ボローニャ歌劇場「トスカ」 ~ フィアスコに至らず
2002/6/5

何とも言いようがないトスカの東京初日だった。
 ライモンディのスカルピア目当てで出かけたので、それはそれで大満足なのだが、オペラに行くって、それだけのことじゃないし…

幕開き直前の場内アナウンスなんて、ロクなことはない。
「……Cura………deciso………」、場内ザワザワ。
「マリオ・カヴァラドッシ役のホセ・クーラは体調不良のため…」
騒がしくなって、後は聞き取れない。

隣に座った二人連れのマダム、
「えっ、出ないの!何て言ってました?」
「たぶん、体調不良だけど頑張って演じることにした、ということでしょう。出来の悪い言い訳を先に言っておくということかも知れません」

始まった第一幕のクーラ登場の場面、それは悲惨なものだった。冒頭の「妙なる調和」、もう、歌になっていない。
 アリアの最後は鼻水を拭いながらという始末。これは相当ひどい風邪のようだ。でもね、それで無理して歌うのが本当にいいのかなあ。姿を見るだけで満足というファンも多いとは思うんだけど…
 拍手もブーイングも一切ない「妙なる調和」、異様な雰囲気だった。Fiascoというイタリア語(劇場での大騒乱の意)を思い出したが、そんな事態に至らなかったのは、不思議と言えば不思議。

二回の休憩が異常に長かった。
 途中交替もあるかなと思ったが、最後までクーラが歌った。ひょっとしたら、楽屋で点滴でもしていたのかも。

そんなことで、第三幕の「星は輝き」では、意外な発見もあった。指揮・オーケストラのサポートが凄いものだった。こんな小さくデリケートなピットの音を聴いたのは、クライバーのとき以来だ。クーラの声が出ないことを心得た上でのことと思うが、あんなに小さい木管群の音を出すのは、さぞや大変なこと。それもあって、何とか格好がついた。ガッティ、そしてオーケストラ、ただ者ではない。歌が重ならない部分でもオーケストラが歌っている。

ちょっと、どうかなと思ったのは、「歌に生き、恋に生き」の遅いテンポ。これは間違いじゃないと思うけど、サラザールには荷が重い。新国立劇場のトスカのファンティーニだったら、さぞや感動的な歌になっただろうなと、つい思ってしまう。サラザールは悪くないと思うが、比較するとやはり分が悪い。

ライモンディのスカルピアは期待通りの素晴らしさ。悪漢ぶりをどぎつく強調するのではなく、歌の品位を決して損なわない、ノープルさを備えたスカルピアだ。彼が登場する第一幕後半からオペラが始まった感じ。

掲示板を介してチケットを譲っていただいた女性と並んで鑑賞した。関西から遠征ということで、お話していると、私の実家のご町内に住まわれていたこともあるとか、世の中は狭い。

休憩時間の会話。
「色々な演出のトスカを見ましたが、スカルピアとトスカのキスシーンなんて初めて見ましたよ」
「そうなんですか、あれはトスカが身を任せるという覚悟を決めた表れだと思いました。もっと離れて拒絶の姿勢というのが多いんですか」
「ええ、そうです。それと、もうひとつ、トスカがスカルピアを刺すとき、もっと前からテーブルのナイフを手にとって隠し持っているんですよ。ところが、今日はスカルピアが向かって来たときに初めてナイフに手を伸ばして掴んでいましたよね」
「覚悟は決めていたものの、いざその時になると、嫌だという気持ちが突然こみ上げてということかしら」
「私はトスカは確信犯だと思っていましたが、この演出では衝動犯と見ているんでしょうねえ。あっ、そうそう、私はトスカのメイク、歌舞伎の隈取りみたいで、ちょっと変だなあと思ったんですが、女性が見てどうなんでしょう」
「あれは、ちょっと『濃い』と思いますよ。目元を強めにするなら判るんですけど、頬をあそこまで陰影つけるのは…」

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