去年ながめたトレールを行く 〜 黒部五郎岳から笠ヶ岳へ
2019/8/4-8

一年前、槍ヶ岳のてっぺんで眺めた四囲の山々、西に広がる濃い緑の山並みに心引かれ、来年はあそこがいいんじゃないかと。学生時代に歩いたことのある黒部五郎岳から笠ヶ岳への長い稜線、訪れたのはかれこれ半世紀近い前のこと。

【 day 1 〜 勝手に"則巻平" 】

前日の夕方に富山入り、駅前のビジネスホテルに泊まって早朝5:30のバスで折立に向かう。3年前に薬師岳から立山まで歩いたときと同じ入山ルートになる。ここの登りは北アルプスのなかでも短くて、稜線まで楽に辿り着ける。初めて北アルプスに出かけた高校生の頃から数えてもう4度目の道。50年以上も山登りができるのは健康の賜物か。

樹林帯の急な登りを行くこと小一時間、ちょっとした平地になっているところに、見覚えのある看板が現れる。太郎を愛する会とかが設けたアニメキャラクターの看板だ。だいたいここで1回目の休憩となる。則巻平とかアラレスポットとでも言おうか、もちろんそんな名前は付いていない。もう少し登れば樹林帯を抜け、主稜線の姿が現れる。

この折立からの登りの途中で劒岳が見える。登りすぎると立山の陰に隠れてしまうので僅かのあいだ、振り返って有峰湖を眺める人は多くても、汗だくで先を急ぐ登山者の多くはピラミッドの遠望を見逃してしまう。

歩き出したのは8時頃、4時間半ほどで太郎平小屋に到着、お昼を過ぎた頃。だんだんと雲が出てきた。そしてこの後は雷雨、早い到着で私は濡れずに済んだわけで、これからの行程では毎日判で押したように午後には雷雨となる。とっても判りやすい夏山の天候である。

早く着いて部屋で寛ぐ。とりあえずは汗拭きシートですっきりして着替え、あとは外に出て生ビール、身体中に染みわたる。そして、雨がやって来た。遠くで雷鳴も響いている。しかし、1時間もすれば夕立も過ぎる。大きな根張りの薬師岳も姿を見せた。まだ食事まで時間があるから、受付で「雨上がりの生ビール!」なんて注文をする。だいたい野球場の値段と同じだと思っていたら、今では割高感がある。でも缶ビールより、やはりこちら。7月の間なら「越冬ビール」と称して、前シーズンの残りを格安販売する山小屋もあるのだが、もう最盛期の夏山だから遠に完売しているのだろう。
 週末を外して日程を組んだので、混んではいるがいちおう蒲団は一人一枚ある。男性の単独行者ばかり大部屋に収容、蒲団を敷き詰めると足の踏み場もないのが困りものだけど。

【 day 2 〜 湿原からカールへ 】

太郎平小屋は4方向の登山道の交差点にある。北へ薬師岳に向かう人が最も多く、東へ薬師沢に下り雲ノ平方面を目指す人がそれに次ぐ。私が辿る南の黒部五郎岳の道は最もマイナーなルートだろう。夕立の翌日、午前中の快晴は昨夜の星空から確信できる。たおやかな尾根を北ノ股岳へ向かい歩を進める。朝靄の向こうに最終目的地の笠ヶ岳も小さく浮かんでいる。

北ノ股岳へ続く広い稜線を行く。遠望して緑に覆われた山容が印象的なこの山域、歩いてみると池塘が点在し、高山植物が咲き乱れる。登山者の数は相対的に少ないとはいえ、劒岳・立山から槍ヶ岳へと続く北アルプスの主稜線だからそれなりの通行量のはず、木道を整備するかしないか微妙なところだろう。登山道が雨裂と化して傷んでいる箇所も目につく。

どちらを向いても名山が並ぶ。進行方向は北ノ股岳と黒部五郎岳、その稜線の向こうに笠ヶ岳の特徴的なピークがのぞく。振り返れば大きな薬師岳、右に目を転じると水晶岳の双耳峰が高い。同じ時期に入山する予定の学生時代のクラブのOB隊はあそこを目指す。順調に行けば。懐かしい人たちとは双六小屋で会えるはずだ。

