人気? 不人気? 北アルプス接続地帯を歩く
2017/7/26-29

昨年は、薬師岳から立山まで、3泊4日かけて縦走した。久しぶりの長い山登り、何とか体力ももった。それに気をよくした訳ではないが、今年は黒部川を挟んだ向かい側の山域を訪れることにした。同じく3泊4日、予備1日という日程。北アルプスの中央なのに屈指の不人気コース、ところがその真ん中に大人気の山小屋があるという不思議。針ノ木雪渓から烏帽子岳まで、盛夏の北アルプスでもこんなに静かな山旅ができる場所がある。

梅雨は明けたはずなのに、どうも天気の具合がおかしい。好天が続くはずの10日間も最近は保証の限りではないということか、戻り梅雨の様相さえある。前夜泊した信濃大町では、このところ雨続きと土地の人は言う。ただ、峠は越したようで、大崩れする感じでもないのが幸いだ。いつものように、在京連絡先をお願いしたOB会事務局長のS君から適宜的確な気象情報が届く。現地での自分の観察と併せれば盤石だ。

【 Day 1 】

扇沢でバスを降りた人はほとんどが黒部ダム方面に向かう。針ノ木谷方面への入山口には登山届受付のテントがあるが、係の人も手持ち無沙汰のようす。湿気の多い林間の道を1時間あまりで大沢小屋、小屋の人に話を聞くと、融雪は進み上のほうは夏道が出ているらしい。それと、気になったのは入口の貼り紙、小屋から雪渓尻までの道で数日前に熊の姿が目撃されたらしい。そして、このあとの日程でも、熊の話題には事欠かないことになる。

どんよりとした空だが雨が落ちるわけでもない。ひたすら上を目指して雪渓を登る。ここを歩くのは二度目。アイゼンなしでも大丈夫だが、途中の「のど」のあたりは幅も狭まり斜度もきつくなる。冬に買ったチェーンアイゼンは金剛山の雪中登山で壊れて返品返金となった。そのあとにネット通販で買い直したのは更に安い中国製、針ノ木雪渓のの登りに耐えられるかなとは思ったが、全く問題なし。こういう廉価品は当たり外れがある。まあ、ずっと雪の上なので歩行が安定しているせいもあるだろう。

マヤクボ沢との出合付近からは夏道に入る。雪が多いという話だったが、雨続きで融けるペースも速いのか、思ったよりも早く雪渓歩きは終了する。峠に登り着くまでに雪渓を一箇所横断するだけだ。小屋の人なのか二人、スコップでトラバースルートを整備している。高所の重労働は大変そう。
「こんにちは。ご苦労さまです。ネパールの人?」
「そうです。6月にはあのあたりまで雪があったんですよ」
「だいぶ融けたんですね。ところで、『こんにちは』って、ネパールでは何て言うの?」
「ナマステ!」
「あれっ、インドと同じですねえ」
 そうか、ネパール語でもなく、ヒンディー語でもなく、サンスクリット語発祥ということかな。小屋までのジグザグの急登、こちらは息が上がりそうなのに、作業を終えた長靴履きの彼らの足取りはしっかりしている。山小屋の夕食のとき、ネパール氏、厨房の中からこっちを向いてニッコリしていた。ナマステ効果かな。

山小屋に荷物を置いて針ノ木岳を往復する。ガスに包まれて遠望はない。雪田の縁は微妙に夏道が出ていてかえって歩きにくいし危険、要注意だ。雪渓の登りで膝の裏側を中心に結構疲れたから、身軽になったものの足取りは重くなる。こんなふうな視界のない天気だと、雷鳥に出逢う確率が高まる。やはり、いたいた、人影も少ないからか、親子連れの登場だ。こちらを気にするようすもない。母鳥のあとをトコトコと歩く子どもたちの姿はなかなか可愛い。

峠まで登り、すぐさま針ノ木岳の往復だったから、ちょっと疲れた。昨年はS君と那岐山や伯耆大山に登り足慣らしは充分だったこととの差かも知れない。鯖の煮付けにメンチカツのおかず、カレーの時代は過去のものとなった。

【 Day 2 】

二日目も同じような曇天、前日とは反対側へ、蓮華岳の登りからスタート。針ノ木小屋からどんどん高度を上げる。針ノ木岳への道とは違ってずいぶん歩きやすい。乗越や山頂を境に山の様相がコロッと変わるのがこのあたりの山域の特徴か。

コースタイムではこの日の行程はさほどではない。途中の蓮華の大下りで500mほど降下して、登りなおすということがあるだけだ。その蓮華岳を過ぎると登山者が激減する。小屋から蓮華岳を往復し、爺ヶ岳方面へ向かう人が圧倒的なんだろう。自分もむかし歩いたコースだ。それだと、蓮華岳からの下りのコマクサの大群落を観ることができない。礫の斜面に点々と紅色の花が散らばっている。群落と言っても密集して咲いているわけではない。ちょうど砺波平野の散居村のような感じ、適当な間隔をおいて広がっている。ということで被写体にはなりにくいのが難点だなあ。

