新国立劇場「ドン・カルロ」 ~ このピットは、いったい何だ!
2001/12/6

大好きなオペラの初日ともなれば、ワクワク。会社を脱兎の如く飛び出し、築地駅前の「小諸そば」で蕎麦をかきこむ。終演が11時を過ぎそうだし、食べなかったら途中でお腹が鳴ること間違いなし。

公演のチラシ

うーん。論評が難しい。

歌手は大変によかったのにひきかえ、オーケストラのお粗末さ。指揮者(ダニエレ・カッレガーリ)の責任か、所詮この程度のオーケストラなのか。
 いったい東京フィルは、駄目を出されて指環四部作から降ろされたことを屈辱と感じているんだろうか。覇気が感じられない。このオーケストラで、歌手がよくそれにつられなかったものだ。木管群とホルンは総替えしないと、どうしようもないのでは。
 この曲をやった経験がないのだろうが、初日ということを割り引いても酷い。楽譜の音符をただ無造作に鳴らしているだけ。オーケストラが薄くなって、歌の合間に木管のちょっとしたフレーズが目立つところ、奏者の腕の見せ所なのに素人同然、絶望的な気持ちになる。あるところでは音が弱すぎる、またあるところでは強すぎる、フレーズに抑揚がない、早い話が音楽性ゼロ。彼らは音楽をやっているというより、時間いくらの単純作業のようだ。

オペラハウスのオーケストラは、世界中どこでも大したことはないのだが、大野和士のオペラ・コンチェルタンテ・シリーズの頃を知っている私としては、残念でならない。来シーズンの東京フィル定期会員の更新は止めることにする。このオーケストラに関しては悲観的な見方が強くなるばかり。大体、合併したら同時にリストラというのは世間の常識、オーディションをやり直すなんてことをしたのかしら。
 オーケストラには辛辣になるが、それというのも歌手が全般に素晴らしかったから。オーケストラがそのうち足を引っ張るのではないかとヒヤヒヤしどおし。

ドン・カルロ役のファリーナ、第一幕のロドリーゴとのデュエットの前までは、何となく歌が平板で「仮面舞踏会」のときほどではなかった。しかし、以降は好調、どんどん声も出てきた感じ。声に魅力があるし、新国立劇場で育っていく歌手になるかな。

ロドリーゴのブルゾンは安定している。ときどき声を張るところでヴィヴラートが強くなるのが最近の傾向で、衰えを感じるない訳ではない。サントリーホールのときもでしたが、広い新国立劇場で死の場面を寝ころんだまま歌って4階バルコニーまで充分過ぎるほどの声が届き、乱れもないのにはあきれた。私の後ろに座っていた若い女性の二人組は、第三幕が終わった途端に驚嘆の声を上げていた。

エリザベッタのチェドリンスは、サントリーホールのときと比べるとやや生彩に欠けた。ホールの広さの問題かも知れない。この人の歌はもう少し小さめのところで聴く方がいいのだろう。でもよく聴くと、丁寧なしっかりした歌で乱れがないし、何と言ってもこういう役柄にぴったりはまる花のある人だ。

フィリッポ二世のスカンディウッツィ、好みから言えば、この役にはもっと硬質な声がいいと思うのだが、まあそれは好みの問題か。私にはボリス・クリストフの声の強烈な印象があるせいなんだろう。ひどいオーケストラでも弦は例外、有名なアリアのチェロのソロは素敵だった。

エボリのディヴァー、私のこの日の二重丸、声に力がある。深みのある声なので、逆に高いところはどうかなという懸念もあったが、第三幕第一場の幕切れのアリアも全く問題なかった。あれは金管バリバリの厚いオーケストラを突き抜ける声が出せなければ効果半減で、生半可なメゾだと歌いきれない。

宗教裁判長の彭康亮、配役変更になり全日歌うことになるのかな。でもこの役だと苦しい。音域だけの問題じゃなく、声の重さや音色がやはりバス歌手には要求される。スカンディウッツィもやや軽めの声だから、同じような感じではあるが。何と言っても、このドラマで求められる役柄の凄みが全くない。

天よりの声の佐藤美枝子、本当に天井のほうから声が聞こえたが、どこで歌っていたんだろう。なんだか機械を通したような声と感じたが、舞台裏で歌って天井のスピーカーから流したのかも。もし、そうだとしたら余計な小細工、ちょっと不自然さを感じた。

演出はオーソドックスという感じかな。群衆の動かしかたは、アウトダフェ(異端者火刑の場)など今ひとつ芸がない。一方、第一幕第二場は、とても綺麗な舞台だった。装置は4階から観ていると、遠近法が極端で、キュービズムアートを観るよう。ちょっと奇妙な感じだった。

また、日曜日に観る予定。回を重ねてオーケストラが少しはマシになっておればと期待したい。何と言っても、これはヴェルディの最高傑作、ちっとも長いと思わないし、歌手の出来は素晴らしいのだから。

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