波瀾万丈、劒岳回遊
2022/7/27-8/2

劒岳には登らず、一週間かけて、その周りをぐるっと回遊してきた。日程後半は登山者の数も極めて少ない、北アルプスでは珍しいエリア。天候にも恵まれ山旅を満喫したのはいいが、予想外の事態も発生し波瀾万丈この上ない展開となった。

day1 day2 day3 day4 day5 day6 day7

 

【 day1:7/27(称名滝へ) … 繋がっているハンノキ滝 】

立山カルデラ砂防体験学習会(トロッココース)の申込みをしていた。7月27日の水曜日、これに当選したら前夜の富山入りを考えていたのだが、世の中、そんなに上手くことが運ぶはずがない。あえなく落選、朝の出発となる。富山にお昼前に着き、富山地鉄に乗り換え立山駅には14:00前に到着する。すぐに目の前の千寿荘に荷物を預け、駅前ロータリーを14:10に出る称名滝探勝バスに乗り込む。戻りの最終バスは15:30だから、1時間程度の観光の時間が確保できる。バス終点から滝までは30分弱なので、早足で先に進む。雨模様である。

マイカーで来る人も多いから、林道には観光客の姿も見える。行く手に細くて長い、一直線に流れ落ちる滝が見えてくる。あれは称名滝の横のハンノキ滝、流量の少ない季節には消えるので幻の日本一の滝と言われている。雨が続いていたせいか、今は途切れることなく500mの落差を見せている。天気は悪いがいいときに来た。

称名滝の近くの展望台に来ると、雨なんだか滝の飛沫なんだか判らない状態、こんなことなら宿で大きめの傘を借りてくるんだったと、軽量小型の登山用の折りたたみ傘が恨めしい。翌日の山登りの前に立ち寄るという選択肢もあったが、山登りは山登り、観光は観光。これで正解。

今回の夏山、富山県立山町のふるさと納税で、山小屋を含む宿泊施設割引券という返礼品が目に止まり、さっそく60,000円を寄付した。送られて来たのが割引券18,000円分、この日泊まる千寿荘と、大日小屋が無料になる寸法だ。各地の食品の返礼品が人気だが、こういう必ず使う優待券は魅力だ。

宿に戻ってまだ食事までに時間があるので、隣の立山カルデラ砂防博物館に再訪。映像資料も多くて、一度や二度では見切れない施設なのだ。受付のおねえさんに「ここは二回目なんですけど、今日の見学会に申し込んだのに外れてしまって、また展示だけですわ」と恨み節。「これに懲りずにまた申し込んでくださいね」とか。クジ運の悪い人間である。

千寿荘はリニューアルされていて、館内はきれいだ。もちろん温泉付きだし、食事内容も充実している。これで10,000円を切る値段なのだから驚きだ。山小屋は輸送のこともあるから値段は致し方ないにしても、山小屋の範疇から少しはみ出す場所にある富山県の旅館はコストパフォーマンスが高い。日程にゆとりのある山登りなら泊まらない手はない。

 

【 day2:7/28(大日小屋へ) … ここはランプの山小屋 】

称名滝への探勝バスの始発は8:30だ。観光ならともかく、山登りには遅すぎる。前夜、宿に問い合わせてもらったらタクシーは3.000円程度ということだったので、林道のゲートが開く7:00に予約した。その頃になると、隣のケーブル駅には登山者が集まってくる。こちらの始発は7:00だ。朝一番に室堂まで上がったら、どこまで行くんだろう。劒澤小屋あたりか、真砂沢ロッジも行けるだろう。立山一帯はもちろん、五色ヶ原山荘あたりまで足を伸ばすことも可能だろう。自分はもうそんな気ぜわしい山登りは御免だけど。

称名滝の手前から大日岳への登山道が始まる。いきなりの登山道というのは朝一番の暖まっていない身体にはきつい。2ピッチ目ぐらいからようやく調子が出てくるが、3ピッチ目にはもうくたびれてくる。展望のない登りが続くとこういうものだ。今シーズン、山登りのトレーニングは充分とは言えないだけに、この先のスタミナ懸念もゼロではない。週2回のスイミングだけでは不足なのはわかっている。毎日歩いているうちに、順化も進むだろうなんて、気楽なことを考えている。
 大日平、のっぺりした湿原の端に小屋がある。途中の踊り場みたいなもので、このあとに大日小屋までのひと登りが待っている。休んでいると小屋のスタッフが、「不動滝は見ましたか」と尋ねる。小屋の裏手から望めるのだそうだ。確かに、弥陀ヶ原から称名川に落ちる滝が見通せる。言われないとわからない。