本日の最大の登り、黒部五郎岳への山頂を目指す。そうか、ピークに登り詰めるのではなく、肩の位置でカールへの道に合流するのだった。稜線沿いに黒部五郎小舎に向かうならザックを持ったまま、カールを辿るならここでデポ、尾根道は熟達者向きとは書いてあるが、それほどでもなかろう。

結局、荷物を担いでもうひと登りするのが億劫になって、肩の分岐にザックを置く。空身で山頂往復だ。カールの縁を歩いて山頂に到着。見下ろすカールはそんなに高度や傾斜を感じない。涸沢などの印象とはだいぶ違う。横幅が広いというここのカールの特徴もあるのだろうか。

山頂からの眺めではカールの中央、その延長線上に位置する鷲羽岳が目立つ。ここまでも見えていたのに、他の山に気を取られていると等閑視してしまう。それだけたくさんの名山が見えているということだろう。過ぎて来た北ノ股岳なんて、周りの山に押されて気の毒だ。でも、薬師岳まではいかないが、かっちりした緑の山容は魅力的だ。

山頂でのんびり周りの山を眺めていると、あとから到着した登山者から「シャッターを押していただけませんか」と頼まれる。お安い御用ではあるけれど、「今度はこちらが押しましょうか」と言われるのはありがた迷惑。無碍に断るのも愛想がないので、山名盤をかかえて構図に収まる。大したモデルでもないのに、あまり自分の写真を撮るのは気が進まないのだけれど。

肩から少し稜線を辿り、巨石が点在するカールの底を目がけて急降下する。その直前、稜線上で思いっきり転んでしまった。這松に足を取られたのだ。人間の感覚はよく出来たもので、前方に倒れるまでのコンマ何秒で、どこにどう手を着けば怪我は防げるとかの考えが巡る。足許には岩もあるのだから、ヘタをすれば骨折だ。おかけで無事に着地、傷の一つもなかった。

黒部五郎小舎まで2時間ほどかかる。それだけ横に長いカールということだ。陽が高くなって暑い。稜線ではないから涼風が通るということもない。爽快な山頂から汗だくで水平道を行く。広いコルの黒部平が近づき、ようやく小屋が視界に入る。むかしここでテントを張ったはずだが、こんな景色だっただろうか。そのとき、テントの中で聞いた大きな雷の音だけは記憶に残っているのだが。
 太郎平小屋はかなり老朽化しているが、こちらはずいぶん綺麗だ。1泊2食付きの宿泊料金が一万円以下と以上の差があるのはそういうことか。例によって、小屋到着後に夕立、むかし聞いた大音響とまで行かないが、雷鳴も響く。

【 day 3 〜 双六小屋でタイムスリップ 】

日程の半ば、今回はそんなに厳しいコースではないし、この日は半日休養の位置づけである。ゆっくり歩いてもお昼には双六小屋に到着する。そこでわさび平小屋から登ってくる予定のOB隊を出迎えるという算段。私より一日遅れて東京を出て、双六小屋のあとは水晶岳方面へ向かう予定だ。下山は烏帽子小屋からなので、4泊5日ということには変わりがない。私の同期2名を含む7名のパーティーのはずが、直前に腰痛での離脱者が2名出て5名となった。自分もときどき腰痛に襲われるから人ごとではない。

出発を遅らせてもいいのだが、周りがゴソゴソし出すと目が覚める。というか、家にいるときだって5時には起きているから、山小屋で8時ぐらいから寝ているので、目が覚めて当たり前。ほの明るくなってくる頃には歩き出す。大きく空いた黒部平の窓越しに南の方角に笠ヶ岳の稜線がくっきり。

朝一番の三俣蓮華岳への登りはけっこうきつい。すぐに高度が上がるのは効率的ではあるが。振り返ると、ここからの黒部五郎岳のカールは端整な姿だ。笠ヶ岳の稜線も近くに迫ってくる。ほぼ水平の先にポコンと瘤のように飛び出している姿は、縦走路のどこからでもそれと知れる。

