藤原歌劇団「イタリアのトルコ人」 ~ フィオリッラ、花の命は…
2003/3/9

二日連続で観ると、いろいろな発見があるものだ。つまらないことだけど、第二幕のトルコ人と恋人のカップル(一方はなりすまし)が鉢合わせする仮面舞踏会のシーン、バックのコーラスは後ろで何か食べている。オペラグラスで覗くと、どうもあれはパスタ、スパゲッティのようなものを手づかみで、顔を上に向けて口に入れている。そう言えば、底の深いパスタ鍋のようなものも、舞台上にある。

「こらぁー、つまみ食い!そんな行儀の悪いこと!」と、ウチのカミサンなら一喝しそうな気がするが、あれは野蛮で作法も知らぬトルコ人ということを示す演出なのかも。

それから、前後に高低差をつけた舞台、前の部分には歌舞伎の付舞台という感じの四畳半ぐらいの出っ張りがある。この上で登場人物が見得を切るのだが、これも左右の可動式。ところがこれは、後ろの舞台ようにの人力移動ではなくて機械式、ロープか何かで動かしていたのだろう。この部分はネズミ男のサポートがないので、飛び移ったりするときに左右にブレが生じて、ヒャッとするところもあった。ほんと、つまらないところに目が行くものだ。

さて、音楽…。連日、楽しめた。

何と言っても、タイトルロールのトルコ人、マルコ・ヴィンコがいい。芯のある美声、存在感がある。高音にも不安がないし、軽やかなパッセージも破綻がない。

詩人役のロレンツォ・レガッツォは、三日連続の舞台になるが、昨日とは微妙な所作の違いなどもあって興味深い。客席の反応を察知して変えているのかもしれない。役者だ。

ヒロイン、フィオリッラの亭主ドン・ジェローニモ役のホセ・フリアン・フロンタルは、立派な歌とは思うものの、私は昨日の久保田真澄さんのほうが、可笑しみとペーソスという点でははまり役と感じた。

ドン・ナルチーゾ役のラウル・ヒメネスは悪くはないのだが、私は五郎部俊朗さんのほうが好みかな。ロッシーニの歌としてはちょっとスピントがかっていて、音楽の軽やかな流れを殺すところがあるような気がする。声を張るところが、私がベストと思う程度より、少しずつ長く強すぎる感じ。ドニゼッティ以降ならそれでもいいのかも知ないけど…

さて、肝心のヒロイン、フィオリッラ。マリエッラ・デヴィーアを初めて聴いたのは10年以上前になる。それから随分と年月が過ぎた。もちろん、今も第一線の歌い手であるには違いないし、昨日の佐藤美枝子さんを聴いていなければ、大満足だったと思う。

昨日がBravissima!なら、今日はBrava!というところか。

年とともに衰えはある反面、それをカバーする技術は大変なものがあると思う。ピアニシモのコントロールの見事さなど、比類のないものだ。ただ、幕切れのアリアにしても、そのピアニシモを見事に持続するという感じで、それが佐藤さんのようにスリリングにクレッシェンドするところは聴かれない。言ってみれば、3回転ジャンプの連続で見事な演技を決めるという安心感はあっても、トリプルアクセルは端から期待できないような…

よく聴けば、声域によって音色の違いが少し耳につき出したし、一番の決めどころ以外では高音に衰えの気配が滲んでいる。技術の粋の末の自然さと言うには、そこまで完璧に誤魔化しきれないという感じ、佐藤さんの(もちろんテクニックの裏付けはあっての)天衣無縫さを感じる歌とは別の次元のものだと思う。

昨日、ゾクゾクっとしたところが、あっさりと普通に歌われているのを聴きながら、ロッシーニ・ソプラノの旬を聴ける時間は長くはないという思いを新たにした私。今回の公演、Aキャスト、Bキャストという言い方は、全く適切でない。

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