西穂高岳に登る 〜 ゆったり、まったり
2020/9/22-24

今年の北アルプスは狙い目、著名なエリアともなれば例年だと混雑した山小屋や登山道というのがお決まりなのに、新型コロナウィルス感染症による自粛ムードの結果、快適な山行か楽しめるのだから、塞翁が馬の謂のごとし。

【 9/22 … 台風はどこへ 】

夏山ハイシーズンの8月には人の姿もまばらで、これが上高地かと驚いたものだったが、Go Toキャンペーンも10月からは東京都の参入が決まり、その直前の4連休ともなれば我慢できなくなった人たちが押し寄せる。ひと月あまり遅く、ようやく河童橋に夏の賑わいが戻ってきたようだ。もっとも、中国語も韓国語も聞こえてこないところが従前通りではない。

出発予定の日が近づいた頃、歓迎されざる来訪者の気配、日本近海で発生した台風12号だ。連休終了後に出かけるつもりだったが、予定を一日繰り上げて台風接近の前に登ってしまおうと予約を変更する。4連休真っ只中ならともかく、最終日なので山小屋も余裕がある。まあ、進路予想なんてコロコロ変わるものだから、せいぜい二日先ぐらいのことを頭の片隅に入れておけばいいこと。

梓川沿いの遊歩道から、西穂高岳への登山道に入る。ここから先は、ぱったりと人の気配が消える。樹林帯を進むと、あちこちに動物の糞が残っている。岩の上の細く黒いものはテンとかイタチあたりだろうか、茶色でやや太いものはサルか。上高地でツキノワグマが出没しているから、それかも知れない。動物の臭いがするあたりでは鈴に加えてホイッスルを一吹き、クマには出くわしたくないもの。

ゆっくり登っても3ピッチで小屋に辿り着く。稜線に出て焼岳への分岐に着いたらあとわずか。上高地への道ですれ違った人は20名ほどだったが、西穂山荘の前は賑わっている。新穂高ロープウェイで登り、西穂独標か西穂高岳を往復という人がほとんどなのだろう。日帰りも可能なコースだ。こちら、天候次第だが、一日早めた結果、二日の日程が三日になり、西穂山荘連泊という超余裕のスケジュールなのだ。

【 9/23 … 思わぬ快晴 】

予想よりも台風12号はずいぶん東に逸れた。房総半島の沖を北上するコースを辿りそうで、これなら大丈夫、西に離れた中部山岳への影響はない。日頃の行いがよいわけではないはずなのに、どこかでよいことでもしたのかも知れない。昨日に続いて快晴。

西穂高岳までにはいくつものピークがある。独標の先に並ぶ相似形のようなピラミッドの二つ目が西穂高岳の主峰、標高2909m、大した距離でもないのにコースタイムが3時間とは、アップダウンのせいか、それとも悪場が多いのか。

蒲田川の谷を挟んで笠ヶ岳、近くてよく見えるのだが、この方角じゃなくて、双六岳あたりから南望するほうが印象的な山だ。東側からの眺めだと、抜戸岳・弓折岳を結ぶ稜線がほぼ直線になってしまうので、のっぺりした姿となる。その替わりに笠ヶ岳東斜面の縞模様がよく見える。遠い昔のカルデラの痕だということだが、その何層にも及ぶ水平のラインから繰り返された巨大噴火を想像するのは難しい。あの笠ヶ岳は今年の夏は閑散としていることだろう。なにしろ山頂直下に建つ笠ヶ岳山荘が営業休止なのだ。体力自慢の山屋が鏡平山荘か双六小屋から、はたまたわさび平小屋から長い登山道を往復するぐらいのことしかできない。

さて、西穂山荘から少し登れば丸山、そこから先はだんだん岩が多くなるものの独標まではごく普通の登山道だ。私ぐらいの年代だと昔ここで起きた松本深志高校の落雷遭難のことを思い浮かべる。昭和42年のことだから、遭難者たちは私とほぼ同年代、大学のクラブの少し上の先輩に同校OBがいた。その人からこの事故のことを聞いた覚えはないけれど、在学期間としては重なっているのかも知れない。雷のことよりも、山でヘビを捕まえてはカレーだかクリームシチューの鍋にぶち込んだという逸話のほうが記憶に残っている人だ。ともあれ、独標付近にはそんな遭難碑は見当たらない。きっと建てなかった理由があるのだろう。

西穂独標から望む焼岳と白山遠望 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

西穂独標には10人近い人がいた。まあともかく快晴微風、ここまでの往復の人も多いようで、四囲の山々を眺めて立ち去りがたいという様子だ。今年の春から夏にかけて安曇地方では地震が頻発しており、落石や登山ルートの損傷などが起きているようだ。独標の岩場にも立入禁止エリアが設けられている。この先を考えて、そこにストックをデポすることにした。この独標にはP11という別名がある。すなわち、西穂高山頂をP1として11番目のピークになるようだ。それは山頂に辿り着くまで、ここから大小合わせて岩の多い9回のアップダウンがあるということになる。

西穂高岳山頂は無人だった。小屋を出たのが最後のほうだったから、西穂山荘から往復して下山する人はもう帰途についただろうし、奥穂高岳から縦走の人はまだ到着しないという時間帯なのだろう。この先、奥穂高岳までの稜線はなかなか手強そう。とは言え、岩登りルートじゃないし、市販の登山地図にコースが表示されているわけだし、慎重に歩けばいいのだが、今回の予定はここまで。このルートの問題点は小屋から小屋までが長時間に及ぶということだろう。混雑しない今年の夏がほんとうはベストチョイスだったかも知れない。