北葛乗越は標高2275m、手前の岩場の下りはちょっと緊張するところだ。乗越の平坦地を目がけてストックを投げ捨てる。便利な道具だけど、鎖や梯子の岩場じゃ邪魔になるのが困りものだ。翌日に辿る船窪乗越は2200mを切っているので、コース中の最低ではないものの、ここは北アルプスの真ん中の主稜線にしてはずいぶん低い。途中、雨具を着けるときもあるが、降り続くわけでもなく、雨男の割にはまあまあの天候だろう。北陸地方はまだ梅雨明けしていないし、ここは富山との県境、気候はそちらに近いのだろう。乗越で一休みし、あとは北葛岳を経て七倉岳を目指す。そこまで行けば、船窪小屋はすぐそこだ。

この船窪小屋はつい先日もNHKのテレビで取り上げられていた。ランプの山小屋として夙に有名らしい。この小屋に泊まることを目当てに七倉尾根を往復する人が相当いるようだ。前日の針ノ木小屋、翌日の烏帽子小屋がシーズン中なのに天候不順もあって閑散状態なのに、ここだけ賑わっているのは奇妙な感じだ。しかし、それも何となくわかる。小屋に到着すると、中から小屋番のおじさんが顔を出し、到着の知らせか入口前の鐘を鳴らす。とりあえず小屋前のテーブルで一休みしていると、熱いお茶を運んできてくれる。山小屋でこんな歓待を受けるのは初めてだ。そればかりか、サンダルまで持ってきてくれる。早く山靴から足を開放したいという登山者の気持ちを汲んだ心憎い配慮だ。なるほど、これが人気の一端なのだろう。

隣のテーブルでは烏帽子小屋から縦走してきたカップルが店開き、濡れた雨具やザックカバーやらの満艦飾、こちらもそれに倣う。ややあって、麓から登ってきた人たちで賑わい出す。「うわあ、テレビのおかあさんだ!」と嬌声が上がる。女性占率がとても高いのと、前日と段違いに平均年齢も若くなる。彼女たちが持参したトマトや胡瓜のお裾分けにあずかる。余った手作り味噌まで押しつけられる始末。そんな雰囲気のなか、晴れてきた。槍ヶ岳が顔を覗かせる。きょう歩いてきた針ノ木岳・蓮華岳の山並みも姿を現す。去年歩いた五色ヶ原から立山への連なりも雲が上がった。烏帽子岳から野口五郎岳への稜線も見えてきた。その向こうには水晶岳の双耳峰も確認できる。「あれは、水晶岳ですよ」と、間違った山名の講釈を周りに垂れていたベテランらしき登山者に、やんわりと訂正を入れる。事実はひとつ、与太はいけない。登ったこともあるし、いろんな角度から何度も眺めた秀峰を見間違うはずはないのだ。

今回の山行で初めてだ。ゆっくりと山々を眺める時間が過ぎていく。何かと思った越冬ビール、今シーズンのビールの半額ほどの値段、8か月は経過しているので平地では賞味期限切れでも、山小屋でなら美味しい。指名買いの登山者も多いから今月中には売り切れるだろう。コストパフォーマンスがいい。なんだかんだと戴いていると、小屋番のおじさんが、「夕食はいっぱい出ますから控え目に」との注意。そうか、去年、スゴ小屋で泊まりあわせた人が、「ここの食事もいいけど、船窪小屋の食事はもっとすごい」と言っていたのを思い出す。確かに噂に違わぬ充実ぶり、山菜の天麩羅、厚切りの焼豚、手作りの春巻、野菜の炊き合わせが並ぶ食卓は、電気もない山小屋のものとは思えない。船窪小屋泊まりだけを目的に登る人がいるのもよく判る。

この小屋は三室が奥に向かって緩い階段状に連なった造りになっている。入口に近いところに囲炉裏のある食堂兼談話室、奥の二室は宿泊用で、数段の階段と扉で仕切られている。宛がわれたのは奥の部屋のどん詰まりの下段、朝食は5時前の一番初めの組、小屋泊まり目的の下山予定者と翌日に長い縦走に向かう登山者とを、明らかに区別している。何も言わずにそういう配慮が行き届くのは、素晴らしいこと。夕食後に談話室でお茶会があるというのも珍しい。もちろん任意参加で消灯時刻の8時前には終わる。グループ単位の自己紹介もあって、どんな人が泊まっているのかがわかる。好き嫌いはあるが、こういう雰囲気は昔の山小屋だなあ。悪天候のために荷揚げのヘリが飛ばず、下山予定だったおかあさんも日延べになったらしい。それでこの日の宿泊者は名物ご夫婦に対面できたわけだ。