三俣蓮華岳は一年前にも来ている。眺めのよい広い山頂には大勢の登山者の姿がある。余裕の行程なので自然と休憩時間が長くなる。水を飲み、何だかんだと食べて、煙草を一服、そのあとはザックから取り出した双眼鏡の出番となる。オペラグラスもこんなところで役に立つ。

三俣蓮華岳から槍穂高連峰、笠ヶ岳を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

双眼鏡のメリットは遠くの白山を眺めるときに最も発揮される。北アルプスの稜線からは見えるには見えても、肉眼だとぼんやりした姿なのに、レンズ越しには頂上部の雪渓もはっきり視認できる。手前の黒部五郎岳のてっぺんに何人いるかも判る。こりゃあ重い一眼レフを持参するよりずっと楽しめる。

三俣蓮華岳からは尾根筋のルートを双六岳に向かう。双六小屋へは巻き道が二つあって、双六岳を経由しない登山者が多いのだが、私は絶対に山頂を通ったほうがいいよと吹聴する。巻き道には水場もあるし高山植物が豊富というセールスポイントがあるにしても、尾根道にも花々の姿はあるし、何と言っても山頂の大展望と槍ヶ岳を正面に見る天空の散歩道が待っている。

双六岳の頂上でもたっぷりの休憩だ。小屋のほうから登ってきた高校生ぐらいの二人連れ、「ここまで40分で登ったぞ」と自慢げ、ほとんど空身とはいえ元気なものだ。「ちょっと見てみるかい」と双眼鏡を渡してやると、「すっ、すげー、これいいっすねえ」と大袈裟な喜びよう。若いというのはいいものだ。私が初めて北アルプスに登ったのもあれぐらいの歳だった。

双六岳から槍穂高連峰を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

双六小屋に泊まるのは3度目、ここは好きな小屋のひとつ。あとから到着する5人グループの仲間だと伝えると同室をあてがってくれた。7人が5人になってその分が空いているということもあったようだ。落ち着いて生ビールの一杯も飲んだ頃にOB隊は到着するだろうと思っていたら、予想より早く同期の仲間が受付に現れた。昭和50年卒部の彼が会計係のようで代表でチェックイン、他のメンバーはというと屋外のテーブルで休息中。昭和42年のOBが最年長で、46年が2人、47年が1人に私の同期という構成だ。在学中に重なっているのは47年の人だけなので、ほか3名の先輩はあまり面識がないと思う。1年生の当時、入試がなかった3年生はおらず、クラブは4年生、2年生、1年生という歪な学年構成だった。

「こんなところで名刺なんて場違いですが」とか何とか自己紹介、屋外のテーブルでさっそく乾杯、記念撮影となる。同じ釜の飯を食った仲間なので、半世紀経っても違和感のないのが不思議。「最初の夏合宿で白山で雨に祟られ酷い目に遭いましたねえ」なんて、瞬時にタイムスリップしてしまう。部屋に戻れば食事までの時間に個人装備をあれこれ見せっこして遊ぶ。現役時代の年代物のポリタンを使っている人にびっくりしたり、衣類をまとめて入れる防水スタッフバックに優れものだなあと感心したり。私の超軽量雨傘は85gしかないですよと自慢したり、各自のポータブルバッテリーの重さ比べをしたりとか。他愛ないことで楽しめるのも同じクラブのOB同士ということか。長く山登りを続けている人の装備は新旧併存しているのが面白い。ビールのつまみのソーセージだとか、食前に梅酒だとか、私は余りそうな食料を放出して荷物を軽くする。

【 day 4 〜 南へ北へ、笠ヶ岳へ 】

午前中は晴天の保証付き、そんな天候が続く。水晶岳を目指すOB隊は一足先に出発だ。小屋の2階の窓を開けて見送る。こちらも身支度を調え入念に準備体操、彼らは北へ、私は南へ。しばらく歩いて双六小屋を振り返る。鞍部に建つ小屋の向こうに鷲羽岳、この山はここからが一番立派に見える。OB隊はあの山を越えて行く。反対方向、私が向かう笠ヶ岳も手招きしているよう。

