槇尾山施福寺に行く 〜 奇妙な登山コース
2021/1/10

石段好きのカミサン、奈良県内の近場は大概行ったので、大阪府に目を向けた。ネットで探してみると、30分の石段登り、あるある、どこかと言えば槇尾山、山頂ではないが頂上近く、ついでに登れば私の山登りもセットということになる。

阪奈道路から大阪外環状線を南下、クルマを走らせること1時間半、槇尾山の麓に到着。駐車場はほぼ満杯、バスの便も1時間に1本あるから訪れる人はそれなりにいるんだろう。参道が始まる右手にある辨財天には満願の滝が懸かっている。大した標高でもないのに正月の寒さで氷瀑になっている。参道を辿り始めると、上から中学生ぐらいの野球少年たちが駆け下りてくる。「こんにちは」と大きな声、元気なものだ。駆け足で参拝するなら足腰の鍛錬には最適だろう。最後尾を指導者のオジサンがゆっくり歩いている。さて、我々も登って行こう。坂道の舗装路の先の仁王門を抜けたら石段が始まる。道脇の斜面には太い氷柱が下がっている。

仁王門にたくさんぶら下がっているのは小さな草鞋、「開運招福手づくりお願いわらじ守」と書かれている。槇尾山は西国三十三ヵ所のうちでも徒歩でしか登れない札所として名高いらしい。普段から山登りをしている人間にとってはどうということはないが、高齢の参拝者にとっては相当な難所になるのだろう。初めのうちは石段の奥行きも長く傾斜も緩やかだが、徐々に勾配がきつくなってくる。それでも思ったよりも早くお寺に到達、本堂の少し下にあるのは弘法大師御髪堂、ここで剃髪したということか。最近、「空海に学ぶキャリアデザイン」という著書を上梓した友人によれば、ここで空海が剃髪出家したというのは伝説にとどまるようだ。しかし、遣唐使の一員として渡航し帰国後に筑紫太宰府から高尾山神護寺に迎え入れられる前に短期間槇尾山に止住したことは史実ということらしい。ちょうど恵贈いただいた本を読み終えたばかりだったので、なんだか不思議な因縁だ。

施福寺の本堂には仏像がいっぱいあるようだが、不信心な私は拝観することもなく外から拝むだけ。境内はちょっとした広場になっていて、北東側の見晴らしがいい。岩湧山の茅に覆われたてっぺんはすぐに判る。そこから北に下る尾根の途中の岩山は一徳坊山、遠くに見えるのは金剛山。山登りの格好で昼ご飯を食べていると、参拝客からつい尋ねられる。

お昼を食べたら槇尾山の山頂へと向かう。標高差は100mぐらいだ。私の古い地図にはコースが示されているが、それらしい道はない。南に向かう巻き道、ダイヤモンドトレールのどこかから登り口があるだろうと歩を進めるが、よくわからない。落ち葉に埋もれた石段を見つけ、ここを尾根に上がればいいだろうと登り始めるが、まともな道ではない。カミサンは「お寺で待ってるわ」とあっさり引き返す。「それじゃ、ちょっと登ってくるね」と半藪漕ぎの感じで急斜面を進む。こりゃあカミサンは来なくて正解、私にとってはいつもの藪漕ぎだけど、ハイキングとはほど遠い。それでもすぐに尾根に出ると、ちゃんとした踏み跡が頂上に向かっている。いったいこれはどういうこと。

尾根筋はしっかりした登山道ではあるが、相当な急斜面だ。随所にロープがついている。標高600mの山頂からは西側のの眺めが開ける。関西空港が海に浮かんでいる。お寺からは望めなかった景色だ。登ってきた尾根ではなく北側の尾根を少し下ると蔵岩という岩峰が見えてくる。このまま岩尾根づたいにお寺まで行けそうだが、登山者が誰もいない場所で、カミサンを待たせて岩登りというのも避けたい。山頂に戻って登って来たルートを引き返す。尾根をずっと先まで進み、お寺の近くまで来て最後は3mほどの崖を慎重に下りたら立入禁止の立札のあった場所に出た。いったいこれはどういうこと。

不思議な山登りだった。家に戻ってからネット情報を渉猟して謎が解けた。どうもここ何年か、施福寺住職と登山者との間で攻防が繰り返されてきたようだ。山登りの側から住職に発せられた罵詈雑言の類もある。「落石・転落の危険、遭難の恐れがあるため、槇尾山山頂・蔵岩(磐座)へは立ち入らないでください。近畿自然歩道、ダイヤモンドトレールを利用してください。」というのが立札に書かれた文言で、和泉市国定公園保全対策協議会・大阪府・和泉市・和泉警察署の連名になっている。どうもこれには施福寺住職の意向が強く反映されているようだ。それを窺わせる文書も見つけた。平成27年8月18日付の大阪府山岳連盟会長名で関係団体に発信されたものだ。そもそも施福寺から山頂一帯は寺院の聖域すなわち禁足地であるというのが住職の主張であり、火気使用・伐採採取はおろか立入禁止であり、既存の道標やロープ等も撤去するという強硬なものだ。この文書にある登山者のマナー低下、死亡事故の発生なども背景にあるようだ。

このあたりの事情を知っていたなら、山頂まで登ったかどうか何とも言えないが、せっかくの岩稜歩きと好展望とが味わえなくなる登山者からすると文句のひとつも言いたくなるだろう。とは言え、人里に近い山の多くは私有地であることも事実だ。槇尾山の場合、施福寺まで登ってくるのはいろいろな人種がいるのは間違いない。確かに安全面を考慮するなら、安易に岩場に立ち入られたのでは問題が多い。だからといって、現地に見るようなバリケードや取付点の破壊隠蔽までやる必要があるのかという疑問も残る。本堂の中には入らなかったので住職の姿を見ることはなかったが、どんな人なんだろう。

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