不帰嶮から鑓温泉へ 〜 またも途切れた線を繋ぐ
2017/9/29-10/1

7月の終わりに北アルプスに出かけたとき、大崩れはなかったものの天気がよいいとは言えなかった。しかし今回、週間予報で週末の好天は早くから予想されていたし、その内容が変わることもなかった。これは雨男にして大変珍しいこと。積雪も考えられる時期、夏にも冬にもなる10月のはじめだが、これなら大丈夫。

前回は北アルプスのなかでも辿る人の少ないロングコースだったが、今回は賑やかなコース、健脚者なら一日で回ることも可能な行程を二泊三日でという余裕の計画、問題がありそうだったらいつでもエスケープできるルートだ。八方尾根を機械力に助けられて登るところから始まる。

よく考えたら、八方尾根には雪のある時にしか来たことがない。唐松岳に登ったときも3月だった。あの頃だと一番上はアルペンリフト、それ以上は歩いて登るほかなかったのだ。今はグラートリフトというのが出来ていて八方池山荘まで運び上げてくれる。なんで長野オリンピックの男子滑降競技のスタート地点問題であんなに揉めたのだろう。八方池山荘からスタートすればFISが求める標高差1000mを確保できるのにと思ったものだった。
 閑話休題、今回は無雪期、八方池を初めて見る。大きな移動性高気圧が近づいて来るのはいいが、吹き出しの風が強い。樹木のほとんどない尾根上では休憩に適した無風の場所を選ぶのが大変だ。まあ消えるまで時間の問題だろうが、標高にして2500mぐらいから上は雲がかかっている。

八丁平の草原
八方尾根からの不帰嶮と白馬三山 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

薄い手袋だと冷たいぐらいの風が吹いているので、のんびりとした尾根歩きという感じでもない。散策の人たちは八方池で引き返し、その先は登山者の領域、人の数も極端に減る。予想通り、やがて雲は消えて白馬三山が姿を現す。不帰嶮のゴツゴツした岩峰も近くに見える。明日はあの稜線を越えていく。

唐松岳頂上山荘は思ったほど混んでいない。客室の気密性がいいので夜中も寒くない。明ければ予報どおり快晴、しかし外気は−4℃、煙草を吸いに外に出るのも気合いを入れてとなる。風は前日ほどではないが、富山側から長野側へかなりの強さの風が抜ける。南方の槍ヶ岳も姿を見せているが、何と言ってもここの展望のハイライトは黒部川を挟んで正対する劒岳だ。私にはご来光を見る趣味はないのだが、太陽と反対側の峰々が茜に染まるのは美しい瞬間だ。劒岳の窓の向こうには富山平野も見通せる。かつて雪渓を詰めスキーで滑り降りたことのある長治郎谷は角度の関係で隠れているのが残念だ。モルゲンロートの時間は短い。すぐに山は普段の装いとなる。

唐松岳までは散歩気分、小屋から30分ほどの距離。そこからは、今回の山行の難所、不帰嶮にさしかかる。今日はヘルメット着用だ。山頂まで往復して、八方尾根を下山する人や五竜岳方面を目指す人が多く、この先を不帰嶮に向かう人は多くない。山頂は賑やか、朝空に富士山も浮かんでいる。もっともメインは劒岳方面の眺めであることに変わりはない。さて、靴紐を締め直して、行くぞ。

八丁平の草原
唐松岳頂上山荘からの立山連峰 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

危険な箇所は確かにある。しかし北アルプスのこと、ルートは整備されていて、問題箇所には鎖や梯子が付いているから、悪天候でなければ何の問題もない。いちおう不帰嶮は長野県が発表しているレーティングでは高い難易度になっている。実のところ、これまでで私が一番怖い思いをしたのは六甲山、芦屋のロックガーデンであまり踏まれていない登山道を歩いていて進退窮まったことがあるのだ。皮相的な印象はアテにならない。ともかく、風は吹くが快晴、楽しい岩稜散歩と言っていい。
 これまで北アルプスの山にずいぶん登っていても、塗りつぶしてみると随所で線が途切れている。7月のコースもそうだったし、今回も唐松岳から不帰嶮への主稜線でやっと欠落部分のひとつが繋がった。落ち穂拾いみたいな感もあるが、いやいや残ったところもなかなか魅力的だ。

不帰のキレットの前後で危ないところがあるかと思ったら、それは不帰二峰のあたりだけだった。要注意部分は短い。今回の行程中の最後のピーク、天狗の頭から先は広い稜線歩きになる。天狗池の畔の天狗山荘は営業休止中、いい場所にある立派な小屋なのに勿体ないこと。一部倒壊の影響とのことらしいが、前後を縦走する人は多くないだろうし、ここまで来れば1時間あまり下って鑓温泉ということになるから、営業的にも微妙なんだろうか。小屋の脇でおじさん登山者が休憩中、この人の相方は不帰嶮にかかったところで遅れがちになったので、関係ない人たちかと思ったら、やはり相方だったよう。どんどん先に行ってしまうなら、二人の単独登山者と変わらない。まあ、お互い納得ずくならいいのかも知れないが。

