企画の勝利 〜 「清張鉄道1万3500キロ」
2018/1/18

そうか、この昭和の大作家もテッちゃんだったんだ。考えてみれば初期の傑作「点と線」は東京駅発車番線のトリックがキーになっていたし、その後も小説の中に数多く鉄道のシーンが登場する。この本は、北九州市立松本清張記念館の「第17回松本清張研究奨励事業」として纏められた報告書がペースになったものだという。一般公募で第一席になったという。著者の赤塚隆二氏は元朝日新聞記者、松本清張の小説に登場する人物たちが乗った路線を克明に調査し、時系列で乗りつぶしマップを書き上げて行くという趣向だ。

着眼点が秀逸、これは企画の勝利だろう。書き上げるまでの、全作品の(たぶん)再読、鉄道乗車に係る場面の切り出し、(ときには不明瞭な)乗車行程の推定、データベースの作成と整理、塗りつぶしマップの制作、そこまでなら鉄道ファン、清張ファンなら、時間をかければ何とかなる。それで終わってしまえば、たんなるマニアックな研究だが、その先が著者の真骨頂だろう。
 時代の流れに沿った章立てで、作品の梗概を紹介しつつ、日本の鉄道の変遷と社会の変化を自在な作品の引用を交えて書き進める。それぞれの時代に生きた登場人物の息づかいや、日本各地の情景がじんわりと伝わってくる。 もちろん、ここではこの区間を誰それが初乗りしたと、テッちゃん目線のコメントもしっかり入る。初乗り距離の合計は、国鉄・JR・私鉄を合わせて約15,000キロに及ぶという。
 たぶん、作家生活に入るまでの清張自身の人生や、売れっ子となった後の取材旅行で、清張も各路線に実際に乗っていると想像できるから、この作家は今でいう乗りテツ、それも相当のものだと思う。なかには主客転倒したような作家の名前も思い浮かぶが、清張の場合はほとんどの場合に物語が先にあり、それに深みを加える移動シーンの描写だから、まるで次元が違うのだ。そもそも、こんな企画が生まれること自体が破格だ。

自分自身、全集はじめ清張作品の9割方は読んでいるので、この本の各ページにある引用は、「ああ、そうそう、ここ、ここ」というものばかりだ。同じくテッちゃんでもあるし、これなら私にも書けたかも知れないと思ったりするが、そこはアイディア勝負、悔しいが先行者の勝ちである。ともあれ、定年後の時間のつぶしかたとしては最高の部類と言っていい。前述の調査研究部分なら、ネット上でボランティアを募り、何ならクラウドファンディングも絡めて、データベースを作成すれば、1か月程度で一気に完成すると思う。そういう手法もこの時代なら採れそうな気もするが、それをやってしまったら著者自身の楽しみがなくなってしまうわけだ。さぞ楽しい作業だったろうと想像してしまう。

出版の経緯からも判るように資料が充実している。各年代での初乗り区間が既乗区間に追加されて行くので、作家の活動に地理的な広がりが増すのがよく判る。巻末には一覧表が収録されていて、網羅的なインデックスとなる。各地域別の詳細な地図も多数、テツごころをくすぐる。これはテッちゃんだからできる仕事だ。終わりのほうに、初乗り区間に拘らない作品中の乗車距離ランキングがあった。私はてっきり「砂の器」の走破距離がNo.1だと思ったが第3位、「点と線」の王座は揺るがない。東京から九州、さらに北海道へというスケールには敵わない。「砂の器」が印象に残るのは、目的地となった羽越線の羽後亀田や、木次線の亀嵩へという長距離行の実距離ではなく距離感の大きさにあるのかも。

清張には同業者のファンも多く、後続者への影響力は大きなものがある。彼らによるコンピレーションものが複数出版されているほどだ。例えば、阿刀田高氏による「松本清張小説セレクション」の短編集(2009/5/2記事参照)には、「駅路」と「たづたづし」が収録されている。このテーマが通底する二編は私も好きな作品だ。もちろん、双方とも鉄道が重要なモチーフとなっている。「駅路」については初乗り区間があるため、この本でも触れられているが、「たづたづし」はない。既にそれまでの作品で誰かが乗車していたからだ。しかし調査結果は蓄積されているはずだ。著者に倣い、この短編をネタに私も試しに書いてみよう。

