新春酒蔵ハイキング 〜 畝傍山へコースアウト
2020/1/19

近鉄の「酒蔵みてある記」のハイキングはここ数年で行く尽くした気がする。毎年冬が近づくとポスターが目に付くのだけど、目新しいコースがないのが残念。だから行かないという選択ではなく、試飲の大盤振る舞いを厳選して参加というのだから、酒飲みはどうしようもない。ウォーキングだよとカミサンを誘い出して、「御代菊」喜多酒造の回に出かける。端からマップのコースを歩くつもりはない。畝傍山に登って、酒蔵にゴールという寸法だ。

橿原神宮前駅に着いたのはスタート時間帯の終わりの頃、用意されていたマップが出尽くしたのか、いつものものではなくコピー、お楽しみ抽選会の番号もない。駅員の人がお詫びしている。天気もいいし、盛況は結構なこと。こちらは近鉄電車に乗らずクルマを近くのスーパーに置いているのだから文句を言う筋合いではない。橿原神宮の横の深田池には水鳥が群れている。パン屑を持ってきたらよかったとカミサンは言うが、それは数日前のロールキャベツで一掃したらしい。もう1月も下旬に近く、橿原神宮の初詣の人の姿は少ない。

さあ、ウォーキング、「すぐに着いても仕方ないから、西側の畝火山口神社のほうから登るよ」とカミサンに言って、山腹の道を西に向かう。こっちの神社のほうが明治に出来た橿原神宮よりはるかに古い。こぢんまりした風情のあるお宮さんだ。ここから地図にある西側の尾根道を登るつもりで、畑の中の道を進む。作業中のおじさんが二人いたので尋ねてみた。

「ここから上まで行けますかね」
「いやあ、この先は無理やで。昔はいっぱい道があっててっぺんまで行けたんやが、この先は藪や。神社のとこから登らなあかん」
「そうですか。地図には道が出ているんですけどねえ」
「あの宮さんは昔はてっぺんにあって、そこらの村から登れる道があったんや。下に降りてきてからは、宮さんの脇から登る道だけや」

カミサン連れだし、逆らってまで藪漕ぎすることもない。素直に地元の人に従うことにする。おじさん二人が休んでいた横にあるのは綿の実だ。カミサンが興味津々に眺めていると、おじさんが「持って行き」と。カミサンは綿毛の中に種があるので、庭に植えてみるという。お土産まで頂戴して神社のところから登る。

地図にある道との分岐が途中にあったから、やはりなにがしかの登山道があるに違いない。下ってみたら解ることだが、そこまですることもない。頂上にはおじさんが言っていたとおり、畝火山口神社社殿跡の石標が建っている。前に登ったときには見過ごしていたものだ。どうも神武天皇陵や橿原神宮を見下ろすのは不敬であるとのことで、戦前に麓に移ったらしいが、こんなところにも皇国史観の陰が落ちているのか。

下山は東側へ、橿原神宮の奥にある若桜友苑に降り立つ。ここは前にも来ている。予科練の戦没者を祀るところで、戦時中に使われた各種航空機の絵が並んでいる。子供の頃にプラモデルで作ったものも何種類かある。航空母艦瑞鶴の碑というものも苑内にある。この空母は真珠湾から歴戦を重ね戦争末期に沈んだ船ということだ。つまり、ここは旧海軍関係の慰霊施設ということになる。祀られている対象がはっきりしていることで、隣の橿原神宮に参るときよりも、よほど厳粛な気分になる。

本来のハイキングコースは橿原神宮前駅から神宮や神武天皇陵を経て今井町まで行き、そこかで折り返して喜多酒造に向かうというものだ。我々が歩いたのは全然違う方角ということ。ともあれゴールは同じ。酒蔵の前に出来た列に並ぶ。

左党にとって喜多酒造の試飲は魅力的。到着時に振る舞われる甘酒の紙コップで試飲する人がかなりいる。試飲のプラスティックのコップの2倍は入るのだから、気持ちはわかる。鉢に注がれた何種類かの酒を柄杓で好きにつげるのだからコップの容量はあまり関係がないのだけど。ともかく酒蔵の中庭は立ち飲みの人で溢れている。早く到着したグループはもう出来上がっている。お酒がまったくダメなカミサンは呆れ顔だ。帰りの運転はお任せ。

最近スマホを替えたので、今回ウォーキングに初めてgeographicaアプリを使ってみた。これはなかなかよく出来ている。山歩きで使う人が自身のニーズに合わせて開発したということがよく分かる。これは使える。自宅に戻り、歩いた軌跡を表示してみると、GPSの精度か測定間隔の設定の問題なのか、大縮尺の地図では微妙にズレているところもあるので、次はいろいろ試行してみよう。畝火山口神社付近で引き返した箇所も正確に表示されている。喜多酒造のなかで何種類もの試飲でウロウロしたことまで記録されているのはご愛敬だ。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system