新国立劇場「イル・トロヴァトーレ」 ~ ヴェルディが泣いている
2002/11/21

終演2時間後に掲示板で公開した私の正直な感想。相当に辛辣なもの。

公演のチラシ

ノルマ・ファンティーニ(レオノーラ)は名唱だった。今や新国立劇場のプリマと言っても過言でない人。私は幕が降りるとすぐに席を立ったので、後の様子は知らないが、きっと盛大な拍手、Brava!が飛んでいたのではないだろうか。だけど、私は感動できなかった。きっと、この歌をリサイタルで聴けば大拍手だったと思うが、オペラの一部にはなっていなかった。

これまで、彼女のアメリア(ヴェルディ「仮面舞踏会」)とトスカをこの劇場で聴いたが、歌の、声の見事さの一方、感動に結びつかなかった理由が判ったような気がする。

私がオペラの中では、これが適切だと思うテンポより、彼女の歌はいつも遅いのだ。もっとも美しく声を響かせるテンポ、すなわち彼女が採るテンポは、四幕のドラマの推進力と相容れない。そして、音価いっぱいいっぱい、綺麗なんだけど、これが素晴らしいというふうには、私には思えない。同じことをトスカのときにも感じたから、単に今日だけのことじゃないのだろう。

それを許す指揮者の責任だと思う。彼女がテンポを指定しているのだろうか。オペラ全体のパースペクティブを持った指揮者の下では違った歌が聴けるのかも知れないが。とてもよかったのだけど、私は不満。

ファンティーニだけでなく、ルーナの堀内康雄にも同じことが言える。「君のほほえみ」の前の "Leonora è mia!"のあの破廉恥な伸ばしは何なんだ。続くアリアが完璧なら許せるところもあるけど、私はブーイングをこらえてしまったので、ストレスが内向してしまった。あーあ。彼がここで前回この役を歌ったときは、ずっと好ましいカンタービレがあったのに。自信が歌い崩しに繋がるようでは…

マンリーコのランド・バルトリーニには言葉もないくらいだ。どうして、こんなテノールを出すのと言いたいなあ。声が大きいという以外に、何の美点もない。例えば第四幕第二場、あんなにがなり立てられたらアズチェーナが眠れるはずもない。全くデリカシーのない、荒くぞんざいな歌で終始した。せめて例のアリア("Di quella pira")の超高音でも決まっていれば、まだ救いもあったのだが…

バーバラ・デヴァーのアズチェーナ、昨年のエボリ(ヴェルディ「ドン・カルロ」)降板の雪辱戦で、心配しながら聴いていた。特に破綻はなく、安定した歌を聴かせてくれた。高音がちょっと苦しいのはエボリのときと同様。一年でかなり太ったのかしら。それとも衣装や老け役のメイクのせいか。

フェランドの妻屋秀和は、アッティラ(昨年のびわ湖ホールでのヴェルディ)以来、注目のバスなのだが、この冒頭の長大な歌は、誰が歌っても難しい。それでも健闘だと思います。

端役ルイスで登場する中鉢聡、短い出番だが、彼が歌う場面ではいつも耳を奪われるところがある。何と言っても、2年前に東京に転勤して初めて行ったのが、岩井理花・中鉢聡ジョイントリサイタルだったので…

指揮者はジュリアーノ・カレッラという人、凡庸という表現以外は見あたらない。歌手がてんでばらばらに、好き勝手やっているのをなすがまま。客席にいた菊池彦典さんと替わってほしかったぐらい。

このオペラの主役4人のキャラクターは、特異なものばかりで、親子、兄弟、恋人という関係ではあるものの、ずっと平行線で交わることがない。まさかそれを考えた音楽づくりとは思えないのだけど。

ヴェルディが書いた溢れんばかりのメロディが、ソロで、アンサンブルで、うねりを生じていくトロヴァトーレは私の大好きなオペラなんだが、これじゃヴェルディが泣いている…

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