         * * *

この万葉集からとった題名の作品で、中央官庁に勤務する主人公が通勤に際して利用していたのは、西武新宿線の上石神井〜西武新宿、営団地下鉄丸ノ内線の新宿〜霞ヶ関ではなかろうか。本文からは特定できないが、自選短編集の解説で清張自身が「上石神井の環境を取り入れた」と書いていることが根拠になる。高田馬場で営団地下鉄東西線への乗換があるとしても、この作品当時はまだ東西線は開業していない。通勤途上で知り合い愛人となる平井良子も上石神井が最寄り駅だが、駅から方向違いで歩いて12〜3分、当時は武蔵野の名残があった一帯のようだ。「彼女の家はトラックなどが走っている往還から引っ込んだ所で、角に大きな百姓家が未だに防風林に取り巻かれて残っていた」と清張は書いている。往還とは青梅街道のことだろうか。
 良子の夫は恐喝傷害で仙台刑務所に懲役5年で服役中だったが、1年の刑期を残して釈放されることになる。驚天動地の打ち明け話を聞いた主人公が、自分の将来を脅かす愛人の殺害を目論み、学生時代の山登りで土地鑑のある中央線の富士見に連れ出す。清張は駅の西側の踏切を越えて釜無山の方向に向かうような描写をしているが、この場所なら中部山岳の大展望やツツジで名高い入笠山の名前を挙げるほうが自然だ。現地踏査なしで地図を眺めて構想したのかも知れない。
 首尾よく絞殺したはずの良子は生きていた。蘇生したが記憶喪失の状態、ルミ子という名で上諏訪の喫茶店に勤めているという。それが地元の話題として地方紙(たぶん信濃毎日新聞)のコラムに掲載されていたのを知った主人公は、再び中央線で上諏訪に向かう。良子の記憶が失われていることを確認するとともに、彼女に新鮮な魅力を感じた主人公は、過去の記憶を呼び戻す手助けをしたいと申し出、東京に連れ戻すことに成功する。帰途、甲府で途中下車、駅頭に迎えが来ていた温泉旅館のひとつに投宿し縒りを戻すことになる。それが湯村温泉なのか石和温泉なのかは判断できない。その後、良子を川崎市内の目立たないアパートに住まわせ、同一人物なのに新しい恋人という奇妙な関係が続くが、突然、良子がアパートから消える。新たな愛の巣は川崎市内としか書かれていないので、どの路線で通ったのかは不明だ。主人公の普段の通勤は新宿経由のはずだから、乗換のことを考えると小田急沿線の可能性が高いと想像する。
 ここで物語は二年後に飛ぶ。出世レースから脱落し傍流のポストに就いた主人公は、出張で木曾地方の視察に向かう。営林署の現場作業員の住居を通りかかったとき、二歳ぐらいの乳飲み子を抱いた良子の姿を偶然に発見する…
 強い印象が残るラストシーンである。現地の接待でこれから向かう福島の料理屋のことを説明されても主人公の耳には全く届かない。
 ここでテッちゃんの調査としては、帰京は木曽福島から塩尻乗換で中央西線・中央東線というルートかと推定するわけだ。そして、この頃にはみどり湖経由の短絡線などないので辰野経由である。

         * * *

なんだか長い感想文になってしまった。確かにやってみるとすごく楽しい。それだけ面白くって、ついついテツの血を騒がせる本だ。巻頭に掲げられた地図は総合版で、全容を示している(他に各地方版もあり)。人のことは言えないが、まあ全国隈無くよく乗ったものである。著者も書いているように、昔の都電や海外の鉄道については、一部に記述があるものの、調査は完全ではない。いつか「補遺」を付けた増補改訂版が出るのを期待したい。

〜 2018/1/20 追記 〜

足繁く通っている県立図書情報館から新着図書の案内メールが来た。「清張と鉄道 : 時代を見つめて小倉発1万3500キロ」、先日も連絡があり、読み終えたばかりなのに、またお知らせが来るとはヘンだなあと思ったら、違った。今回は北九州市立松本清張記念館の平成二十九年度前期特別企画展の図録のほうだ。つまり、この展示内容をもとに本にしたのが、「清張鉄道1万3500キロ」ということなのだ。県庁所在地や政令都市のレベルぐらいは、各地の図書館に寄贈しているのかも知れない。ともあれ、ありがたいこと、もちろん借りる。おっと、この表紙、Photoshopで合成しているんだろうが、いまどきなら"線路内立入!"ということで、大目玉を食らいそうだけど。

A4判44ページになる図録の構成は、「Ⅰ 清張・鉄道年表」「Ⅱ 清張鉄道1万3500キロ」「Ⅲ 作品を彩る列車たち」「Ⅳ 消えた線路」「Ⅴ 人気作品鉄道今昔」「Ⅵ あの頃の車窓」となっている。そのⅡの部分が大幅に拡充されて書籍化されたのだ。この展示ではデータ中心で、各時期の作品の引用なり社会の動きについては最小限の記述で纏められているが、そのバックには書きたいことが沢山あったんだろう、こりゃあ本にしようというのは納得できる。

展示ならではのヴィジュアル重視で、テッちゃん度の高い人に受けそうなのが、Ⅲ以降の内容だ。懐かしの列車の写真、九州北部の廃線探訪記、三大長距離走破作品(「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」)の新旧列車ダイヤ比較、往年の車内設備のようすなどで構成されている。ページを繰るのが楽しい。列車比較表はそれぞれの鉄道乗車場面について、現在の列車に当てはめるとどれに相当するかというもので、なかなかマニアックな内容だ。作品発表当時と今との所要時間の短縮は驚くほど。
 ふと比較表欄外の「注」に目が止まる。それは「砂の器」で塩山20:16〜新宿23:04に乗車した女が、車窓から紙吹雪を撒くというシーンについてなのだが、現在のダイヤだと塩山20:45〜新宿22:07の「あずさ34号」に相当となっている。この注は、「窓の開かない特急しかないので、紙吹雪は撒けない」である。ああ、マニア、ここに極まれり。

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