江戸川の「ボエーム」 ~ 何とかなるのがプッチーニ!?
2002/12/14

ここのホールも初めてだ。新小岩駅から長い商店街のアーケードを抜けて。ほんとに下町という感じ。大阪の天六(天神橋筋六丁目)や十三(じゅうそう)の商店街と似た雰囲気だ。15分ほど歩くと突然、親水公園があってそこが目指すホール。

公演のチラシ

ソフィア歌劇場来日公演の「ボエーム」は、これが最終日。各地を巡業するのでトリプルキャストらしく、江戸川では以下のメンバー。

 コスタディン・アンドレエフ(ロドルフォ)
 ニコ・イサコフ(マルチェッロ)
 ヒブラ・ゲルズマーワ(ミミ)
 スネジャーナ・ドラムチェヴァ(ムゼッタ)
 ゲオルギ・ノテフ(指揮)

いきなり、これは「ボエーム」の異版でやっているのかなと思ってしまいました。マルチェッロの"Questo mar rosso…"の第一声から違う音じゃないのか、続くロドルフォとのやりとり、どちらも音程がふらついているような。私の耳が変なのかな。それとも妙なイタリア語の発音のせいなのか…。

余談だが、概して日本人歌手のイタリア語は、東欧の歌手たちとは比較にならないほど立派だ。音体系が似通っているから、当然と言えば当然。第二幕に登場した杉並児童合唱団の子供たちのほうがイタリア語らしい。

オーケストラもボヘミアンたちも元気一杯なのはいいのだが、ロドルフォはあまりに演技が軽すぎる。ドタバタ動き回ってばかりで、恋に落ちる詩人という感じが全然しない。ミミとの出会いの後は変わるのかなと思ったが、そうでもない。「冷たい手」は"la speranza"のところの強く高い音を決めたのはいいのだが、それまでのメロディのうねりの延長としてのクライマックスではなく、取って付けたような印象がある。この人、アリアでは言葉は普通に近くなるのに、それ以外のところが変に聞こえるのは、きちんと教えらる人が少ないのか歌い込みの不足かな。

ゲルズマーワは、評判どおりの逸材であることは間違いない。この歌劇場で歌うのはもったいない。もっと上のレベルでやれる人だし、そうなると思う。この人だけが一流、他はひいき目に見ても1.5流というところだろうか。言葉だけを聞いてもそれは歴然。ゲルズマーワにも言葉の点では違和感を感じるところがあるものの、気になるほどでもなし。第一幕のカマトトのアリアよりも、第三幕の切実な心情吐露の場面のほうが、彼女の声が生きるようだ。芯のあるリリコの声だ。

「ボエーム」は何回観たことだろう。回数をこなしていても"はずれ"ばかりというオペラもあるのに、この作品では、私は"当たり"に恵まれた。サントリーホールでのサッバッティーニとデッシー、コヴェントガーデンのアラーニャとゲオルギュウ、メットのパヴァロッティとフレーニ(さらにハンプソンとクライバーのメットデビューというおまけ付き)。それらの舞台と比較するのは酷かも知れないが、それなりに楽しめてしまうのが「ボエーム」の魅力かな。プッチーニのオペラの台本(もちろん効果的な音楽も)はよくできている。

さて、都心を離れたローカルな公演ならでは、という事件があった。

第一幕、「冷たい手」が終わった後の拍手、そこで何と、相当数の遅れた人たちがゾロゾロと入場。うろうろしているうちに「私の名はミミ」が始まってしまった。私は3階9列33番という最上階の中央部に座っていたのだが…

Sì. Mi chicamano Mimi, ma il mio nome è Lucia.
  (あれ、アリアが始まっちゃったぞ。早く座ればいいのに)
 La storia mia è breve.
  (あっ、おばさんが一人、こっちに向かってきたぞ)
 A tela o a seta ricamo in casa e fuori.
  (わっ、この列だ、私の前をすり抜けて、舞台が見えない)
 Son tranquilla e lieta ed è mio svago fargigli e rose…
  (あれ、「間違っちゃった!」だって、また目の前を通って…)

くっそおー。何てことだ。あと10分で休憩になるのに、このアリアの前に客を入れたホールに憤懣やるかたない私は、幕間に当該ドア担当の人、会場責任者の人に厳重抗議。入れるのが悪いとは言わないが、入口付近の空席に着席させるとか、ドアの近くで立たせておくとか、入れる前に客に指示すべきだろう。担当のお二方とも恐縮されていたので、今後の公演に活かしてもらえれば幸いだけど…

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