新国立劇場「ナクソス島のアリアドネ」 ~ 作曲家に注目(耳?)
2002/12/12

ひどい目に遭っても、やっぱりオペラの初日となると足が向いてしう。全然懲りない私。でも、今日は満足できる水準。ああ、よかったなあ。

公演のチラシ

このオペラの舞台を観るのは、まだ二度目。と言っても、若杉弘さんの町人貴族バージョンでの演奏会形式を、東京・大阪で二度、先日の井上道義さんの新日本フィル定期もあるので、ナマの回数で言えば五度目ということに。

プロローグ。オーケストラはどんな服装で演っているのかなと思い、天井桟敷から覗き込む。なあんだ、普通の格好じゃないか。終演後お客よりも早く帰るために、劇場入りも黒のスーツという人が多い日本のオーケストラだから仕方ないけど、劇中劇の始まる前はカジュアルで登場するぐらいの遊び心が欲しいなあ。

このプロローグは「作曲家」を中心に展開する。これまで聴いた演奏では、作曲家の存在感を感じたことはなかったけど、今日の手嶋眞佐子さんは素晴らしかった。このキャラクターが、プロローグの要の役だということを、初めて実感する。

今まで聴いた限りでは、そんなに私の印象に残る人ではなかったのに、今日の出来は彼女としても会心のものではないかしら。後半少しビブラート気味のところが気になりましたが、傷と言えるほどのものでもなし。メリハリの効いた歌唱でドラマを推進していたと思う。いつも少し退屈するプロローグが弛緩しなかったのは、彼女の功績だろう。

さて、休憩を挟んでの「オペラ」。私が唯一観た舞台のソプラノ・コンビとは肌の色こそ違え、体型はそっくりだ。アリアドネのマリアーナ・ツヴェトコヴァは大柄でボリューム充分、片やツェルビネッタのシンディア・シーデンは小柄でスリム。
 ツヴェトコヴァは見かけのイメージから、厚ぼったい声を聴かされるのかなと思ったが、そんなことはない。開始の長いソロでは、リリックと言ってもいいほどクリアで表情豊かなな発声でありながら、幕切れに向かって強い声も充分に出る。これは大したものだ。新日本フィルのときに、吠えるようなソプラノを聴いただけに、このアリアドネの格の違いがよく判る。

私は残念ながら彼のグルベローヴァの舞台は観ておらず、リサイタルで聴いただけなので、彼女の呪縛はない。そのせいか、シーデンのツェルビネッタは素直に楽しめた。とてもチャーミング。衣装もいい。コロラトゥーラの切れ味などを言えば、いろいろとありそうだけど、あまり気にならず、私は魅力的なツェルビネッタを楽しんだ。先日聴いた幸田浩子さんがこの演出でどんな歌を聴かせてくれるか楽しみ(チケットを買っていないが…)。

やや不満が残ったのはヴォルフガング・ミュラー=ローレンツのバッカスかな。もう盛りを過ぎたテノールだろうか。最後のデュエットではツヴェトコヴァとの落差が大きい。新日本フィルで歌った永田峰雄さんの輝かしい声とはとは比ぶべくもない。

演出はシンプルな装置で、人の動きも鬱陶しくなく、私は好感を持った。バッカス登場の場面とか、なかなか見せてくれる。

児玉宏さんはサロメに続いての新国立劇場のピット。かなりオーケストラを抑えていたと思う。今日の東京フィルは、この前の演目とは大違い。これだけ抑えられても(抑えられたからか)、ニュアンスのある音を出していた。もっとも、ホルンは例によって外すところがある(メンバーを替える必要あり)。今日は一軍メンバーだったのかも知れない。このオーケストラの新国立劇場での出来不出来の激しさはスリリングと言えなくもなし。

なお、私が一度だけ観た舞台というのは、ジェームズ・レヴァイン指揮、ジェシー・ノーマン、キャスリーン・バトル、タチアナ・トロヤノス、ヘルマン・プライなどによる1987年のMETの公演、字幕もなくて判らないところが多かったけど。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system