真昼の登り、しかも南斜面なので汗が噴き出す。2リットル以上は持っているはずの水もどんどん消費する。ただ、流水があるのが救い。タオルを浸して首筋に巻く。久しぶりの長時間の登高だから、ちょっとバテた。でも、だいたいコースタイムどおりで大日小屋に到着。最後に少し雨が降ったが大したことはない。稜線に出ても向こう側の山並みは雲の中だ。登りですれ違った下山者たち、「昨日は雨で、景色なんてなんにも」ということだった。これから天気は持ち直すはずだけど。

大日岳は小屋からすぐのところ。20分程度だから往復してもいいのだが、何の眺めもないし行く気にもなれない。明日の朝でいいや。稜線に出る手前、豊富な流水があったのだから、水を補給してくればよかった。稜線の小屋なのでペットボトルの水を販売している。もったいないことをしてしまった。バテているところに2kgの荷物が増えるのは大儀ではあるのだけど。

雲に隠れて劒岳の姿もない。夕食が済んだあとは寝床に引き上げた人も多い。食堂に居残ってビールをチビチビとやっていると雲が切れてきた。茜に染まる端整な劒岳の登場だ。見えなかった時間が長いと、一際ありがたさがわかる。上着を取りに寝室に戻って「劒がみえましたよお」と独り言つと、ゾロゾロと這い出してくる人が続く。「教えてもらってありがとうございます」と感謝されることしきり。

 

【 day3:7/29(劒澤小屋へ) … 一年前は青息吐息 】

今日の目的地は劒澤小屋、大日岳の稜線を東に剣御前まで辿り、小一時間下るだけという行程中では楽なコースだ。雷さえ来なければ何の問題もない。朝一番で大日岳を往復してから稜線歩きに出発する。右手下方には前日登ってきた大日平が広がっている。というよりも、大日平と立山弥陀ヶ原とは一体だというのがよくわかる。称名川の深い切れ込みで分断されているだけだ。大日平山荘はこちら側の縁に建っている。これから歩くにつれて立山が大きくなっていく。

大日岳、中大日岳、奥大日岳と連なる大日連山、ここを縦走する人は多くないようだ。昨日、すれ違った登山者はわずかだったし、この日行き交う人は軽装の往復登山者がほとんどだ。雷鳥沢あたりからやって来る。一番手はけっこうなお婆さんだが、スタスタと足が速い。外見からは想像も付かないタフさだ。こちらが新室堂乗越に達する前に、大日岳を往復してもう戻って来た。おそるべし。
 「すごく速いですねえ、もう往復してきたんですか。景色はどうでした」と尋ねると、劒岳は隠れていたものの、街のほうは見渡せたと。「松本のほうがよく見えました」なんておっしゃるものだから、「???、あっちは富山ですけど」と、山のベテランなのか何なのか、何とも不思議なお婆さんである。

地獄谷の荒涼たる光景が近づいてくると、雷鳥沢への下降点、新室堂乗越は近い。あとは一気に剣御前まで登る。去年の秋に下った剣御前から雷鳥沢への道が隣の尾根に見える。あの下りはきつかったなあ。劒澤小屋から別山尾根を経て劒岳を身軽に往復したあと、荷物を担いで室堂まで戻ったのだから。到着が18:00を過ぎてしまった。疲れで夕食が喉を通らなかった苦い想い出が蘇る。今回は一日の行程を短めにしているから、そんな心配はない。

北アルプスの縦走をしていて何が楽しいかと言うと、景色もさることながら、小屋に到着して夕食までの間、屋外のベンチで山を眺めながらつまみ片手にビールを飲むこと、それに尽きる。1:25,000地図がお供、至福の時間なのだ。劒澤小屋には温水シャワーもあるから身体もさっぱり、さらに幸福度が増すという寸法、いまどきの山小屋は至れり尽くせり。

