「インスタントラーメン発明記念館」改め「カップヌードルミュージアム」
2017/10/8

今年のノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏が選ばれたというニュースが駆け巡ったばかり、へそ曲がりとしては賞の対象は自然科学分野だけでいいと思う一方で、日本人が選ばれたのは喜ばしい。いや違った、この人は英国人だ。その伝で行けば、インスタントラーメンの発明者、安藤百福氏は台湾人でなく日本人ということになる。多くの人はこの人が帰化人ということ自体、知らないだろう。王貞治氏みたいなものか。いや、王さんは中華民国籍のままのはずだから、ややこしい。もしも半島の人だったらあれを発明したのは自国人だと声高に言い立てそうだが、台湾の人がそんなことを言うのを聞いたことがない。

インスタントラーメン発明記念館は営業の仕事をしていた頃、たまたま前を通りかかって、覗いてみようかと思ったら生憎の休館日、以来そのままになっていた。最近、カップヌードルミュージアムに名前を変えたらしい。チキンラーメンよりもカップヌードルのほうが世界的には通るだろうし、現に外国人の訪問者の姿が目立つ。入場無料。

博物館の表には安藤百福氏の像が建っている。カップヌードルの上に立ち、手にはチキンラーメンの袋、やはりこれでなくては。内部には同氏が日夜インスタントラーメンの開発に試行錯誤していたという小屋が復元されている。狭いスペースで明けても暮れてもラーメンづくりとは執念としか言いようがない。

チキンラーメンが世に出たのは昭和33年、瞬く間に国民食となったわけだが、私が東京で大学時代を過ごした頃、昭和40年代後半には東京では手に入らなかった。店頭に並んでいるのは、サッポロ一番とか明星チャルメラとか、どうしてチキンラーメンがないのだと驚いたものだ。今と違って西と東の隔たりは大きかった時代だ。帰省のたびに買い込んで東京に戻るということが続いた。そのようなインスタントラーメンの類似品が出回っていたのも、安藤百福氏が他社に瞬間油熱乾燥法など即席麺関連の製法特許を公開したからだ。「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」とは、なかなか言えることではない。至言、この人は偉人だ。

見学だけなら無料だが、ほとんどの人は300円を払ってオリジナル・カップヌードルの製造に向かう。空のカップを購入、思い思いにペインティングを施し、回転する機械で乾麺にカップを逆さまに被せる。半回転すればカップの中空に麺が浮いた状態となる。次にスープの種類と4種類のトッピングを選ぶ。上蓋を圧着し、シュリンク包装すれば出来上がりだ。オリジナル・カップヌードルを空気クッションの袋に入れ、それをブラブラさせながら阪急池田駅に続く麺ロードを歩くというのが定番のよう。大人も子どもも楽しそうだ。

壁面にはチキンラーメンに始まる現在までの販売商品が、年表よろしくずらりと並んでいる。見覚えのあるパッケージもある。最近では著名ラーメン店とのコラボ製品とか、地区限定のご当地商品まであるぞ。なんと、姫路の「えきそば」があるではないか。これが地区限定というのが残念だ。中華麺を和風出汁で食べるというこいつは癖になる味なのに。どうやらミュージアム内での販売もなさそうで、その代わりに「うどんですかい(UDON de SKY)」を購入。今はどうか知らないが、海外出張の帰りにJALのビジネスクラスに乗るとこれが提供されるのだ。しばらく日本食から離れていたタイミングでもあり、とにかくこれが美味しい。ついついおかわりを頼み、キャビンアテンダントに笑われたものだ。これは機内食として開発されたものだけに、気圧の低い場所の100℃に満たない熱湯でもOK、山登りの携行に最適かも知れない。こんど使ってみることにしよう。

見学を終えて、池田駅に戻ってもいいけど、これから行く川西市のみつなかホールは川向こう、歩いても時間は大差ないと思ったのが失敗だった。スマホの地図で見たときに渡れると思ったのに、そこには橋がない。なんだ洗堰か。ずいぶん遠回りしないと向こう岸には渡れない。仕方なく川西能勢口駅まで阪急電車でひと駅乗車する羽目に。越すに越されぬ猪名川というところか。

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