ポーランド国立歌劇場「トゥーランドット」 ~ 予想に反して…
2003年1月13日

行くつもりはなかったのだが、さる方から直前にチケットをいただき、大宮まで出かける。昨年秋に続き、またも埼玉の「トゥーランドット」。

公演のチラシ

エヴァ・マルトンの「サロメ」を観たのは遠い昔。1980年代後半にNYで「マクベス」を観る予定だったのに彼女はキャンセル。その年、メット・デビューしたディミトローヴァのトゥーランドットに衝撃を受けたが、映像になっているマルトンはその先代になる。当たり役とは言え、この間の年月を思うと、果たしてどんなもんだろうということで、今回のチケットには食指が動かなかった。

"予想に反して"のその1は、マルトン。思ったよりも、ずっとよかったこと。

実は、往年の大ソプラノの落魄のさまを聴くことになったらいやだなあと、オペラに出かける浮き浮きした気分は希薄だった。さすがに、高音の力強さは衰えが隠せないし、舞台姿も太りすぎだし、年齢を感じる。でも、数え切れないぐらい歌っている役だけに、ツボをはずさないのはさすが。貫禄ということなんだろう。やはり、大舞台を踏んできた人は、何かしらのオーラがあるものだ。不思議。彼女が登場する第二幕から音楽も締まってきた。

と言うことは、第一幕が散々な出来ということ。

指揮はヤツェク・カスプシクという若い人で、元気バリバリなのだが、とても首都の"国立"歌劇場の公演で振るような人ではない。大勢の演奏者が"合わない"というのは致命的だ。特にオーケストラと合唱の呼吸が噛み合わない。合唱も人数の割には非力だし、上手いとも言えない。

この幕は、目まぐるしくシーンが展開し、音楽も変化が激しいのだが、場面場面が全くバラバラ、このシーンが次のシーンを導き出すという"変化の繋がり"が全く感じられない。それに、この指揮者・オーケストラが出すフォルテは一つしかない。いや、むちゃくちゃ強く、というのがあるので正確には二つ。聴いていてとても疲れる。

極めつけは、リューのアリア、"Signore, ascolta!"(お聞きください、王子様)。イザベラ・クウォシンスカという人ですが、何故かこのアリアで突然スピードダウン。指揮棒に蝿がとまるようなテンポになる。このテンポで情感たっぷりに歌い上げるのかと思えば、メロディラインが完全にブツ切りで変な強弱までつく。歌い手に優しいプッチーニ、しかも、"おいしい役"のはずのリューなのに…。第三幕の"Tu che di gel sei cinta"(氷のような姫君)も全く同じ。

これが、"予想に反して"のその2。

第二幕から"オペラ"になったのは、ヤネス・ロトリッチのカラフとマルトンの掛け合いが、なかなか聴かせたから。ロトリッチという人、高音の不安がない。第一幕の"Non piangere, Liu"(泣くなリュー)では、その前のアリアに完全につられて、だらしなさも感じたが、第三幕の"Nessun dorma"(誰も寝てはならぬ)は決めてくれた。一番低い音は誤魔化し気味ではあったが、美声のテノールだ。

"予想に反して"のその3かな。

スーパーマリオそっくりの風貌のカラフ、北京の民衆が人民服ならぬ工場労働者的な灰色の格好で、昔の東側の国のイメージがあるので、それを踏まえると、カラフは何となくワレサ議長に風貌が似ていなくもない。そうなると、民衆を抑圧する役人の衣装、赤が主体というのも何だかイミシンだ。

総じて言えば、昨年の新国立劇場の水準には及ばない。このトゥーランドットとカラフの二人をあのプロダクションに据えれば、今日よりもずっとすばらしい公演になるはず。そう考えると、我が国立歌劇場(?)も、なかなかいい線行っている。このところ翳りが濃いとは言え、国力・経済力の反映だろうか。ふと思ったのは、彼の国の人たち、シーズン最中に国立歌劇場が日本公演に出て不在、寒い冬の楽しみが奪われるということかしら。

もらったチケットで観て聴いて、正直なことを書いていいのかと思うが、私は評論家じゃないし。それを承知でチケットを送ってくださった方は、太っ腹、感謝。

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