ワシントンオペラ「オテロ」 ~ 台風が来れば…
2002/7/10

昼休みに一通のメールが飛び込んできた。
 新幹線が止まりそうなので、上京を断念します。今夜のオテロのチケットを無駄にしてしまいそうです、もし誰か替わりに行ってもらえれば…。というような内容。差出人はボローニャの「トスカ」余り券を譲っていただいて、一緒に観た関西の女性。

ところが、私自身は、朝一番でこれまた台風がらみで、友人から急遽代打要請を受けていたところ。彼女は、5000円でも結構(C席)ということだが、それじゃあんまり。10000円なら出してもいいという人を1時間で捜し出した。
 かくしてスクランブル出動の二人、NHKホールへ。

これは、ドミンゴのオテロという言い方に尽きると思う。
 私が観た1988年のニューヨーク、そして1992年のウィーンからでも10年が経過し、ドミンゴもキャリアの終わりが見えて来たかなという感じだが、やはり今もこの役の第一人者、特に後半の幕は見せる、聴かせる。さすがに輝かしい音色は望めなくなったが、円熟の境地。

しかしながら、ドミンゴ一人じゃ、オペラとしてはあまり楽しめなかったのは残念。イヤーゴのレイフェルクス、デズデモナのヴィツラロエル、どちらも全く私の好みではない。
 レイフェルクス、わざと響きの少ない邪悪な感じの声色で歌っているんだろうか。歌としてはあくまでベルカントで、表現力でイャーゴの邪悪さを感じさせるというのが、レベルの高い歌唱だと私は思う。
 ヴィツラロエル、今ひとつ、今ふたつ。デズデモナの純粋無垢さを表現すると言うよりも、脳天気さ、頭の悪さを表現しようとしているのだろうか。私はしまりのない歌唱と感じた。

今日一日だけのゲルギエフ、チケット完売ということなので人気のほどが窺える。ただ、私はそんなに大騒ぎするほどの指揮者かなと思っている。確かに推進力のある指揮ぶりだし、後半のオーケストラも表情はずっと良くなったが…
 オーケストラ、コーラスはわざわざ引越公演で来ていただかなくてもというレベルだ。ドミンゴが音楽監督になって、レベルは上がったとのことですが、全米でもマイナーなハウスであることは否定できないだろう。

ボローニャとほとんど同じ価格設定、単純に公演としての感銘度で値打ちを計ればボローニャ(トスカを除く)の半額程度が妥当なところだ。帰り道、びしょびしょになったとは言え、ちょっと辛辣かな。

      * * *

唯一チケットを買っていた「スライ」を観たあとで振り返ると、ワシントンオペラ公演というのは、いったい何だったのかなという気持ちが…

三大テノール公演が初めて行われた1990年がターニングポイントだったと言う人がいるが、確かにそれも一理ありそうだ。破廉恥なPAの使い方にしても、競技場でやっている延長と言えなくもない(何の躊躇もなく劇場に持ち込む慎みのなさ)。爛熟した資本主義の強欲にまみれたアメリカと、それなりの伝統と芸術指向があって、そこまでやれないヨーロッパとの違いか。なにやらオペラの世界も、経済の世界と一脈通じるものがある。

ともあれ、今回のオテロは予定外だったが、同時代人として4度も彼のオテロを聴けたということは幸せなことだと思う。デル・モナコのオテロと言われても、実際に聴いたオールドファンと、そうでない私などでは、本当のところ話は通じない。私はカラスを聴いたことはないが、録音で「この汚い声のどこがいいの」と思うのと、舞台で接するのは随分違うはずだし。

何でも計数化してしまうのもアメリカ的だが、踵を接したボローニャとワシントン、結果論でしかないが、この内容だったらこの値段が相当かなというところをまとめると…

日付 公演名 券面価格 支払金額 実質価値
5/29 清教徒 47,000 30,000 30,000
5/31 セヴィリアの理髪師 52,000 0 35,000
6/5 トスカ 15,000 15,000 5,000
6/27 三大テノール 75,000 0 3,000
7/10 オテロ 22,000 0 15,000
7/12 スライ 14,000 14,000 20,000

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