ちょっと寄り道 ~ 名古屋の「仮面舞踏会」
2003/3/21

三連休、単身オヤジの帰省の道すがら、名古屋に途中下車。愛知県芸術劇場には、東京で見かける顔も何人か。愛知芸術文化センターのプロデュースオペラ「仮面舞踏会」の公演だ。

佐野成宏(リッカルド)、佐藤しのぶ(アメリア)、直野資(レナート)、天羽明惠(オスカル)、西明美(ウルリカ)というのは、おそらくこのオペラの邦人ベストキャストに近いのではないかな。
 そう言えば、昨年の秋、新国立劇場の新監督によるシーズンプログラム説明会のとき、「日本人の優秀な歌い手を新国立劇場で聴けないのはどうして?名古屋まで行かないといけないなんて…」と質問したご婦人がおられましたが、確かにそんなところもある。
 それで、21日の公演、私はもともと寄り道だしまあ楽しめたが、東京からこのために遠征するほどのものか、ちょっと疑問なところもあった。

終幕のリッカルドのロマンツァ「永遠に君を失えば」は、ヴェルディのテノールのアリアの中でも、私は「運命の力」のそれと並んで大好きな歌だ。ここでは佐野さん健闘。美声だし、歌のフォームも端正だ。惜しむらくは、メリハリが足りない。
 ヴェルディのオペラの主人公テノールの中で唯一と言ってもいい理性的な人物が、感情の爆発を抑制しつつ痛切な想いを吐露する場面、一つひとつの言葉がもっと重く響いてほしい。例えば、l'ho segnato il sacrifizio mio(自己犠牲に署名してしまった)のところとか…。それに、後半部分のテンポが動くところや、舞踏会に移る直前の上向するフレーズなど、本当に美しく感動的な部分なんだが、聴き手としては完全燃焼には至らず。レナートの刃に倒れた後、幕切れまでの息絶え絶えに歌う場面は聴かせたが。

なんだか皮肉のように聞こえるが、佐野さん、それまでの幕では場面場面でかなりムラが感じられた。もちろん、水準的には立派なものにしても、どうも私にはしっくり来ない部分が多くて…
 占い女ウルリカのところで水夫に扮して歌うカンツォーネ「今度の航海は…」。やけにテンポが遅い。途中の早口言葉の部分との対比感を出すためには、前半のテンポを上げる訳にはいかなかったのだろうか。波のうねりを感じさせるようなメロディラインが死んでしまっている。正体がばれたあとの「冗談、戯れ言…」の歌は、よかったのだが。
 まあ、この第1幕第2場は、テノールにとっては三重唱から始まって、二つの重要な歌のあとアンサンブルなので、大変ではあるけど。
 これに備えてではないでしょうが、第1幕第1場は安全運転と言うか、最初のアリアから抑え気味、ちょっと元気がないなあという感じだった。場面の終わりのストレッタの中での alle tre(三時に)なんて、もっと輝かしく響いてほしい。
 第2幕の佐藤さんとの場面でも、二人の愛の二重唱の高揚感が希薄だ。アメリアがとうとう愛を告白した後、ここはクライマックスのはずなのだが…

これは、指揮者(マルコ・ボエーミ)、演出(高島勲)の考えなのだろうか、全体を通して暗く地味な舞台だし演奏だ。そういう悲劇色を強調したかったのか、この愛の場面も然り、随所にヴェルディが挿入しているコミカルな部分も、敢えて無視したようなドラマづくりに感じた。
 この指揮者のもっさりとしたテンポと、意味の感じられない間の取り方には少し閉口した。音楽の流れが自然でない。

佐藤さんの二つのアリアは立派なものだが、長すぎるポーズ、引き延ばしたようなテンポは過剰と言うしかない。しっかりした技術的な裏付けがあるから歌えるのだと言えるが、ドラマから来る必然性を感じるよりも、私はやりすぎで逆効果という印象を持ってしまう。
 ところで、どうして佐藤さんがカーテンコールの最後に登場するのだろう。題名役のないオペラだけど、間違いなくこれはテノールが主役のオペラなのに。摩訶不思議なこと。

この二人の他のキャスト、満足できる歌だった。
 天羽さんは非の打ちどころなし。どこをとっても安定している。演技も達者。理想的なオスカルだろう。直野さんは、いつもながらの安定感と役者ぶり。西さんは、この役の一番低いところの声では凄みに欠けるが、それを補う中音域の充実がある。

演出は全体の暗さはともかく、お金をかけていない割にはセンスを感じた。最初の場面の遠近法を強調した斜めの大きな階段の舞台、終幕の舞踏会のシーンへの転換、特に人の配置の仕方、動かし方に見るべきものがあった。

これは絶対にダメ、というところはないのだが、この極めて遅いテンポと暗めのトーンで通そうとすると、もう一段レベルの高い歌と、相当な準備期間が必要な気がする。

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