藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」 ~ 健闘、Bキャスト
2003/1/19

連日、劇場に通うのは、ほとんどビョーキの世界だけど、同じような人が何人もいるのは、これもオペラの魔力。東京生活も二年を過ぎ、天井桟敷の見慣れた顔も増えてきた。

公演のチラシ

やはり、Bキャストも聴いてみるものだ。いろいろな違いが判る。谷友博さんのジェルモン、さて、新国立劇場での成功とは言えない経験(ルチア、トロヴァトーレ)がどう活きるか、野田ヒロ子さんというのは新星なのか。そんな興味で出かけた。

ボンファデッリと野田ヒロ子さん、全然キャラクターが違うようだ。そして歌も、演技も。資質、スケールの大きさではボンファデッリに叶わない。でも、野田さんの歌には、昨夜は感じられなかったドラマが感じられる。それは圧倒されたインヴァ・ムーラのような大きな振幅ではないが、繊細さを備えている。それは、やはり日本人女性だからかなあ。

演出も随所に違いが見られる。ヴィオレッタの衣装からして違う。第一幕のヴィオレッタは昨日はもっと黄色に近いドレスではなかったか。今日はずっと濃い目のオレンジがかったドレス。靴も昨夜は黒、今日は赤。ヒールの高さもボンファデッリほどではない(長身なのに、あれでは相手役のテノールが気の毒だった)。

第一幕の大アリアが始まる前、長い休止があった。夜会の客が退出して、いきなりではなく、舞台が静まって、さらに十分なポーズが。これも昨日とは違う。良い効果を挙げていたと思う。カバレッタでの椅子ひっくり返しもなし。評判が悪くて止めたのかな。野田さんの歌は高水準だが、声自体の威力や、ポテンシャルは、それほど感じない。まあ、それを感じさせる人との出会いはごく少ないし…

第三幕のアリアの繰り返しを、今日は省略したのは何故なのだろう。ムーラが歌ったとき、私はそのときが初めて聴いて驚いた。昨日のボンファデッリも歌ったし、この部分の詞はドラマの中でとても重要だということが判ったばかりなのに、カットされてしまい拍子抜けしてしまう。予定通りなのか、スタミナ切れだったのか。

谷さんとの第二幕のデュエット、野田さんはペースを崩さない。声量では圧倒的な谷さんとの絡みでは、ややもすると声を張り上げてしまいそうだが、きちんと音楽の表情を保持したのは立派です。

谷さんは、ルチア、トロヴァトーレのときに比べると、少しは余裕が出てきたかなと思う。相変わらず生真面目な歌というところは変わらない。もっと力を抜けばいいと、いつも思うのだけど…

谷さん、ストレート一本で勝負する速球投手のイメージです。昨日のブルゾン、カーブあり、胸元をえぐるシュートあり、決め球のフォークもあれば、打ち気をはずすチェンジアップも出る、かと思えば意表を突いてど真ん中に130km/hの直球で三振をとる老獪さ。これが経験の差というものだろう。

第二幕幕切れに登場し息子を叱責する場面では、彼の強い声が活きるのだが、ヴィオレッタとの長大な二重唱を一本調子でやられるとつらい。責めたり、すかしたり、慰めたり、世知に長けた手練手管で、アルフレードとの別れを海千山千の女に決意させるのだから、なまじのことでは。

サントリーホールでの「ドン・カルロ」で、フランドルの使者の一人だったのが、不調ブルゾンのロドリーゴと途中交代したという谷さん、今回のダブルキャストも因縁だ。精一杯大先輩の芸を吸収してほしいもの。

ジェルモンの衣装も全く違うのに驚いた。谷さんは普通のダブルのスーツ。ところがブルゾンは、コートを着ていたし、帽子もかぶっていたし、手袋もはめていた。ヴィオレッタを訪ねたとき、そうした身につけたものを、順番に取っていく仕草は、それだけで獲物を前にした猛獣を連想させる凄みがある。これは、演出家も口を出せないブルゾンの十八番ということなのだろうか。まさか、昔の大スターのように、その役用の自前の衣装を持って来ているということでもないと思うが…

昨日は酷評した広上淳一指揮の東京フィルについては、二日目は初日のようなひどさはなかった。ただ、時として極端にテンポを落とすのはいただけない。世界に何人もいない最高の歌い手なら、それでも立派に歌えるのでしょうが、歌手はオーケストラの楽器ではない。この人は、そこのところが全然判っていないのだと思う。

アルフレードのフランチェスコ・グロッロ、昨日の人と同様、気の毒でした。野田・谷コンビにしても、この伴奏でよく歌ったなあと感心します。たぶんBキャストのほうが練習時間が長かったのかも知れない。指揮者が自己主張したいのなら、一通り劇場のことは身につけてからにしてもらいたいと思う。

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