前回泊まったときもそうだったが、劒澤小屋の夕食は時間に厳格だ。準備が整って案内するというのではなく、予定時刻の前に集合がかかり、出来上がった食事が順番に配られる。暖かいものを食べてもらおうという拘りがすごい。この日のメニューは豚ロースの味噌焼にパンプキンスープ、ここまでドンと肉が出るのは他では見たことがない。思わず「大盛り」と言ってしまったので、御飯の量が半端じゃない。さすがにお腹が苦しくなってしまった。「普通」と申告し、あとで軽くおかわりすればよかった。

楽しく過ごした劒澤小屋、しかし、そこに最後のどんでん返しの種が胚胎していたのは、この時点では知る由もなかった。

 

【 day4:7/30(池の平小屋へ) … ハイライトは氷河展望 】

去年の秋と同じ景色をまた眺める。劒澤小屋の前から「岩と雪の殿堂、劒岳2999m」の看板を配した写真は定番中の定番、今回はあそこまでは行かず、傍らを通り過ぎるだけ。半世紀前に初めて劒岳に登った頃から山の姿は変わらないものの、人は移り変わる。私だって古稀を過ぎてしまったのだから。
 気圧配置は安定している。二度目の梅雨明け以来、ようやく夏山の天気になったようだ。これだと、判で押したように午後遅くに夕立というパターンになるだろう。今日は、雪渓を下り夏道を登る。午後の登りが南斜面というのはちょっと嫌な感じではあるが。

今年は雪が多いと聞いていたが、剣沢を下る限りそんな印象はない。この時期、昔なら劒澤小屋のそばから雪渓が始まっていたような気がするのだが、ちょっと下ってからアイゼンを着けることになる。スプーンカットもなんだかひどいようにも思える。そのぶん階段状となって歩きやすいわけではあるが。

左岸の大岩が目印になるのは最初の雪渓、平蔵谷。ここも劒岳へのバリエーションルートのひとつ。大日小屋で一緒だった単独行の中年女性は7つのルートのうち5つまで登ったことがあると言っていたが、きっとこの谷も登っているのだろう。雪がしっかり着いていれば、雪渓ルートは尾根づたいより快適だし早い。

次に現れるのは劒岳直下に突き上げている長次郎谷。ここは私も登ったことがある。7月にアイゼンを使ったかそうでないか、記憶がはっきりとしないが、左俣を辿り劒岳頂上を指呼の間に望むコルからスキーで滑り降りた。勢い余ってシュルンドに落ち、滑降用ヘルメットがなければ大けがになったところだ。若気の至り、今ならそんな無茶はできない。

真砂沢ロッジが近づくと劒澤雪渓も終わる。アイゼンを外していると、夫婦連れの登山者が登って来た。真砂沢に一週間滞在していたというから普通じゃない。周囲の岩や雪で遊んだのだろう。この先のエリアには、なんちゃって登山者はいない。一癖も二癖もありそうな山屋ばかりと言って過言じゃない。そこが槍・穂高エリアと根本的に異なるところ、リピーター、長期滞在、そういう人種ばかり。

真砂沢ロッジのスタッフは蒲団干しに余念が無い。玄関の山岳情報にはこれから先の注意点が書かれている。二つの沢を越えるところが要注意点ということだ。さすがにここまで高度を下げてくると暑い。ロッジの玄関先にある蛇口から水を補給する。最近はコロナのせいか、沢筋の小屋でも流水の飲用には消極的になっている。「僕らは普通に飲んでますけどね」とは小屋番氏の弁、北海道じゃあるまいし、そんなの当たり前じゃない。世の中の風潮も変わってきたのだろうか。玄関前の空き缶潰しの品評会、熊にやられた鍋の展示、男子トイレのアームストロング船長のパロディ、ここはなかなか面白い山小屋だ。