早朝の時間は槍穂高連峰はシルエットだ。南に進むにつれてギザギザの山容が近づき、陽も当たってくるはず。アップダウンの少ない縦走路は快適、鏡平への分岐を過ぎると登山者の数は減る。笠ヶ岳方面へ向かう人は多くない。

双六岳のなだらかな山塊は、並み居るスターたちの中にあって、確かに見映えがしない。ここがその展望では北アルプス有数のものであることを多くの人に知ってもらいたい気がするのだが、まあそれも人の勝手、知る人ぞ知るでいいのかも。

槍穂高連峰に目が行きがちだけど、ここまで来るとその南の焼岳や乗鞍岳にも意識が行く。並んでいると焼岳は低いなあ。これも気の毒な山だ。分岐点の弓折乗越から少し登ったところが弓折岳、起伏の少ない稜線のうちのピークだから、名前が付いているだけでも有り難いというところか。「あの稜線の一番左のピークが笠ヶ岳ですね」とか、休憩していると他の登山者から尋ねられたので、「違います」と言下に否定。ここからは見えない。あの稜線に立ってはじめて向こう側の笠ヶ岳の姿が目に飛び込む。

この日の登りでは抜戸岳の登りが唯一歯ごたえのあるもの。小さなカール状の地形になっている秩父平を経て主稜線に出る。遠目では判りにくかった岩壁の姿が近くでは荒々しく迫ってくる。

稜線上ではないので秩父平は暑い。でも、休んでいるとそれなりに風も通るし、何と言っても角度が変わって大キレットが正面になった槍穂高連峰の眺めは最高だ。水が得られればいいキャンプサイトになるだろうが、いまどきの北アルプスはどこでもテントを張れるわけじゃない。

抜戸岳の稜線の向こうの笠ヶ岳に再び対面、双六小屋から眺めたときよりずいぶん近い。もう、なだらかな縦走路を鼻歌まじりで行けそうな感じだ。その名のとおり抜戸岩の隙間を通り、尾根道をどんどん進む。脇に逸れて途中の抜戸岳の頂上も踏んで行く。笠ヶ岳山荘の紅い屋根、黒い壁もはっきり見える。小屋の直下から山頂まではゴーロが続いている。笠ヶ岳の山頂はこのゴーロの暗色だ。左手下に見える同じようなドームには「緑の笠」の名前が付いているのが納得できる。

テントサイトを過ぎて、山小屋までの最後の登りはゴーロ歩きになる。到着。人も少ないようす。内部はゆったりとしていて、廊下や荷物置きのスペースも広い。2階の部屋の窓は槍穂高連峰に面していて、寝転んでご来光が拝めるという具合だ。これはいい。暗いうちからヘッドランプを着けて歩くという趣味がない私にはありがたい。

到着してややもすると、お決まりの雷雨の襲来、これで入山以来、4日連続。谷間に雷鳴が轟く。読むのに時間がかかる新書(山本博文「天皇125代と日本の歴史」)を一冊だけザックに入れてきたので、そのページを繰る。系図と本文を交互に見ていくのでなかなか先に進まない。睡眠導入にもいい本だ。

うとうとしかけた頃、外が明るくなってきた。窓をのぞくと、「うわっ、何だ、これは」と、慌てて表に飛び出す。雨上がり、蒲田川から高瀬川へ、見事なアーチが架かっている。まるで槍穂に架ける橋、しかもよく見るとダブルだ。ちょっと大袈裟だが奇跡の一枚か。もちろん何回もシャッターを押したのだけど。虹が消えたあとは光のショーの開幕、日没が近づくにつれ槍穂高連峰の色が移ろっていく。笠ヶ岳の稜線の陰が徐々に上昇していく。山中の宿泊最終日に思いがけない光景に遭遇することとなった。すれっからしの山屋にしても心ときめく一瞬が続く。

笠ヶ岳山荘から槍穂高連峰を望む 8/7 16:13 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)
笠ヶ岳山荘から槍穂高連峰を望む 8/7 17:12 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)
笠ヶ岳山荘から槍穂高連峰を望む 8/7 18:39 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)
笠ヶ岳山荘から槍穂高連峰を望む 8/7 18:41 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)
笠ヶ岳山荘から槍穂高連峰を望む 8/7 18:46 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

