ボッセ/スウェーデン放送合唱団/関西フィル/ミサソレムニス ~ 彼岸の音楽
2003/11/14

世評に高いスウェーデン放送合唱団がいずみホールに登場するとなれば、何を差しおいても行かないと。私、実は、ミサソレムニス(ベートーヴェン)という曲も聴いたことがない。

出だし「キリエ」では、「ちょっと子音のきつい人が混じっているなあ」なんて、余裕の体勢でしたが、第2曲の「グローリア」後半からはKO状態。これは、スカラ座のコーラス(ヴェルディのとき)に匹敵するクオリティだ。どうも、私の場合、比較がそんな風になってしまう。

一曲の中での起伏、短いフレーズでの抑揚、音量の変化、音楽的とはこういうものを言うのだろう。人数にして30人ちょっと、ヴォリュームで圧倒するのではなく、音楽性で圧倒するコーラスだ。いみじくも「第九の第四楽章を、一時間半にわたって聴けた」というようなことを終演後に話していた人がいたが、確かにそんなところはあるにせよ、あれはアマチュアでも歌える合唱、ちょっと比較するのはねえ。

来日ソリストのバックに国内のコーラスは普通ですが、その逆のパターンというのは珍しいものだ。こんなコーラスをバックに歌うソリスト(釜洞祐子、寺谷千枝子、畑儀文、小原浄二)は果報者だ。
 ソリストはオーケストラの前、私は珍しく7列目左サイドのS席で聴いていたので、お気に入りの釜洞さんの美声が真っ直ぐに飛んでくる。いつもながらの口跡のよさ、心持ちシェイプアップしたような感じもあり、声も好調。
 寺谷さんも同様、かなりコーラスに触発されたところもあるように思う。男声二人はゲルハルト・ボッセさんと大きな譜面台に隠れるポジションだったので残念。畑さんは大阪倶楽部や甲子園会館のようなサロンでのシューベルティアーデで本領を発揮する人だが、高音の密度に欠けるのが惜しい。小原さんは、オーケストラやコーラスに埋没していた感があったが、終曲「アニュスデイ」では見事なバリトンを聴かせてくれた。

ボッセさんは、私の東京暮らしの頃には聴く機会がなかったが、メリハリがあって、かつ暖かく静謐なベートーヴェンだったと思う。近くで見ると、相当な高齢、こういう宗教曲だから言うんじゃないけれど、此岸から彼岸へ移りゆくような美しい音楽を聴かせてもらった。

終演後、JR大阪城公園駅に向かう聴衆と、いずみホール楽屋口から舞台衣装のまま出て来たコーラスの人たちが、ホール前の空中広場ですれ違い(たぶん隣のホテルニューオータニから着替えてきたのだろう)。ホールの外で拍手やブラーヴォなんてことになるのは、いかにも大阪。彼らも、Thank you, thank youなどと、すこぶる上機嫌。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system