ボローニャ歌劇場「清教徒」 ~ これがチケットレス突撃
2002/5/29

本来であれば、25日、びわ湖ホールの初日を聴くつもりが、東京の初日になってしまった。大津までチケットレス出撃し、プラカードを掲げて待つこと30分、ついに待ち人来らず。単身赴任者の普通の帰省になってしまった。
 で、この夜のチケットを確保していたかというと、全然。入場に至る顛末は、なかなか面白いので、あとで詳しく書くとして、まずは感想。

エディタ・グルベローヴァ、まだまだ健在たった。オペラで聴くのは三度目になるが、いつも「今のうちに聞いておかなくっちゃ、コロラトゥーラの盛りは短い」、と思いつつ足を運ぶ。こりゃあ、満足満足。

昔は、無段変速の超高性能オートマチックを思わせる完璧さに圧倒されたのだが、今はギアチェンジの気配を感じるようになった。それが、年齢による声の変化なのか、それともテクストを重視したドラマ指向によるものなのか、私には判別できない。

まあ、しかし、第二幕の狂乱の場は凄かった。長大な歌の中で、移ろう感情と言葉に沿った表現というのだろうか、私はもっと白痴美的な歌唱でも、それはそれで好きなんだが…

この歌が終わった後のジャコモ・プレスティアとカルロス・アルバレスの二重唱、落差が大きすぎる。このナンバーは、カットしても何の支障もないのではと思う。あまりにも陳腐な音楽で、本当にあれだけ高貴なメロディを書いたベッリーニの手になるものかとの疑いさえ。

この部分は音楽自体の問題ですが、私は世評の高いらしいアルバレスの歌についてはネガティブだ。どこがいいのかさっぱり判らない。こもったような声、不明瞭な発音(O Dio!というのがAddioに聞こえた)、オーケストラにのらない音楽、開幕のアリアを聴いたとき、この程度の歌手なら日本に何人もいると思った。

忘れちゃいけないサッバティーニ、びわ湖ホールでは歌わなかったので、初登場。日本だけでもたくさんの役柄を聴かせてくれたし、海外も含めるとたぶん一番多く聴いているテノールになる。

第一幕の登場のアリアは素晴らしかった。あれだけ遅いテンポで破綻なく歌うだけでも大変なのに、ピアニシモからアクートに至るまで美しいこと。いつも、全力投球で真摯な気持ちが伝わってくるのが、私は大好きだ。

まあ、私にとって、歌い手はまず声が好きか嫌いかなので、偏った聴き方かも知れないが、誰に文句を言われる筋合いでもなし。しかし、アルバレスが拍手喝采で、サッパティーニにはブーイングも飛んだのは、私には全く理解不能。

びわ湖ホールで二つの演目を見た在阪の友人によると、オーケストラの響きが本場というか、日本では滅多に聴けない音だったとのこと。確かに歌との呼吸は素晴らしいけど、私の印象だとそんなに違うかなあというところ。これは、びわ湖ホールの音響の良さも寄与していると思う(東京文化会館は声にはいいが、オーケストラにはややデッド)。

この友人曰く、「清教徒」はグルベローヴァに尽きるし、それ以外はどうであろうと値打ちがある、一方の「セヴィリアの理髪師」は演出、歌(アルマヴィーヴァ役を除き!)、演技、オーケストラ、どれをとっても完成度が高くて、総合点では「清教徒」を凌ぐとのことだった。

「えっ、一緒に聴いたソニア・ガナッシ(藤原歌劇団「カプレーティとモンテッキ」)よりも、カサロヴァが更にいいですか」
「うん、そうやで」。

そうかあ、こりゃ、そっちも行かなくっちゃ。
 ちなみに、私はオペラのトータルとしての感銘度では、この「清教徒」よりも藤原歌劇団の「カプレーティとモンテッキ」に軍配を上げる。

さて、どうでもいい話だが、チケット入手大作戦。

先週、会社の後輩(アマオケでチェロをやっている人)が突然、
「グルベローヴァって、凄いっておっしゃってましたよね。29日に聴きに行こうかと思うんですが」
「えっ、私は25日に大津で行くつもりだけど。もしアウトだったら東京で行くけど」
「じゃ、そのときには是非ご一緒させてください。チケットはどうします」
「そんなの、行けば何とかなるよ。プラカード出して立っておけばいい」
「それって、やったことないんですけど、手に入るものなんですか」
「東京文化会館なら、まず大丈夫。どれだけお金を出す気があるかだけど」
「せいぜい2万円です。」
「3万円なら大丈夫、うまく行けば、招待券をもらえることもあるよ。高い席の余り券の時価は開演1時間前をピークにどんどん下がるから」
「そういうもんですかあ」

一足早く会場に到着した私は、おもむろに大きなカードを提示、ややあって後輩も到着。二人並んで待つこと暫し。すると、サラリーマン風の人が、カードを持った人に個別ヒアリングを始めた。要は個々の予算を調査ということ、私はあっさり「MAX3万円です」、後輩は2万円と言ったらしい。

暫くすると、件のサラリーマン氏、私に歩み寄って「A席ですけど、3万円で」。
 即、「Done!」
 こういう時に備えて、金種を揃えて、お札は裸でポケットに。とにかく、ぴったりのキャッシュを先に渡したもの勝ち、というのが世界共通のルール。

カードを持ったまま、後輩の横で待つ。ともかく私はチケットを入手したので、余裕ができて周りを見回すと、当日券窓口付近にいる外人さんが目についた。誰かと待ち合わせかと思ったが、チケットを手に持って、ずっとそこにいるし、何となく挙動不審。

「おい、あの人、余り券持っているみたいだよ」
 すると、後輩、サッと歩み寄り、
 「Excuse me, but do you have an extra ticket?」、とか何とか。
 横から覗くと、何と、招待券じゃないか。
 「おいっ、1万円で買え」
 これで、めでたく二人とも入場、開演20分前。
 「さすが場数踏んでますねえ。大成果ですねえ」
 「コンサルタント料として、今度一回おごってね」
 お金がなけりゃ、知恵とガッツだ。

フジサンケイグループの招待券乱発は悪名高いもので、同グループが招聘ビジネスに手を染めた時の公演では、会場で相当数のファンが招待券をもらってタダで入場し、一種のスキャンダルになったことを覚えている。

私のような人間にとっては、それも悪いことじゃないし、無理して高価なチケットに手を出さないという人が増えれば、徐々に市場メカニズムが働いてくるということも考えられる。半年以上もかけて販売しなければ、S席・A席を売りさばけないというのは異常なことだ(そんな先の予定なんて、普通の人は決まらないのに)。
 ネット上のセカンダリーマーケットの状況を見ておれば、人気度合やgoing-price(時価というよりもこの表現のほうがぴったり)が判り、それと自分が決めた値段とがマッチングするかどうか判断できるので、便利な世の中になった。

脱線ついでに、この日は本当は紀尾井ホールに行く予定だった。東京室内歌劇場公演のサリエリ「ファルスタッフ」というレアもの、これはチケットを買っていた。
 もし、若杉さんの事故がなければ、払い戻しという措置はなかったので、上野に突撃ということにはならなかったと思う。直前のキャンセルを快く受けていただいた東京室内歌劇場に感謝するとともに、若杉さんには申し訳ないような。秋の「エルナーニ」(びわ湖ホール)に馳せ参じることで、この埋め合わせはいたします。

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