真砂沢ロッジから二股までは沢沿いの夏道なのだが、夏草を刈り払ってくれてはいるものの歩きやすい道ではない。ロープを頼りに左岸の岩盤をへつる箇所もある。近藤岩という大きな岩塊が河原に見えたら二股、ここから池の平へ登り返すことになる。途中に先行登山者がいた。暑くて急な登りでくたびれたところに、チョロチョロと湧く水のそばで座り込んでいる人、上はワイシャツ、下は昔のトレパンのようなズボン、足許は靴底がほとんど剥がれかっている登山靴、ずいぶんな装備だ。話してみると、広島からだという。この格好だと素人かよほどの経験者、歳を尋ねると何と私と同学年。こちらも先方もつい親しみを感じて、昔の山登りの話題となる。曰く、「昔はごついキスリング担いで登りましたねえ」とか、「行動食の乾パンは唾液をみんな吸収してしまうからいかん」とか。この人は相方と二股で分かれ、池の平小屋で合流するのだそうだ。

高度を上げていくと、三ノ窓雪渓、小窓雪渓が遠望できるようになる。どちらも認定氷河、どんどん認定されていて、今じゃ7つもあるらしい。劒・立山エリアに5つ、後立山に2つ。まだ増えるのかも知れない。さらに先にはもう一人の登山者、こちらはかなり消耗している気配、足の運びがずいぶん遅い。小屋で聞いたら73歳、大して変わらないじゃない。
 池の平小屋と仙人ヒュッテの分岐に達した頃から、本格的な雨となる。ゴロゴロという音も聞こえるので気持ちが悪い。樹林帯の捲き道だから心配はないと思ったら、ピカッと光った。思わず地面に伏せたらバリバリッ。くわばら、くわばら。

池の平小屋はこの日が営業開始日、というか、それに合わせて出発を一日遅らせたのだ。件の同級生とその相方(こちらは50歳台)、単独行の男性と女性、ずいぶん遅れて到着となった73歳の人、夕方になって北股経由で上がってきた若者2人、そういう人たちがシーズン最初の宿泊者となる。濡れた衣装を干して人心地ついたらウエルカムドリンクのサービスが。インスタントコーヒーだけど、その美味しさったら。チョコもオマケに付けてくれる。次は順番にお風呂だ。1人しか入れない内湯だけど、熱いお湯の掛け流し、立蔀ふうの窓の先にはチンネが、絶景風呂である。完全屋外の五右衛門風呂もあるが、こちらは雨で薪が使えないので休止だとか。

雨が上がった夕暮れのひととき、香取線香を燻べながら小屋の外で過ごす。モンローの唇と言うらしい、それっぽい雪形が池の平小屋のシンボルになっているようだ。少し下ったところにある平の池、雪も残り水量も多そうだ。単独行のおねえさんは、夕方の散歩に降りていった。この小屋で連泊するらしい。明日はオーナーが小窓氷河見学のミニツアーに連れて行ってくれるとか。そういう特典もあるのか。東の空にはオレンジ色に染まったキノコ雲のような雲塊が浮かんでいる。安曇野では雷雨になっているのかも。

 

【 day5:7/31(阿曽原温泉小屋へ) … えっ、今年4人目の客とは 】

朝のひととき、小屋の前の広場に蚊取線香と椅子が並べられる。宿泊者はじっと八ツ峰のてっぺんからオレンジ色の色彩が降りてくるのを待っている。時間にすればせいぜい15分程度だが、夏山が一番輝く瞬間だ。西側の峰だけがこうなる。東側の針ノ木岳はシルエット。仙人池ヒュッテに向かって進むと、白馬三山から鹿島槍ヶ岳と続く後立山連峰の全山展望となる。昨日は夕立があったけど、いちおう中部山岳は気圧の峰になっている。日中の天気は大丈夫だろう。

池の平小屋で八ツ峰を眺め、小一時間先の仙人池ヒュッテで池に映る姿を写真に収めるのは定番なのだが、雲がかかっててっぺんは隠れている。まあ、そう好都合ばかりではない。それでもしばらく粘った末に仙人谷の下降を始める。ヒュッテの人にルートの状況を尋ねたら、「雪渓の薄いところは避けて、厚みのあるところを」と素っ気ない。まあ、それに尽きるのは百も承知だけど。

