後立山のミッシングリンクを繋ぐ
2019/9/16-18

北アルプスに足を踏み入れてから半世紀が経つ。未踏の山は数少なくなっているものの、広い山域なので空白部分も残っている。主稜線で言えば立山連峰は劒岳から槍ヶ岳まで繋がった。一方、並行する後立山連峰では僅かの距離の未踏部分がある。五竜山荘と唐松岳頂上山荘の間、歩く時間にして2時間あまり、そこを繋ぐため今シーズン二度目の北アルプスへ。夏にも冬にもなる微妙な時季である。

登りは機械力に頼り、遠見尾根のゴンドラとリフトを使う。そこから稜線に出て空白区間を埋める。下山は黒部側へ、祖母谷温泉にというプランを立てた。ゆったり日程の山中3泊4日、最後にとても長い下りがあるのは、先月の笠ヶ岳クリヤ谷と同じだ。ここは人より熊のほうが多いコースになるだろう。

腰痛で先月のクラブOBの水晶岳山行を断念したS君に声をかけたら行くということになり、松本で合流し遠見尾根の麓の神城で前泊する。大特価素泊まり3500円という破格値、シーズンオフだといいことがある。リバーサイドやまやという宿、スキーシーズン以外は音楽合宿の客を狙っているのか、別棟のスタジオがある。夜に到着し、すぐに翌朝のゴンドラ乗り場への送りを頼む。ネット予約時にコメントを入れていたけど、伝わっているとは限らない。宿の都合もあるから念押しが大事。先の天候は微妙なところだが、いまは十六夜の名月。

むかし、五竜岳から鹿島槍ヶ岳へ縦走したときも遠見尾根を辿った。リフトの終点1650mがスタート地点になり、主稜線までの標高差は1000mに満たない。もう夏山シーズンではないので、始発は8:15と早くない。ともあれ、長い尾根だが傾斜は緩やかで、苦しい部分の登りが省略できるのは有り難い。

でも、よいことばかりでもなさそうで、高山病になりやすいS君にしたら、いきなり標高が上がるのはきついのだろう。登るにつれて歩みが遅くなり、息も荒くなる。途中、前方の笹が大きく揺れて動物の気配を感じ、熊除けの鈴を思いっきり鳴らしたのだが、彼は気付かなかったようだ。ちょうど下山してきた女性グループの一人が「何かいるみたいですよ」と言っていたので、彼女らも察知していたようだ。こんなところで熊に遭遇するのは御免被りたい。

リフトを降りた頃は唐松岳や白馬三山方面の眺めもあったが、だんだんガスに包まれ、細かな雨になった。明瞭な低気圧はないが気圧の谷であるのは間違いない。そんなこと、雷鳥はよくわかっている。足から腹にかけて、今は冬季モードに移りつつある姿だ。主稜線の白岳に着いても、すぐそこにある五竜山荘も見えない。明日になれば少しは回復するかも知れないが、大きな期待はできそうもない。

五竜山荘には予約を入れていたので、2階の個室に案内される。二つの三連休の間なので空いてるのは判りきっていたが、同じ料金で予約無しの登山者だと1階の板の間の蚕棚というのは待遇の差がありすぎ。1階は薄暗いし、カーテンしかなく、奥からトイレの臭いも漂ってくるのだから。こちら畳敷きの個室で寛いだのはいいが、S君は喉の調子も悪いと言う。高山病気味に加えて風邪か。汗と雨で濡れたのがよくなかったのか。前に診療所でもらっていた風邪薬の残りを渡す。明日のようす次第では行程の変更もありうる。

翌朝、熱もないようだし、前日から食べ過ぎじゃないかと思うぐらいS君の食欲はあるので、歩くのには問題なさそう。しかし天気はいまいち、雨こそ落ちていないが小屋はガスに包まれている。天候のこともあるし、高山病の症状があるなら、五竜岳の往復は省略するのが賢明、唐松岳頂上山荘までは大して時間もかからないし、そこで泊まるか、一気に下山するか考えることにする。八方尾根の下りなら問題ないし、高度を下げれば高山病は治る。

唐松岳に向けて歩き出すとガスも晴れてきた。朝登らなかった五竜岳も姿を現す。その右手には劒岳も。天気は回復基調か。稜線歩きに雨風は願い下げなので、これはよい傾向だ。ただ、2500mぐらいの稜線歩きなので、登りの局面になると前日同様にペースが落ちる。そんな感じで歩いて行くと、立山にかかっていた雲も薄くなって、黒部の谷を挟んでようやく連峰の眺めが得られる。

