藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」 ~ 指揮者(?)レナート・ブルゾン!
2003/1/18

公演のチラシ

たぶん、今日のことは広上淳一さん自身が、一番判っていることだと思う。オペラを振ることの難しさ、怖さ。また休養ということにならなければいいのだが。

期待値が高かったせいもあるが、残念な公演に終わてしまった。広上さんを起用したのには、それなりの人気を当てにした周囲の思惑だとしても、如何せん勉強不足、経験不足が露呈してしまった。

レナート・ブルゾンの伴奏を付けていて、彼は何を思っただろうか。「穴があったら入りたい」、という感じではないかしら。
 ブルゾンに救われた舞台と言っても過言でない。改めて凄い歌手だと思う。こんな人が毎年日本で歌ってくれていることは、大変なことだ。

最近では、声を張るところで、変なヴィヴラートがきつくなって、老いたりという感もあるが、今日の舞台は全盛期さながら。言葉の一つひとつに行きわたった神経、歌う言葉の強弱、長短、音色、それらすべてでドラマを表現する至芸。いつも、何故カットしないのかと思う「プロバンスの海と陸」のカバレッタさえ、その場にふさわしい詞が言葉が自然に歌になり、ドラマの一部を構成するという必然性を感じる。

ちょっと、これでは大人と子供だ。
 前奏曲の丁寧な表情付けの意図を感じて、ふむふむと思ったものの、オーケストラが(技量不足か)付いてこない。歌が途切れてオーケストラだけになると、ここぞとばかりに煽ったりするわざとらしさ。かと思えば、第一幕、アルフレードがヴィオレッタに思いの丈を歌う短いソロの後の、単調きわまる長い伴奏。いったいこの指揮者は何を考えているのかと思った。

アルフレード役のチェーザレ・カターニという若いテノールが、何度もオーケストラから脱線しそうになったが、歌い手というよりも指揮者の問題のような気がする。この人、歌、声自体は悪くないのに、それを活かせなかった責任はピットにあるだろう。

さて、肝心のヒロイン、ステファニア・ボンファデッリのヴィオレッタ。インヴァ・ムーラの後、椿姫は封印した私だが、まだ解禁には早かったということか。
 美声だ。しかも舞台映えのする容姿。歌のフォームもしっかりしている。声域にもムラがない。演技もまずまず。ただ、歌の中にドラマがあまり感じられない。所詮は虚構と知りつつも、それでもハートを鷲づかみするような、オペラのタイトルロールたり得なかったということになる。いわゆるベルカントものを聴くなら、十分すぎる歌だし、それだけの資質を持った人だと思う。しかし、ヴェルディでは…

第一幕幕切れのアリアが端的な例だ。どこと言って欠点はないし、歌い出しの"È strano, è strano"(不思議だわ、不思議だわ) の繰り返しの音符の長さの違いなんて、はっきりそれと判るほど明瞭に歌っている。だが、それが心理表現に結びつかない、外面だけのものになってしまっている。
 「花より花へ」のカバレッタに移って、束ねた髪を解いて自慢の(?)ブロンドをなびかせても、感情の高まりから側の椅子を倒しても、それは動作の世界にすぎず、歌の中のからのドラマの発露ではない。

第二幕以降は、彼女の歌も変わった。それは間違いなくブルゾンのおかげだろう。完全にジェルモン役のブルゾンがリード、本来はヴィオレッタとの真剣勝負の場面なのに、彼女はジェルモンに反応するだけ、それでもちゃんとオペラにドラマになっていくのだから、ブルゾンの力は計り知れないものがある。

別キャストの二日目も観に行くのだけど、少し気が重い。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system