確かに非常に難しいルートファインディングだ。雪渓の様子は日々変わるから詳細なアドバイスのしようもないのは判る。ちょうど夏道が顔を出すか出さないかの微妙なタイミングでもある。割れているところもあるし、夏道とのギャップの大きい場所もある。結果論だがヘンに夏道を探すよりも、ある程度は谷筋の雪渓を辿ったほうがよかった。もっとも、最終段階で行きすぎると危険であることは言うまでもない。先に下った単独行の登山者から阿曽原温泉小屋で「アイゼンを着けずによく下れましたね」と驚かれたが、時間帯が違うから雪も緩んでいるし、スプーンカットの平坦部を踏んでいる分には危険はないのだ。

仙人温泉小屋は潰れている。休業中ということだが、建物は傾き、とても泊まれるようには見えない。小屋の人なのか撤去作業をしているのだという。こんな状態で、建て直して営業再開する見込みがあるのだろうか。向かいの斜面には温泉の蒸気は変わりなく上がっているのだけど。

昔の道は源泉を経由していなかった。現在の雲切新道は源泉を経て尾根に取り付く。尾根筋を延々と黒部川に向かって下って行くわけだ。仙人ダムのダム湖が見えたら急降下、さらに水平道があってようやくダムサイトに辿り着く。長い道だった。仙人池ヒュッテでちょっとゆっくりしすぎた。

仙人ダムから阿曽原までもけっこう時間がかかる。黒部川のレベルまで下降したあと、登り返して尾根を越える。しばらく水平に進んで再び山小屋まで下るというルートになる。昔の登山道は仙人谷を下り左岸斜面をトラバースして阿曽原峠に出て、そこから急降下となっていたので、今はだいぶ遠回りになっている。私はこの新しいコースを歩くのは初めてになる。屋上から仙人ダムの建物内に入り、トンネルを通り線路を横切るのだから、いっぷう変わった登山道だ。この軌道は関西電力黒部専用鉄道といい、欅平から黒部川第四発電所まで伸びている。ダムと並行してシェルター付きの鉄道橋が架かっている。この上部軌道、観光客にも開放されるという話を聞いたことがあるが、まだなんだろうか。

長いコースの最後に登りというのはきつい。いったん文明の臭いがする場所に達した後だけになおさらだ。時刻もだいぶ遅くなっている。小屋に着いたら「遅い」と叱られそうだ。ちらっと見えていた青屋根の阿曽原温泉小屋の裏手までやって来ると、窓から顔を覗かせているごっついオジサンの姿が見えた。「ああ、よかった、よかった」と、こちらの到着に安堵された様子。この人が佐々木さんなんだ。「すみません、遅くなっちゃって」と詫びると、「いやいや、もっと遅い人はいくらでもいるよ」と気にかける風でもない。「晩飯は遅くてなってもいいから、とにかく温泉に浸かってきたら」とサンダルを出してくれる。多客時ではないとは言え、前日の池の平小屋といい、到着時の歓待は嬉しいものだ。

小屋の下にあるテントサイトからさらに下って行くと、見覚えのある露天風呂が姿を現す。占有状態で身体を洗ってゆっくり湯船に浸かっていると夕立がやって来た。小屋で傘を借り、着替えを入れるゴミ袋をもらってきたので助かった。山の天気は変わりやすい。今日の雨は少し遅い時刻だったけど。

今シーズンの客、No.2〜No.4の3人が横並びで夕食の席につく。小屋のスタッフ(「大仏」というニックネームの番頭さん)は唐松岳〜祖母谷温泉の登山道の整備に出かけていて、佐々木さん夫婦だけ。作りたての家庭料理をいただくという感じのメニュー、疲れていても喉を通る素麺も並んでいる。佐々木さんは少し離れたカウンターの中から何かと話しかける。食事中にとどまらず消灯時刻が近づくまで延長戦、まったく話題が尽きない。

