メトロポリタン歌劇場「リゴレット」 ~ あきれたピットの光景
2001/5/30

東京文化会館でのメトロポリタン歌劇場来日公演の「リゴレット」。びわ湖ホールでの「サムソンとデリラ」と「リゴレット」のチケットを買っていたが、前者は私、後者はカミサンの手に。

東京に戻って、ネット掲示板を物色していたら…。出た!最低価格席の出物。即コンタクトでゲット。行ってみて驚いた。安い席にかなり空席がある。こりゃどういうことだ。全般に価格が高いのと、月曜日ということ、この演目にはこれという目玉がないこと…。ドミンゴが出る訳じゃないし、人気急上昇のルネ・フレミングの名前もないということかな。しかし、主催者もそろそろ値段を考えた方がいい。トータルの水揚げが同じなら、満席になる単価まで下げればいいのに。

さて、演奏内容。ジルダ役のルース・アン・スウェンソン、とても柔らかくてあたたかな中高音域の音色、こういった声のソプラノはあまりいない。もう少し軽い声の人がやることが多い役だが、歌は悪くない。そして、けっこう大柄、視覚的には、これまでにこの役で観た塩田美奈子とか釜洞祐子のほうがいいかも。この人は以前の小沢征爾ヘネシーオペラのロジーナ(セヴィリアの理髪師)だったが、その印象はあまり残っていない。

マントヴァ公爵役のラモン・バルガス、役柄から思えば、非常に端正な歌で好感を持つ。この役は好色漢の性格を前に出した歌だと、大概は下品で聴くに堪えなくなる。きちんと歌えば、音楽がそういう風に書いてあるから自ずと役柄の性格が出る。全般によかったけど、最高音域の二つばかりの音は、ちょっと弱い感じもした。女心の歌の最後も、ハイCではなく二度ほどさげていたような。

リゴレット役のファン・ポンズ、体が大きいから、背中に詰め物をして丸めても、他の人と同じぐらいの高さ。完全に身についた役だろうし、歌に何の不満もない。なお、階段を下りるとき、道化のマントの端につけた金属球がコトコト音がしたのは耳障りだった。

スパラフチーレ役のロバート・ロイド、びわ湖ホールで聴いたカミサンは気に入ったようで、確かに殺し屋らしい凄みのある深い声。フレーズの終わりのイタリア語の語尾の母音を強く押し出すようなところが、往年のボリス・クリストフを思い出させる。

指揮のジェームズ・レヴァインとオーケストラは、かなり鋭角的な鳴らし方のように思った。そこまでしなくても…。声を消してしまうほどのフォルテはいかん。例えばリゴレットの「悪魔め、鬼め」のアリアの中のassassin(人殺し)という重要な言葉など、オーケストラに消されて聞こえない。

弦はこんなに良かったのかなと思うほどだったが、管は今ひとつ。音の出し始めのふらつきを感じた場面が多くあった。前日は「ばらの騎士」で、フルメンバー出演のあと、首席奏者がお休みなのかも知れない。

そのほかでは、コーラスはなかなかの出来。舞台は第一幕、第二幕と同じセットを使っており、METらしくない。オーソドックスな舞台だが、新国立劇場のプロダクションのほうが良くできている。一概には言えないが、作品自体のレベルを考えれば、カミサンがリゴレットのほうを選んだのは正解かな。

第四幕、天井桟敷の左サイドからピットを覗いていたら、面白いものを発見。
 何とホルンの首席は出番が終わると、さっとパート譜の下から雑誌を出して譜面台に。隣の次席のお姉さんが横から覗き込んで、二人で熱中している。かと思えば、一人飛んだ4番ホルンは椅子の下にハードカバー、しおりはポストイット。取り上げたり、下に置いたりとマメなこと。さらに、隅のほうのトロンボーンに至っては、出番が少ないこともあって、ペーパーバックに没頭。同じような位置で、ピットのベルリンフィルを見たときには、そんなヤツはいなかったが…。これは国民性の相違か、ワーグナーとヴェルディの金管の頻度の違いか。しかし、あれで出損なったら一発解雇かな。いや、組合が強そうだから大丈夫か。プロらしいところは、数小節前にはしっかりスタンバイしていること。まあ、何度もやっているから、体が覚えているのかも。

ここで一句、「リゴレット、耳は舞台に、目はピット」

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