西穂高岳から望む槍穂高連峰 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

時間はたっぷりある。静かな山頂で長居をしていると、奥穂高岳からの稜線上に人の姿が現れた。女性の声らしきものが聞こえてくる。やってきたのは若いカップルだ。

「いやあ、お疲れさん。大変だったでしょう。時間がかかりましたか」
「奥穂から6時間ぐらいですかね。逆層のスラブが一箇所あって嫌らしかったですけど。それと、前穂の吊尾根で滑落があったみたいです。あっ、ここ、auの電波入りますか」
「私もau、繋がりますよ」

いきなり、何のことかと思ったら、大学のオンライン授業のよう。コロナ禍で講義がこんなことになっているのか。リモートもリモート、北アルプスの稜線から授業に参加、えらい時代になったものだ。自分の学生時代を思い出しても、授業をサボって山登りなんて日常茶飯のことだったから、そういう点では便利な世の中とも言える。とりあえず出席ということなんだろう、少し休憩しただけで彼らは独標のほうに下って行った。自分もあの頃は元気だったなあ、でももう半世紀前のこと。彼が言っていた吊尾根の事故はニュースに出ていた。遭難したのは自分と同世代の登山者、そんなに難しいコースでもないのにと思うが、事故はどこでも起きる。

北ア・吊尾根から滑落 新潟の70代男性死亡 (NBS長野放送 9/23(水) 22:02配信)

 22日に北アルプスの奥穂高岳と前穂高岳を結ぶ登山道から滑落し、心肺停止となっていた登山者が、23日に岐阜県警のヘリコプターで救助され、死亡が確認されました。 死亡が確認されたのは、新潟市の70歳男性です。警察によりますと、男性は22日に単独で北アルプスに入山し、午前11時ころ、奥穂高岳と前穂高岳を結ぶ吊尾根の登山道から滑落したとみられています。 滑落を目撃した登山者が警察に通報し、捜索にあたった長野県警のヘリコプターが登山道から50メートルほど下の斜面に横たわる男性を発見しましたが、22日は天候が悪く救助できませんでした。23日の午後、岐阜県警のヘリで救助されましたが、その後、死亡が確認されました。

【 9/24 … おまけの一日 】

再び西穂山荘で朝を迎える。宿泊はたった2組だったから、従業員のほうが多い。夏の北アルプスでは有り得ない状況だ。台風の接近で予約のキャンセルが踵を接した模様。この小屋で連泊する人はあまりいないと思うが、夕食も朝食もおかずが替わっていたのはありがたい。結局、一滴の雨も落ちず、下山の途につく。3日間ずっと西に白山連峰が見えていたのは珍しいこと。北アルプスが見渡せても白山は雲に隠れていることが多いのだ。

1時間ほどでロープウエイ駅、園地に笠ヶ岳、槍ヶ岳にゆかりの播隆上人の像があるのはお約束だが、説明板に「播隆上人」と後付けでプレートを付けているのが可笑しい。立派な「由緒」看板を作ったものの、タイトルに固有名詞を入れ忘れたことが歴然。格好の悪い話だが、作り直すこともできず、こんなことになったんだろう。製作担当者はさぞ焦ったことだろうと想像する。

新穂高ロープウエイは今年リニューアルされたようだ。途中駅にはお洒落なカフェテリアができているし、二階建のゴンドラも真新しい。コロナ騒動がなければ大勢の観光客・登山客を迎えるはずだったのに、地元にしてみれば予期せぬ誤算になったわけだ。これからの紅葉のシーズン、Go Toトラベルでの挽回に期待していることだろう。

新穂高の登山案内所で令和2年版の北アルプス登山マップをもらった。全域をカバーする立派な地図が無料。下山した後なので、それを眺めて歩くわけではないが、帰りの列車で拡げていると妙なことに気が付いた。図中の記号は、○が転落・滑落で、△が転倒、□が落石、赤色は死亡で、青色は負傷ということ。これを見ると、西穂独標〜西穂高岳のほうが、西穂高岳〜奥穂高岳よりも事故が多いのだ。前者は西穂山荘からの往復で危なっかしい人も歩くのに比べ、後者はそれなりの人が歩くということもあると思うが、示唆に富むデータと言える。奥穂高岳から北アルプス屈指の難路を辿ってきた人が西穂高岳に到達し、その後に気が緩むということも考えられる。これは前年のデータに基づくものだから、数年分を累積すると傾向がより明らかになるかも知れない。本当に危ないところでは意外に何も起きない。事故は概ねその後に起きるということか。むかし読んだ本の一節が頭に浮かぶ。

高名の木登りといひし男、人を掟て、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。(「徒然草」第109段)

(2020/10/3 追記)

 松本深志高校出身のクラブOBの方から連絡を頂戴し、落雷遭難の慰霊碑は同校の校庭と西穂独標直下にあるということで、私の見落としだったようだ。遭難はひとつ下の学年、前年の学校登山は白馬岳だった由。また、山で料理の具材にしたのはシマヘビ、カレーではなくクリームシチューとのこと。肉の色が白っぽくて、クリームシチューだと目立たないという理由のようだが、何が入ってるかを知っているので困惑した下級生もいたらしい。

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