【 day 5 〜 緊張の大下り 】

北鎌尾根のあたりから日が昇る。居ながらにしてご来光というのは山頂直下の山小屋ならではのこと。何も頂上まで行く必要はない。あれっ、富士山も見えているぞ。昨日は気付かなかったが南アルプスの陰にちょこっと姿を見せている。甲斐駒ヶ岳と被るのだが、あのコニーデは見間違うはずもない。

行程最後の下山が一番の山場というのもヘンだが、実際にそのとおりなのだ。朝一番の笠ヶ岳への登りはせいぜい20分程度、あとはひたすら下る。クリヤ谷を下降する人はほとんどいない。抜戸岳まで引き返して笠新道を辿るのがどうも一般的なようだ。ずっとザックに入れたままのテーピングキットを初めて使ってみる。ここで使わなければどこで使うという代物だから。さらに上からサポーターなので膝のケアは万全、若い頃ならそんなことには頓着しなかったのに、この歳だから予防専一。

下りはじめはゴーロが続く。小屋から頂上までもそうなのだが、こちらはかなり不安定でルートも判りづらい。ガスの中だったらちょっと危険だ。そして、その先、クリヤ谷の頭までは稜線上ではなく西側斜面の巻き道になる。これが難物だった。笹が伸びて登山道を隠す上に右下がりの傾斜、足許には朝露に濡れた岩がゴロゴロというルートになる。いきなり、向こう臑をしたたか打ってしまった。折れたわけではないから、歩くのには支障がないにしても痛い。休憩時、瘤が出来ているのに気が付いた。これは益々慎重に下りる必要があるぞ。

ともかく長い下り、50分歩いて10分休む、その繰り返し、足を前に出しておればやがては麓に辿り着く。体力と根気、それしかない。稜線上の目印のような雷鳥岩を通過すると、いよいよクリヤ谷に入る。焼岳を正面にどんどん高度を下げていく。風はなく暑い。誰にも会わない。標高2140mあたり、最後の水場付近で、ようやく登って来る人がいた。その後に2人とすれ違ったので、クリヤ谷を登る人はこの日3人。途中でほとんど空身の元気なジイサンに抜かされたので、登り下りで5人という勘定になる。後立山連峰の船窪小屋と烏帽子小屋の区間のような感じか。歩きにくさということでもイメージが近い。

このクリヤ谷は携帯の電波が届く。対面には新穂高ロープウエイがあり、麓の鍋平の建物も見えているから4Gのマークが3本立つ。休憩の都度、友だちに現在地の標高を伝える。岐阜県警に登山届を出しているし、どこかで動けなくなっても速やかに発見されるだろう。なにしろ人の通らないルートだもの、セーフティネットは重要。

そんなとき、気になるメールが飛び込んで来た。双六小屋で別れたOB隊に不測の事態が発生したとのこと。双六小屋を出発し三俣山荘に到着した段階で、メンバーの体調が悪くこの日の水晶岳往復を中止し、昨日は三俣山荘に停滞したらしい。ここには診療所があり軽い高山病と診断されたよう。それで、この日は2隊に分け、1人が付き添って高度の低い鏡平まで下山、残る3人は水晶岳を往復し当初予定の烏帽子岳への縦走は断念、折り返し双六小屋経由で後を追って新穂高に下山するということ。
 これは極めて妥当な判断。とにかく高度を下げる。誰かが必ずケアをする。パーティと連絡先とで情報を共有する。実は、双六小屋で同室だった中年3人連れはもう1人を鏡平に捨てて登ってきており、体調がよければ明日登ってくるかも知れないなんて気楽なことを言っているのを耳にしていただけに、その落差が際立つ。双六小屋と鏡平山荘は同じ経営で、安危確認の電話連絡ぐらい容易なのに。