雲切新道開設の話、NHKの山岳番組取材の話、最近の遭難事件の話、阿曽原周辺の動植物の話、上部軌道の一般開放の問題についての話、毎年違う雪の積もり方残り方についての話、一部は小屋のブログにも書かれているが、それ以上の内容もポンポン飛び出してくる。こちらも適当にツッコミを入れるものだから、佐々木さんはますます乗ってくる。この方は富山県警OBというキャリアなのだが、小屋主になってからも長い。
 むかし、池の平小屋で働いたこともあるそうで、そのとき宿帳の客の職業欄に「山師」というのがあり吃驚したという話が一番面白かった。北アルプスの高山帯に分け入り鉱物資源を採取する人たちがいたということだろう。池の平小屋のあたりのモリブデンを産した小黒部鉱山、唐松岳近くの大黒銅山など、こんな厳しい自然の中でと驚いてしまう。開発されたのは戦前の話だから、軍事物資の確保という至上命題ゆえのことなのかも。池の平から毛勝山を越えて北方の稜線を辿った先にある僧ヶ岳、ここにもモリブデン鉱山があったそうな。何と輸送は牛車、今は埋もれているが、かつては牛を通す道も作られていたのだとか。ダムができて水流が減少する以前は、宇奈月からの黒部川の遡行は不可能で、上流の鐘釣温泉へは西側の稜線を越えて入山していたらしい。こういう話は、自分の興味とも合致するので、時間の経つのを忘れてしまう。

 

【 day6:8/1(欅平へ) … ゴール間際のバッドニュース 】

阿曽原温泉からの下りは標高差は大したことはないが、とにかく長い。コースタイムで優に6時間はかかる。前夜の佐々木さんの話では、夏山シーズンになって一般登山者が歩くのは私が4人目。そもそも、何とか通行できるようになったのが数日前というのだから。いわゆる水平歩道、ここの整備は関西電力が担当しているが、まだ作業はこれからの状態、大小の沢を横切る箇所は丸太の木道がことごとく崩壊している。それに乗らないよう、地面に足を着けて慎重に進む。その水平歩道に入る手前、壊れた丸太梯子で転んであちこちの打撲、いきなりこれだから先が思いやられる。とにかく、行く人もなければ来る人もない。人影などないものだから、曲がり角では必ずホイッスル、熊との鉢合わせは避けたい。あちこちに痕跡があるから、それなりの個体数が棲息しているはずだ。

むかし、この道を下ったとき、トンネルの中を通ったのは覚えている。長い直線だと思っていたら、違った。谷の奥を地中を迂回して対岸に出るトンネルだった。それが志合谷、遠景で見ても谷筋の雪渓の残り方は異常に多い。そんな標高は高くないのに。志合谷の手前の折尾谷のほうは堰堤の中がトンネルになっている。ここも嫌な雪の残り方で、対岸に出たところに雪がべったりという状態。これでも融雪が進みだいぶ改善されたというから、難儀な道であることは疑いない。雪が溶け、木道の整備が終わった秋には下廊下の紅葉を求めて登山者が訪れる。私は走りの登山者、歩くのに苦労するのは仕方がない。

対岸の奥鐘山の大岩壁は凄まじい迫力だ。中腹に人の顔を思わせる巨大なオーバーハングがある。サウスダコタの山のようだ。それを眺めながら進み、下流に欅平の構造物が見えたら、長い長い水平歩道もようやく終わりに近づく。欅平上部と書かれた道標が現れると登山道は下り始める。もう右手に転落という心配はない。少し進んで曲がり角にさしかかると人の気配。誰一人出遭わなかったこの日の行程の最終盤で初めてのこと。小学校高学年ぐらいの男の子と父親の二人連れが休んでいる。水平歩道が見えるあたりまでハイキングということらしい。挨拶を交わすと、思いもかけない情報がもたらされた。

「今日、トロッコは運休になっているんですよ。私たち、欅平で泊まりなので、宿に掛け合ってもらって、作業員用の列車に乗せてもらったんです。電気系統の障害か何からしいです。ダイヤはこんな感じになっています」と、スマホの画面を見せてくれる。

ちょっと、待ってよ。そんなの聞いてないよ。こちら、宇奈月温泉の旅館を予約しているのに、トロッコが動かなければどうしようもない。ただ、作業員用の列車は走らせているのだから、交渉次第か。次は15:40、ゆっくり下っていたら間に合わないぞ。と、突然アドレナリンが噴出。道も歩きやすくなったし、一気呵成に駆け下りる。発車10分前に欅平に到着。さて、どこで誰にネゴシエーションすればいいのか。キョロキョロ見回すと、ホームのほうに向かう登山者が数名見えた。あれだと、後を追う。なんだ、切符売り場も改札口も普通にやっているじゃないか。案内してくれた駅員さんが「佐々木さんから電話をもらってます」と。そういうことか、運休ということで、気を遣っていただいたわけだ。息せき切って下ったあと、冷たい飲み物を買う時間もなくガラガラのトロッコに飛び乗った。座ったシートは汗でビショビショになった。