唐松岳への稜線から立山連峰を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

二人で出かけることにした当初、唐松岳から先、S君は白馬岳方面を目指し、私は祖母谷温泉へ下りるという話もあったが、パートナーが体調不良の状態で、私は予定どおり黒部の谷へ下りるなんてことは出来ない。祖母谷温泉に下りるには、長い行程を考えると、唐松岳頂上山荘に宿泊して早朝の出立が必須になる。そうすると稜線上では体調回復が微妙だし、翌日の長い下山だと到着前に日が暮れてしまうという懸念もある。もちろんスリップや道迷いなどの事故のリスクも高まる。さらに、祖母谷温泉小屋には予約を入れているので、途中の餓鬼山避難小屋に泊まるという事態になると、唐松岳頂上山荘は出発したのに不着となり、黒部の谷は携帯の電波も届かない山域なので、あまり好ましい状態にはならない。この下りは、2年前に高齢単独行者の遭難があり、一週間後に救出という事故があった場所だ。

唐松岳頂上山荘に着く頃には腹は決まっていた。このまま八方尾根を下山する。小屋の下のテント場を抜けて谷に下りていく祖母谷温泉への道には未練はあるが、山は逃げない。無理はしない。あと3時間も歩けばリフト乗り場に到着する。まだ午前中の早い時間だから、何の問題もない。一投足の唐松岳山頂を踏んでから八方尾根に向かう。小屋の直前のトラバースルートは山肌の崩落で尾根どおしの道に変わっていた。

下りはじめは振り返ると不帰嶮も見えていたが、やがて雨が落ちてくる。またしても悪天の気配を察知したのか雷鳥のお出ましだ。登山道の真ん中で逃げる気配もない。あと下りも1時間という場所、八方池も霧の中だ。それでもトレッキングの人の姿がそれなりにある。

麓に下りてしまうと、体調のこともあってS君はにわかに里心がついたもよう、ちょうど長野行きの特急バスがあったこともあり、八方バスターミナルで別れる。長野から新幹線に乗れば、遅くならない時間に千葉の自宅に戻れるだろう。結局、予定の山中3泊4日が1泊2日となった。まあ、こんなこともある。考えてみれば、最近でも何度か一緒に山に登ってはいても、日帰りのことが多く、高山の縦走はしていなかった。お互い歳もとったし。
 S君と別れたあと、バスターミナルの隣にある八方の湯で汗を流し、白馬駅まで歩く。シーズンオフのスキー場は休業中のところも多く、何だか侘しい感じ。大糸線の電車の本数は少なく、名古屋経由で帰宅するにはちょっと厳しい時間だ。こちら、慌てて戻る必要もないので、松本駅近くのホテルに泊まる。当日割引5300円朝食付き。

翌日は早朝の街歩き。五竜岳の往復に使うつもりでいた超軽量サブザックが、こんなところで役立つとは。少し雨が落ちたが気持ちのいい散歩。松本城の堀端を抜けて、まだ行ったことがなかった旧開智学校を目指す。ここは間もなく国宝になるらしい。むかしNHKでやっていた「魔法のじゅうたん」という子供向け番組、そこに開智学校が登場したことをなぜか覚えている。あのころはまだ現役校舎、その回は、ここの在校生が番組に出ていたのだろう。当時は私も子供、この番組では黒柳徹子が子供相手に普通に敬語で話すのがとても新鮮だった。

旧開智学校の開館は9:00、博物館は概してこんなものだが、もっと早くしてもいいかも知れない。人の少ない早朝に散歩がてらに観たいという人も多いだろうし、現地に待機しているボランティアの人たちも、朝早いのが苦になるような年齢ではない。観光立国を標榜するなら、こんなところにも柔軟さが必要だろう。

門が開く前、隣の旧司祭館に入る。ここも9:00からのはずなのに、既に開いている。入場無料で、管理人の気配もない。時間待ちにはちょうどいい。どちらの建物も移設したもののようで、松本城の北側、このあたりはレトロな建物のゾーンになっている。

旧開智学校には開館一番乗り。外観といい内装といい、ずいぶんと整備したもののようだ。当時の机と椅子のレプリカ、今の子供よりも体格が小さかったのだろう。ダルマストーブは懐かしい。小学校にはあれがあった。周りを金網で囲っていたはず。近くの席は暑くて、遠くは寒いという代物だった。給食のパンを上に乗っけて焼いたものだ。かと思えば別の展示室には、子供が描いた戦時中のポスターが並んでいる。「防諜」なんて、いまどきの小中学生の語彙にはない言葉だ。子供にこういうものを描かせるような時代の空気を濃厚に感じさせる。

戻りに開運堂でカミサンと職場への土産を買って特急しなのに乗車、夕方に帰宅したら、山のような洗濯物の片付け。そして、後日譚。帰宅翌日になってこちらも喉の具合がおかしい。3日の潜伏期間を経て風邪の症状が現れた。五竜山荘の気密性の高い個室、食堂での缶ビールの回し飲み、これだけ感染経路が特定できることも珍しい。今季は異常な立ち上がりと言われているインフルエンザでなかったのが幸いか。

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