錫杖岳を横目に過ぎる頃、クリヤ谷の下降でひとつ気になっていた地点が近づく。標高1300m少しのところでの徒渉だ。橋やロープなどはなさそうだし、増水していたら危ないかも知れない。登って来た人に尋ねると、1人は飛び石を踏み外して靴が水に浸かったと言い、もう1人は何とか濡れずに渡ったと。まあ、その程度なら心配あるまい。濡れるのを気にしていたら反って危ない。しっかりストック突いて、それを支えにジャブジャブと行けばいいのだ。そして、その徒渉は難なくクリア、といってもスパッツを着けていないので、水面下の岩を伝って渡った際に靴の中に少し浸水。

クリヤ谷の長い下降の終点は槍見館のすぐ脇、今や海外からの旅行者も多い高級旅館だけど、5日間の汗と汚れを落としに立ち寄る。
「日帰り入浴お願いします」と、髭面の汚い格好でフロントに立つ。
「ああ、申し訳ないんですけど、2時までなんですよ。それ以降は宿泊のお客様になりますので」と、すまなさそう。
「えっ、槍見の露天風呂に入りたかったのに。あの岩の上で槍ヶ岳を眺めようと思っていたのに残念。そうすると、近くでお風呂に入れるところは」
「この先の橋の下に新穂高の湯があります。それと、ひがくの湯というのが川の反対側にあります」

新穂高の湯というのは、無料の露天風呂だ。道路から身を乗り出せば丸見えになる。そんなことは全く気にせず、ザックの奥から着替えとカミソリを取り出す。裸になると、沢で冷やしたおかげか瘤の腫れは少し収まっているものの擦りむいている。でも、この露天風呂はぬる湯なので傷ありの身体にはちょうどいい。私が来たときには誰も入浴していなかったが、後から何人かが訪れる。90ccのスーパーカブで神岡からわざわざ風呂に入りにきたというおじいさんが気さくに話しかけてくる。
「車で来たのかえ」
「いや歩きで。いま山から下りてきたところですわ。富山から山に入って」
「ひえー、そりゃ大変だべ」

この新穂高の湯は標高960mほど、笠ヶ岳山頂が2897mなので、標高差にすると2000m近い。ちなみに、上高地は標高1500mだから、そこから槍ヶ岳や奥穂高岳に登っても1700m足らず。北アルプスの一般コースでここまでの高度差があるところは早月尾根を別にすれば他にない。それもクリヤ谷の登山道が敬遠される理由のひとつだろう。その分、辿り着いた温泉は格別ということ。

すっきりして中尾高原口から1時間に1本出ている高山行きのバスに乗車する。車内に足を踏み入れると、半分以上が外国人旅行客だ。途中、ほうのき平で乗鞍からの乗換客を拾うと、外国人占率は80%近くになる。国内の路線バスとは思えない雰囲気。近隣の国の人たちは団体バスでやって来るのか、乗客は欧米系、分けてもラテン系の人たちだ。彼らの手には分厚い"Lonely Planet"、高山の人気が高いとは聞いていたものの、これほどとは。古い街並み、温泉、高原、山岳、世界遺産というあたりを周遊するのだろうか。高山の駅も見違えるほど綺麗になっている。地方の観光都市らしく駅前に土産物屋が並ぶのは変わらず。駅正面の横断歩道に信号がないのはいい。困ったのは、山から持ち帰ったゴミ袋や空のペットボトルを捨てるところがないこと。これだけ外国人観光客がやって来ると、民度の低い国の人も混じるからなんだろうと推測する。駅のホームに入ってやっと処分できた。

さて、今回の山行にはオマケがあって、帰りは名古屋経由になるのだからと、ナゴヤドームの中日・巨人戦のチケットを予約していた。途中からでも観戦できるかなと思っていたが、そんなに甘いものではなかった。スマホチケットだから直前値下げ転売も可能だったが、そこまですることもなかろう、1500円の外野席だしと流すことにした。なんてったって登山の安全第一だもの。栄の1泊4000円ちょっとのビジネスホテルに泊まり、翌日は松坂屋の開店と同時にあつた蓬莱軒の行列に並ぶ。ビールとひつまぶしで無事下山を祝う。さすがに平日だけあって、栄光の一番乗りだった。

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