大井浩明・鈴木貴彦/二台ピアノ演奏会@京都 ~ 京都のやんちゃ坊主たち
2003/12/21
昨日は大阪市立大学で文楽、曽根崎心中・天神の森の段の無料公演、そして今日は京都コンピュータ学院でピアノの無料コンサート。今年のコンサートは打ち止めにしたはずなのに、ひとつ残っていたのを忘れていた。申込みはしたものの、チケットが存在しないものだから…
それは、大井浩明・鈴木貴彦、二台ピアノ演奏会。京都コンピュータ学院創立40周年記念行事ということだ。
11月のはじめ、突然スイスから届いたメールが今回のコンサートの案内だった。掲示板に書いた昨年のアサヒビールでの無料コンサートの感想が、アサヒビールの広報を経由して大井浩明さんの目にも触れたようだ。
さて、本日のプログラムは、
ベートーヴェン:弦楽四重奏のための「大フーガ」op.134
(1826/作曲者による連弾版)
野村誠:2台ピアノのための新作「パニック青二才」
(2003/京都コンピュータ学院委嘱・世界初演)
千秋次郎:2台ピアノのための「薔薇旧歌」(1986)
ブーレーズ:「構造」第1巻(1951)
…… 休憩 ……
ブラームス:2台ピアノのためのソナタ へ短調op.34(1864)
ナンカロウ:自動ピアノのためのスタディ第7番
(1950s/ 2台ピアノ編曲による世界初演)
不思議なプログラムだ。ベートーヴェンとブラームスで始まり、コンテンポラリーに続く、とんでもない落差かと思いきや、いや、そうでもない。200年近い時代の差が、水と油ではなくて、連続線が感じられるのは、演奏のありように起因する気がする。
つまり、ベートーヴェンもブラームスも、何か現代音楽の響きが聞こえる感じ、両者ともかなりの難曲ということもあるのだろうが、情緒に流れるところはない。構造が複雑で、それを解きほどくような演奏というか、音の流れ、ピアノのダイナミックスだったと思う。
大井浩明、鈴木貴彦という若くて優秀なピアニストの頭には、プログラムを組むときから、そういう構想があったのかも知れない。この二人の奏者、採り上げられた邦人作曲家、野村誠、千秋次郎ともに、京都大学ゆかりの人、そういうグループのようだ(後援、京大音研同窓会)。
野村さんの「パニック青二才」はやたらに音が多い曲。ピアノだけでは足らず、大井さんまでムニャムニャと声まで出すという次第。やんちゃ坊主の手になる曲という感じだ。千秋さんの曲は、うってかわってロマンティックと言っていいぐらいのもの。でも演奏は、あくまでクール。ブーレーズは私には何とも…
ブラームスは弦楽版では馴染みがあるのだが、ピアノだけだと音が厳しい表情を持ってくる。第1楽章のチェロが歌うところも、ピアノだと何だか乾いた響き、終楽章のクライマックスは硬い音の重なりが圧倒的、弦楽五重奏やピアノ五重奏で聴くのとは別の音楽のようだ。
最後のナンカロウって何だろう、これを最後に持ってきたのはわかるなあ。凄い曲だ。二人のピアニストが別の曲を弾いているよう。それがバラバラのようでいて、あるときは重なり、そして離れて、もちろんイディオムは同じ、受け渡しもあるし、ジャズを思わせる即興的なところも、それが楽譜に全部書かれているのかどうか知らないが、フィナーレは見事に寄り添って完結。うーん、これ、面白い。