髙村薫「土の記」 〜 ここが舞台でなければ
2017/11/3

私の生地は奈良県宇陀市、本籍は今もそこにある。平成の大合併で宇陀市となったのだが、それに伴い戸籍の職権訂正通知が二度送られてきた。最初は合併により宇陀郡榛原町から宇陀市榛原区に変わるもので当然だが、二度目は「区」が取れるというものだった。政令指定都市でもないのに「区」というのは変だと思っていたら、地域自治区という制度が合併後しばらくの間適用されていたことを後で知った。合併前は榛原町、大宇陀町、菟田野町、室生村の四つの自治体だった。その大宇陀が、髙村薫の近作「土の記」の舞台になっている。これは読まずにおれない。

前世紀に書かれた髙村作品は数多く読んでいる。住友銀行本店からの金塊強奪を描く「黄金を抱いて翔べ」、原発テロを予感させるような「神の火」、国際的スパイが跳梁する「リヴィエラを撃て」、そして合田雄一郎刑事が登場する一連の作品など、ミステリーの分野で次々と傑作を世に問うていた人が、今世紀になってコロッと作風が変わった。まるで別人のようだ。「晴子情歌」、「新リア王」、「太陽を曳く馬」といった作品は手に取ったものの、晦渋さに途中で挫折した。最近のものでは「四人組がいた」という本は最後まで読んだものの、これは失敗作だと思う。 "田舎"、”年寄り”、"ユーモア"といった切り口での執筆だったと推測するが、"ユーモア"というのはどうもこの人の肌に合わないようだ。なんだか上滑りしていて詰まらなかった。それで、あとの二つ、 "田舎"、”年寄り”を主題にしたのがこの「土の記」ということになりそう。

物語の設定は極めて具体的だ。ときは平成23年8月までの一年あまり、72歳の主人公、上谷伊佐夫は東京の国立の生まれで、大学で地質学を勉強したあとシャープに就職、同社の葛城工場に勤務していたときに大宇陀の旧家上谷家の入り婿となる。代々の上谷家の女性は器量好しである一方で、亭主に飽き足らず外に男をつくるという血が流れている。伊佐夫の妻昭代も例に漏れず不行跡の疑いがあるなか交通事故で植物人間となる。その妻の死から一年ほど経ったときから物語は始まる。娘の陽子は離婚のあと孫を伴いアメリカに渡り、そこでアイルランド系の男と再婚する。照代の妹の久代は近在の羽振りのよい土建業者に嫁いでいたが亭主は急死する。久代は実家である上谷家に以前に増して頻繁に出入りするようになり、奇妙な共同生活が始まる。そして、カタストロフィーが訪れる。

初期の波瀾万丈のサスペンスを期待してこの本を手に取った人は、間違いなく途中で投げ出すだろう。図書館の予約件数が上巻と下巻で極端に違うことからも推定できそうだ。全体を貫く大きな流れは題名が示すように、どこの田舎でも繰り広げられている農作業そのものと言える。定年後農夫の伊佐夫が所有する何枚かの田圃で取り組む米作りの様子が、山間の季節の移ろいとともに微に入り細に入り描かれていく。まるで歳時記のようだ。そこに伊佐夫の脳裏に生前の照代の日常や交通事故の前後の様子が折に触れフラッシュバックする。人間関係は狭く退屈極まりない集落でも、伊佐夫の周りではそれなりに事件が起きる。娘の渡米、孫の逗留、外国人との結婚と里帰り、女子高校生の失踪事件、呆けが忍び寄ることの自覚、軽度脳梗塞による自身の入院。さりとて、それが大事件に発展するわけでもなく”土の記"においては点景のようですらある。このゆったりとした叙述に馴染むまでに相当な忍耐力が必要だ。

上谷家のある集落は"漆河原"とされているが、大宇陀嬉河原のことである。国土地理院の25000分の1地形図「古市場」を縦横に分割した第2象限の範囲が主な舞台になっている。この範囲に記載された地名のほとんどは本の中に登場する。西山岳、半坂、小峠、本郷、岩室、馬取柿、拾生…。さらに周辺になると、桜井、榛原、下井足、額井、戒場…。私には土地鑑があるものだから、そこの情景を想像するよりも、地名とともに現実の風景がだいたい目に浮かぶ。さすがに"漆河原"とはしているものの、嬉河原の屑神社はそのままだから、これだとモデルとなったのはどの家と特定すらできそうだ。妻昭代の秘密に関わる場所、半坂には本のとおりに自動車工場も実在する。髙村氏と大宇陀の山間の集落にどんな繋がりがあるのか知らないが、これで大丈夫なんだろうかとちょっと心配になる。

小学校に上がるまで私が住んでいた場所は榛原なので、大宇陀とは少し離れている。しかし、車で移動すればせいぜい15分のところだ。集落農家は高齢化が進んでいるとは言え、このあたりは過疎地域ということでもない。榛原から近鉄特急に乗れば大阪の街中まで1時間もかからない微妙な位置だ。兼業農家が多く昔ながらの農業を行う一方で、いろいろな回路から都会の空気が濃厚に漂って来る。伊佐夫が田圃に紛れ込んだ鯰を飼ったりする一方で、土建業を営む久代の嫁ぎ先はベンツを乗り回していたり、トイプードルを飼っていたりする。土地に田畑に繋ぎ止められた伊佐夫と、そんな軛を絶って東京にアメリカに行ってしまう娘陽子母子はまるで異人種のようだ。そんな昔と今、街と村の混交や連続が"土の記"の脇筋のように丹念に描かれている。ここには現代の農村の等身大の姿がある。それを感じるのは、緩いテンポで流れる起伏の少ないストーリーだからこそという面があるだろう。読了すれば、これは力作だということが判る。

伊佐夫が久代に誘われて大阪市内のホテルで開催されたフラダンスのイベントに出かけた日に東日本大震災が発生する。その後は天候不順で農作物の生育は芳しくないところに、夏の台風による紀伊半島大水害が起きる。
 ごく短いエピローグでは、奈良県下でも多くの死者が出て、その中には大宇陀漆河原の2名も含まれるという記述で終わり、伊佐夫と久代の災害死が暗示されている。上下二巻を読み通したあとでは、これは衝撃の結末ではなくハッピーエンドと私には思えた。

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