しておいたほうがよかったと思う。これまでの出演状況を概観するには足りるとしても、非公式ウェブサイト(カウフマンのファンサイト)の充実ぶりに比べると、かなり見劣りがする。

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