【 Day 3 】

明け方、外のトイレに行ったときには、星は見えないまでも雨は落ちていなかった。ところが、朝食を終えて出発準備の頃にはしっかりと降り出した。烏帽子岳方面に向かう予定のグループはどうも断念したらしい。大崩れはないだろうし、もしも天候悪化なら途中で引き返すことも念頭に歩き出す。「雨風の連合軍なら大変だけど、風はないので」と小屋番のおじさんに見送られる。そのとおり、小雨が真っ直ぐ落ちている。東京にいるのに、しっかりチェックしてくれているS君の気象情報はツボを押さえている。

28日7時現在の雨雲レーダーでは、富山・長野県境付近に南北に長い大きな雨雲があり、約3時間後に東の方へ移動する予想となっています。本州の気圧配置ははっきりせず、等圧線は殆ど平坦ですから、風は(局地性を除けば)さほど強くないでしょう。

船窪小屋から烏帽子岳方面に向かう道はかなり悪い。長野県側の不動沢の崩落が進んでいる。船窪岳から不動岳へ、草木のない白い地肌が剥き出しの崖が左手に連なる。もっとも北アルプスのこと、整備の手は入っていて危険箇所にはロープが張られているから、コースを外れず普通に歩く限りは問題ない。雨で濡れているのでそのぶん余計に注意が必要だけど。ナイフリッジのような箇所もあったが、ヘンにロープに頼らないほうが安全だ。登山道は概ね右手、富山県側の樹林帯に付けられている。

悪場が随所に現れてアップダウンを繰り返す。距離の割には時間のかかる道だ。1/25,000地形図に2459mの標高が記されているところに船窪岳第2ピークの標識がある。このあたりがpoint of no return、先の距離や難易度・疲労度から考えて、気象条件で行くか戻るかの判断をするのに適当な場所だろう。S君予報どおり3時間ほどで雨は上がったので、判断に迷うことはない。ひたすら歩いていけば烏帽子小屋に着く。それはともかく、登山道に動物の糞が目につく。この日の行程ですれ違ったのは一組2人の登山者だけ、たぶん人よりも熊のほうが多い山域なんだろう。糞だけではなく、少し緩くなった鞍部あたりで動物臭が強くなる場所がある。鈴は付けているが大した音量じゃないので、ここはホイッスルの出番となる。顔を合わせないことがお互いのためというものだ。

不動岳の登りは行けどもいいけども山頂はまだ先、いささかくたびれる箇所だ。でも、ここがコース最大の消耗地点、不動岳を過ぎ南沢乗越にいったん下って南沢岳に達すると、もう一安心。それまでの山容とうって変わってなだらかな稜線となる。残雪とお花畑、二重稜線の間に池が散在する山上庭園の様相。いまどき木道が設置されて当然のような場所だが、小屋から烏帽子岳を往復する登山者は多くても、その先の池めぐりまで足を伸ばす人は稀なんだろう。そのおかげで昔の北アルプスの光景が残っている。

雨はすっかり止んだがガスが出ている。船窪小屋を出たのは午前6時、烏帽子小屋に着くのは午後4時になるだろう。休憩込みで10時間か、最近こんなに長く歩いたことはなかったなあ。翌日の天候は不明だが、烏帽子岳に登るのはお預けにする。この小屋に泊まるのは二度目、あれはもう16年前になる。建て替えたふうもなく以前のままだ。小屋は電波の圏外なので、屋外の少し開けた場所から無事到着のメールをS君に入れる。なんだ、16年前と同じことをしている。夕食のメインはボルシチ、前に食べたメニューはもう忘れている。食事も二交代制ではなく、シーズンオフのように空いている。週末の天気はあまりいい予報じゃなく、南海上に台風もある。翌日に裏銀座方面に向かう人たちは不安げだ。もう下るだけのこちらは気楽なものだけど。

【 Day 4 】

快晴とはいかないが、いちおう晴れてはいる。天気は下り坂でも烏帽子岳の往復ぐらいはもちそうだ。前日、烏帽子岳への分岐で一休みしたとき、脱いだ手袋を忘れてきてしまったから、その回収も兼ねて身軽に出発だ。烏帽子小屋からは東沢谷を挟んで赤牛岳が目の前だ。その向こうの稜線は薬師岳に繋がる、登るにつれて視界が開けてきた。南へ続く裏銀座縦走路、北は辿ってきた針ノ木岳からのクランク状に連なる山並み、今回は後半日程に晴れ間がある。