 

【 day7:8/2(宇奈月温泉にて) … てっちゃんの日、暗転 】

最後のバタバタはあったものの、宇奈月温泉で長い山旅の疲れを癒やし、すっきりと帰宅の途につくはずだった。しかし、そうは問屋が卸さなかった。夜中に少し寒気がして目覚めて体温を測ってみたら38℃を超えている。喉の痛みがある。ああ、やられたか。劒澤小屋で発熱者が出ていたが山小屋で検査ができるはずもなく、コロナだったのかどうかは不明だが疑いは濃厚だ。時あたかも、唐松、白馬、涸沢とあちこちでコロナによる営業休止が起きている。劒澤小屋から3日経過して喉の痛みと発熱というのは、潜伏期間を考えると見事に符合する。明日も休みだけど、これじゃ富山でウロウロしているわけにもいくまい。

朝になると熱も下がり、朝食も全て美味しく平らげたので食欲も減じていない。新幹線駅への送りのクルマが出るまでの時間に散歩に出かける。てっちゃんとしてはトロッコ駅に向かうのは当然だ。構内の連結作業に思わず見入ってしまう。惰性で走らせた荷物車を手動でコントロールして繋ぐ見事な手綱捌き、うわっ、かっこいい、やってみたい。
 駅から少し上流には鉄橋を見下ろす撮り鉄スポットがある。普通客車とトロッコ車両を併結した長い編成が黒部川を渡る。昨日の運休のせいもあるのだろう、各車両とも満載状態だ。一般客は列車に数人という昨日の状態とは大違い。
 この黒部峡谷鉄道は全国で三つあるナローゲージの営業路線の一つ、あとの二つは三重県にあり、四日市あすなろう鉄道と三岐鉄道北勢線、後者は一部区間しか乗車していないので、私はナローゲージ完乗には至っていないが、奈良からは近いしいずれ実行してみたいものだ。

 

【 Gallery 】



【 下山後騒動記 … とうとうCOVID-19 】

宿を立つときは朝食後に服用したカロナールのおかげか、平熱だったのが、新幹線のはくたか、在来線のサンダーバードと乗り継ぐうちに薬効が薄れてきた。来たぞ、いよいよ。帰宅してから無料PCR検査をやっている薬局に行ってみたが、 どこも検査キットの在庫なしとか予約何日待ちとか。流行拡大で、何ともない人が安心のために殺到しているのか。かかりつけ医に相談すると、後のこともあるので総合病院の発熱外来に行ったほうがよいとのアドバイス。翌朝一番に予約の電話を入れることにする。

近隣に総合病院が3つあるのだが、それこそ予約開始時刻から電話が繋がらない。むかしのチケット争奪戦のことを思い出す。ようやく3つのうちひとつの予約が取れたので、さっそく出かける。炎天下の駐車場で2時間もクルマの中で待機というのは、かえって病状が悪化しそう。おかげで帰宅したときには体温は39.2℃。結果は予想どおり陽性。劒澤小屋から3日後に発症となったので、その潜伏期間が長い下山の時間猶予となったのが幸いだった。
 陽性判明を受けて、宿泊した池の平小屋と阿曽原温泉小屋には連絡を入れた。どちらも今のところ問題は発生していないようで一安心。コロナ感染者(未発症)の宿泊は山小屋にとっては迷惑な話だが、両小屋とも先にこちらの身を案じる言葉が出たのと、当方の情報提供への感謝が述べられたのには感心した。ホスピタリィティというか宿泊時の印象も素晴らしかったし、オーナーの人柄が反映されているように思う。
 受診した病院から保健所に連絡が行き、症状や年齢を勘案して高齢者優先で入院やホテル療養などもあるようだが、まあ軽症だから我が家の座敷牢に幽閉が関の山。私は積極的ワクチン未接種者なのだが、結果的にこれで抗体もできたわけだ。

