「スカラ座の思い出」 〜 黄金時代のピット
2017/9/19

1926年4月25日、「トゥーランドット」初演の第3幕、リューの自刃のあと指揮を終えたトスカニーニがスカラ座の客席に向かって発した言葉には諸説がある。この本で著者は一番近いところにいた自分が聞いた言葉として、自信を持って言い切っている。それは、こういう内容だったと。
"Qui finisce l’opera, rimasta incompiuta per la more del Maestro"
(ここでオペラは終わる、マエストロの死で未完となったから)
 もちろん、私にはその真偽はわからない。 91年前のことだ。生まれてもいない。ミラノスカラ座のコンサートマスターを32年間も務めた著者のエンリーコ・ミネッティは、そんな歴史的場面に立ち会っていた人だ。大戦で瓦礫と化した時代を挟み、このオペラハウスの黄金時代と重なる。

この本に出てくる指揮者たちは伝説的な名前ばかりだ。ヴィクトル・デ・サバタ、ディミトリ・ミトロプーロス、ヘルマン・シェルヘン、グィード・カンテッリ、そしてアルトゥーロ・トスカニーニ。著者が敬愛する大指揮者にとどまらず、作曲家や音楽教師も登場する。ピエトロ・マスカーニの自宅での延々と続く晩餐のもようも可笑しい。痛風をこらえながらというのもイタリア人らしい。この本、邦訳は最近だが、何しろふた昔前に亡くなった大長老のジャナンドレア・ガヴァッツェーニが後書きを書いているぐらいのものだ。

トスカニーニのことに多くのページが費やされている。当然といえば当然、この指揮者の強烈な個性と音楽性、オーケストラのメンバーにとって畏怖と敬愛を抱かせる類い稀なるカリスマ、こういう人と仕事をするのはさぞ骨の折れることだっただろう。罵詈雑言に耐え、馘首の恐怖さえ感じながら演奏するというのは、並大抵ではない。芸術的成果との引き替えだとは言え、トスカニーニがアメリカに渡る2か月間が安息のときであったというのは何となく頷ける。

私はスカラ座に前後3回足を踏み入れている。パルコ(バルコニー)で、ガレリア(天井桟敷)で、プラテア(平土間)で。 位置こそ違え、どこにいても素晴らしい音だ。オーケストラだけならややデッドだが、声にとっては響き過ぎずちょうどよいバランスとなる。国内なら東京文化会館というところか。スカラ座の外観はウィーンのように目立つ訳ではなく、エントランスもホワイエも狭い。広いのは天井桟敷だけと言ってもいいぐらいだ。建物の内側は快適とは言い難いスペースが多いのに、ここでは音楽が鳴り響く内側は別世界なのだ。そんなスカラ座だけど、ミネッティの時代の栄光は過去のものになってしまったと感じることも多いのが残念だ。

「コンサートマスターから見たマエストロの肖像」というのが副題なので、指揮台に立つ巨匠たちの姿がテーマなのは確かにしても、著者は誰一人として歌い手に言及していないのが不思議だ。マリア・カラスやレナータ・テバルディの歌をピットで聴いていたはずなのに、ミネッティはどう感じていたのだろうか。

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