烏帽子岳頂上への最後の登りは岩に取り付く。足場が切られていて鎖も付いているので何の問題もないが、てっぺんの岩の隙間から覗くとなかなかの高度感、こわい、こわい。最終日、いきなり下りじゃなく、著名ピークの登頂ができてよかった。そして、盗る人などいないから、前日に休憩した場所に手袋はちゃんと残っていたし。

小屋に戻ると、他の宿泊者はもう出発したあとだ。野口五郎岳への縦走路を辿っている頃だろう。空模様次第だが、水晶小屋か三俣山荘までか、天候が悪化したら野口五郎小屋ということもありうる。前日まで歩いた稜線と違って、"裏銀座"とは大仰にしても、一日の行程の途中に小屋があるのは大きな違いだ。

野口五郎岳方面からやって来たのか、小屋の前に長野県警のパトロールの人がいた。言葉を交わしてみると、この人は先日のNHKの中継の際に船窪小屋へクルーを案内した人らしい。
「昨日、船窪小屋から来たんですけど、途中で二人組に出逢っただけでしたよ」
「あっ、それは多いですね。増えたほうですよ。シーズン初めに危ない岩をだいぶ落としたんですけど、あのあたりは整備してもすぐに崩れるんですよ」
「途中に木材が積まれていたところがありましたけど、あれは」
「まとめてデポしておいて、鋸で切っては補修に使うんですよ」
「ああ、そういうことでしたか。それにしても、大変なコースですねえ。熊のような糞もいっぱいありましたし」
「たくさんいますよ。烏帽子の池のあたりにも棲んでいますしね。でも、この辺のやつは純朴だから、人が来れば逃げて行ってくれます」
「やっぱり、いますか。それらしいところでは盛大にホイッスルを吹きましたけどね」
「それは正解です」

さて、長くて急な下りの始まり。土曜日、これから山に入る人は多くても、下山する人は少ない。烏帽子小屋泊まりでこの日下山する人はおらず、テント泊の人が一人先行しただけだった。下りながらすれ違う人の人数を数えて退屈しのぎにする。出発前、既に小屋に到着していたトレイルランニングの二人を含めると60までカウントが進んだ。多いのか少ないのか何とも言えないが、烏帽子小屋の先まで向かう人、縦走して烏帽子小屋に到達する人、さらにテント泊の人など、プラスマイナスとして収容人数70名の小屋は昨夜とうって変わって賑わいそうだ。

単独行の人、カップル、グループとさまざま、バテ具合もまちまち。
「おはようございます。まだだいぶありますよね。気持ちは登ろうとしているんですけど、足が前に出ないんですよ」とは、単独行のおじさん。大丈夫、もうすぐです。
「烏帽子小屋に県警のメンバーがいましたか。ああ、眼鏡をかけた坊主頭の…」とは、長野県警のパトロールの二人。さすが、すれ違った後姿は足取りが全然違うし重心が全くぶれない。

沢音がだんだん大きくなると濁沢は近い。尾根の取付きの空中階段を下って登山口に降り立つ。このブナ立尾根、高校生のとき初めて訪れた北アルプスの下山路だったし、16年前にはここから登ったので、これで三度目になる。登山口の看板が四カ国語表記になっているのは時代の趨勢か。さすがに今回のルートには外国人の姿はなかった。濁沢も不動沢も崩壊が進み、放っておくと高瀬ダムは早晩埋まる。前回は船で登山口まで渡ったことを思い出した。今はダムサイトからトンネルが掘られていて、ここを通って沢筋の土砂を搬出しているのだろう。終わりのない作業だ。

また雨が落ちてきた。稜線上では天気が荒れているかも知れない。ダムサイトに着くと、何と、向こうから客待ちのタクシーが近づいてきた。登りの人たちとすれ違ったのはずいぶん前だから、ずいぶん長い待機だ。高瀬渓谷に行く人でもいたのかな。こちらの行先が信濃大町でなく葛温泉なので、長距離客でないのが申し訳ないような待ち時間ゼロのお出迎えとなる。4日間の汗と汚れを熱い湯で流すと生き返ったような感覚だ。日帰り温泉の人もいて、広い露天風呂に浸かっていると、悪天候で温泉巡りに切り替えたという30代の人に話しかけられる。大天井岳でひどい目に遭ったというから、彼は表銀座コースを歩いたのか。遮るもののない尾根筋だと風が吹くときつい。こちらは森林限界より低い部分の多いコースなので、そんな心配はあまりなかったが。

【 Garally 】

ひどい雨には遭わなかったものの、あまり眺めに恵まれた山行とは言えなかった。晴天続きもいいが、たまに晴れ間が覗いて、山の姿が現れるのも反って有難味があるものだ。太平洋高気圧の発達は遅れていても、この時期、高山植物は花盛り。上を見るより下を見る時間のほうが長かったかも。

         (写真の上にカーソルを持って行くと静止)

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