劒澤小屋で感染したことはほぼ間違いない。どの場面だったのか、つらつら考えると、食堂やトイレ、寝室などの可能性もあるものの、シャワーブースが怪しいのではと思い至った。畳二畳分程度の細長いシャワールームに半オープンのブースが3つ設けられており、時間制で男女の入替となっている。この季節だから汗だくのあとの温水シャワーは最高のご馳走だし、ほぼ全ての宿泊客が利用したはず。当然のことながら、扉は閉め切り、マスクなし、換気のタイミングもない。小屋側としてのサービスが仇となったような気がする。そのあとに宿泊した阿曽原温泉小屋のように完全露天風呂ならこういうことはなかっただろうに。

今のコロナ、BA5型というのは上気道限定の症状のようだ。拡がらない。保健所の指導により発症翌日から10日間は自宅療養で外出するなというのはつらい。発症から3日後、すでに熱もなく、喉の痛みも消えた。連日20,000歩程度歩いていたのに、突然ゼロになってしまい、まだ一週間、軟禁状態でテレワークを余儀なくされる。初期の発熱を解熱剤で抑えれば身体への負担なく3日間で治る病気だ。早々に2類感染症指定を解除することが国民経済的に必要だと思う。働き盛りの世代だと生命保険に入院特約をつけていることが多いはずだが、自動的に自宅療養10日間の入院給付金を支給していたのでは保険会社もたまらんだろう。年齢とともに保険料が上がるので解約したのは失敗だったか、旅行費用が戻ってくるところだったのに。

(追記 2022/8/17)

お盆の終わり、地元紙「北國新聞」に以下の記事が出ていた。劒澤小屋の件は、まさに私の罹患のタイミングと合致する。

立山登山にコロナ直撃 室堂の宿泊施設、臨時休業続出 従業員ら感染、予定日に「難民」も (8/16(火) 5:01配信)

 立山の登山拠点である室堂(標高2450メートル)と周辺で、新型コロナウイルス感染による宿泊施設の臨時休業が7月末から相次いでいる。感染急拡大が夏山のハイシーズンを直撃し、従業員が次々と罹患。15日までに五つの山小屋とホテルが休業し、現在も3施設が営業休止中だ。登山予定日に泊まれない「難民」も出ており、「雲上の楽園」にもコロナの波が押し寄せている。

 立山室堂山荘は13日にスタッフ1人の陽性が確認され、14日から休業した。定員は2020年から通常の半分の約150人に減らし、消毒、検温、アクリル板の設置など基本的な感染予防対策を徹底してきた。3代目の佐伯拓さん(34)は「下界と同じで今は誰がかかってもおかしくない状況。経営には痛手だが、誰が悪いという問題でもなく、しょうがない」と複雑な心境を吐露した。同山荘は18日ごろの営業再開を見込む。20、21年と比べて宿泊客が回復傾向にあっただけに、佐伯さんは「お客さんに本当に申し訳ない」と声を落とした。
 約200人収容可能なホテル立山もスタッフ複数人の陽性が分かり、13~22日の休業を決めた。レストランと売店は営業を続ける。

 感染拡大は室堂から剱岳方面にも波及。剱澤小屋はスタッフ5人の感染を受け、12日に休業に入った。小屋ではスタッフの感染予防に細心の注意を払っていた。7月下旬に発熱から陽性の判明した客がヘリコプターで搬送されるなど、登山者を介して感染が広がった可能性もあるという。予約客の大半は事情を受け入れてくれるが、「予定どうしてくれるんや」と怒られることも度々あった。再開は今月中旬の予定で、オーナーの佐伯新平さん(48)は「少しでも体に異変を感じたら無理をしないでほしい」と呼び掛ける。

 室堂平にある最大260人収容の雷鳥荘は15日に営業を再開した。5日にスタッフ5人の感染が分かり、休業を余儀なくされた。代表の林守人さん(48)は「経験したことのない大変さで、一生分、頭を下げた」と、予約客への連絡、宿泊施設の振り替え手続きなどに追われた日々を振り返る。予約客を代わりに受け入れてくれた近隣施設の協力に感謝し、「次は自分たちの番。助けになりたい」と話した。
 みくりが池温泉も複数の感染者が出て、7月末に休業し、今月6日に営業を再開した。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system