新国立劇場「無人島」 ~ これは、とっても難しいオペラ、かな?
2003/1/23

お昼過ぎに電話してみたら、「本日のZ席は完売いたしました。申し訳ありません」
 いやいや、謝ってもらう必要はありません。ご同慶の至り。 たった10席、雪も降るのに、こんなマイナーな演目で。しかしまあ、世のオペラ・フリークは今日も行く。と、人のことは言えないが。
 わずかなら残席があるということで、ダメモトで帰り道に途中下車。1階D3列6番というから、ほぼ中央の通路脇。こりゃ特等席に近い。関係者席の放出かな?

新婚旅行の途上に立ち寄った無人島で、男(テノール:高野二郎)は海賊に拉致されて、女(メゾソプラノ:小畑朱実)は13年間そこで待った果てに再会、めでたしめでたしというお話。

新婦が新婚旅行に、なぜ妹(ソプラノ:松尾香世子)を連れて行ったのか、男とその友人(バリトン:鹿又透)がなぜ奴隷の身から解放されて、偶然その島に戻ってくるのか、そもそも無人島で姉妹がどうやって暮らしていたのか。まあ、そんなことは訊かないお約束。言い出すと、オペラにならん。

誘拐オペラは、モーツァルトもロッシーニも書いているから、この時代には人さらいが特別なことではなかったのかも知れない。いや、何やら、今日的なところでもあるが。

たった四人の登場人物、オーケストラも十数人、これは小劇場で演るに相応しいオペラ。ハイドンが雇い主の貴族の館で上演したのは、どんな様子だったのだろう。

序曲がとても長く感じた。普段あまりなじみがないこの時代の音楽、こういうテンポなのかなあ。それは、曲のテンポというのじゃなく、時間の流れが…。四人の登場人物のアンサンブルが中心かと思えば、さにあらず。代わる代わる歌う。あれあれ、という感じ。

お話がこれだし、構成がこうだし、こりゃ歌手は大変だ。アリアと言わず、レチタティーヴォと言わず、なまじの歌ではアピールしない。
 若手実力派を所属団体に拘わらず糾合して上演している小劇場オペラ(そう言えば、栗林義信さん、五十嵐喜芳さんも、客席に)、今回も立派な成果だと思うが、楽しめたかと言うと…

第二幕の松尾さんと鹿又さんのシーンが一番印象に残った。デュエットと言うよりも、二人のレチタティーヴォで劇を進める場面だ。第一幕を聴いていて、ちょっとつらいなあと思っていたが、総じて休憩後の出来映えは尻上がりという感じ。

高野さん、この人、テノールなんだろうか。音域はそうかも知れないが、音質は純正テノールではない。バリトンとの中間のような感じ。うーん、判断が難しいなあ。
 鹿又さん、レチタティーヴォの素晴らしさは圧倒的なのに、アリアの歌づくりには、まだ精進の余地がありそうだ。
 小畑さん、アリアの巧さは確かに感じる。ただ、レチタティーヴォとの落差が激しいし、ほとんどの音にヴィヴラートがかかるのには抵抗感があった。
 松尾さん、素敵だが、パワー不足を感じる。アリアの中のアクートが極端に目立つのは、それ以外のところでの水準を上げる必要があると思う。例えて言えば、リッターカーで高速を飛ばすような感じがある。

個々人の歌が、これだけ耳に入ってしまうのは、この時代のオペラの怖さかも知れない。だって、それぞれの歌に耳をそば立ててしまう以外はないように書かれているのだから。

フィナーレになって、初めて四人が絡むアンサンブルが出現する。ここの舞台はなかなか楽しい。舞台上に楽士が一人ずつ順番に登場、登場人物になぞらえたヴァイオリン、チェロ、フルート、ファゴットが、それぞれのソロの前奏と伴奏を受け持つ。楽士はもちろんハイドン時代の宮廷楽士のスタイル。ソロがデュエットに、そして四人のアンサンブルに発展して行くという趣向だ。

演出(井原広樹)・装置(ユリ・マストロマッティ)はお金をかけないなかで、センスがあったと思う。

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