意外に曲者だったのが鑓温泉への下りだ。歴とした一般コースだが、ここは不帰嶮よりも危険ではないだろうか。これまでに事故も起きているようだ。温泉が近いと気も緩みがちだし、急な鎖場や一枚岩のトラバースなど、初心者だと腰が引けそうだ。この道を下るのは二度目になるが、こんなだったっけ。温泉しか記憶にないなあ。午後3時を過ぎて小屋に到着。
 私が風呂上がりのビールを飲んでいる頃なので日没近く、件の遅れたおじさんはにヘロヘロ状態で姿を見せる。「お疲れさま、お連れは中で寝ていますよ」と声をかけると、「さっさと行くのは、いつものことなんで」と意に介した様子もない。歳は私よりも上、二人ともそれなりの経験者なんだろう。それにしても不思議なコンビだ。一方、朝食のとき前に座っていた単独行のおばさんは、不帰嶮に行くかどうか迷っていたのに、何と午後1時過ぎには到着していたらしい。速い。おそるべし、おばさんの圧勝だ。

この日が鑓温泉小屋の最終営業日、紅葉の週末ということで満員状態だ。幕営場にも多数のテントが並んでいる。開放的なことこの上ない露天風呂、上の小屋から丸見えだ。前にあったかどうか定かでないが、女性用の内湯小屋もある。露天は午後7時から女性専用に変わる。まあ、夜になったら暗くて性別などわからない。中には水着姿で混浴に突入する大胆な女性もいて、男のほうが恥ずかしそうだ。標高2100m、天空の湯というところ。登山者ばかりか温泉マニアも5時間かけて登っている。この鑓温泉小屋も唐松岳頂上山荘と同じく、いろんなタイプの客が混在している。
 露天風呂からは東の山並みが一望できる。戸隠、高妻、乙妻、妙高、火打と、そっちのほうの山々だ。ここまで登るのは大変だけど、それでもやって来る温泉好きの気持ちはわかる。

超満員も予想されたが、何とか一人一枚の蒲団があたる。この小屋はプレハブなので夜はかなり寒い。毛布もないし、薄い敷布団の下は床板、冷えが伝わってくる。そりゃあもう10月、高山では冬のかかりだ。荷物は嵩張ってもシュラフを持ってきたら良かったかも。そんなことで、眠りが浅く、何度も目覚める。朝食後に朝風呂に入ってようやく体がほぐれた。温泉の背後の烏帽子岩が朝日に輝いている。

営業終了とともに小屋は解体される。そのためのスタッフも逗留しているようだ。猿倉への下りから振り返ってみると解体の理由がよくわかる。鑓温泉の位置に○印を付けているが、間違いなくシーズンオフには雪崩が襲うだろう。白馬鑓ヶ岳の東斜面にへばり付くように建っている小屋など吹き飛ばされてしまう。毎年毎年ずいぶん面倒なことであるが、ここに秘湯があり訪れる人がいる限り、この営為はずっと続くのだろう。

この下山ルート、温泉しか記憶に残っていなかったのに、なかなかの展望だ。今は紅葉が山裾を彩るということもあって余計に見事。途中の小日向平からはまさに絶景、まさに観光ポスターに使われる構図だ。白馬三山から栂池に連なる峰に赤や黄色の裾模様なのだから、見とれて飽きることがない。この季節しかない眺め、きっと涸沢あたりは超満員だろう。
 今回初めて使ったクライミング用ヘルメット、山スキーでヘルメットに救われたことはあるが、こんな普通の登山ルートでどうなんだろう。最近では一部山域では推奨ということで不帰嶮も含まれているが、岩稜よりも樹林帯の下山のほうで役に立ちそうだ。と言うのも、猿倉までに何度か頭上にはみ出した枝でゴツンとやったのだから。

八丁平の草原
小日向平からの白馬三山 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

朝風呂でゆっくりしたのと、景色に眼を奪われる時間が長かったのとで、猿倉に着いたのはお昼前になった。昨日の遅いおじさんを途中で追い越した。相方は今日もはるかに先行のもよう。バスが出た直後だったので次の便まで猿倉荘のテラスで一休み、無事下山を祝しビールで乾杯。ややあって、乗り遅れ客目当てのタクシーが上がってきたので4名で相乗りとなる。例のおじさんは、相方が先に風呂に入っているとのことで、八方尾根ターミナル前の日帰り温泉で下車。何だ妙な因縁、こちらと同じ目的地なんだ。ここの湯船からも白馬三山が真正面だ。ここに住んでいる人にとっては当たり前の眺めだろうが、遠来の登山者の目は引きつける。後立山連峰の山は大糸線沿線から丸見え、槍穂高と違うところだ。町から見える山、見えない山、どちらも魅力的だ。今どき東京からここへのアクセスは新幹線で長野経由がふつうというのも今回乗ってみて初めて実感したのだが、大糸線の車窓も捨てがたい。この日はちょうど白馬始発の臨時しなのの運転日、ガラガラの自由席で乗換なしで名古屋まで。

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