大植英次/大阪フィルのショスタコーヴィチ ~ 粗暴じゃない戦争交響曲
2004/2/13

昨年5月、マーラーの第2交響曲で始まった大植音楽監督/大阪フィルの最初のシーズン、最後の登場はショスタコーヴィチの第7交響曲、まさにマーラーの嫡子に当たるような曲だ。

就任直後にバイロイトの指揮台に招かれることが決まり、シーズンたけなわの頃には阪神タイガースの優勝、本人も言うように、大阪着任は運も呼ぶとてもいい巡り合わせだったようだ。
 それは大阪フィルにとっても言えること。良きにつけ悪しきにつけ、あまりにも大きな存在だった前監督時代から、演奏は大きく変貌した。わずか1年を経て、到達したレベルの高さを感じさせる今日のレニングラード交響曲だった。今シーズンの幻想交響曲の名演に比肩する、あるいは凌ぐ出来映えか。

この曲、一年ちょっと前に、ゲルギエフ/キーロフ+N響の巨大編成による演奏を東京国際フォーラムで聴いたのが私は最初だから、正味二度目。あのときは、コンサートホールじゃない巨大会議場での演奏なので、今日のザ・シンフォニーホールと単純比較するわけにはいかないが、今夜の感銘度は遙かに高いものだ。

作品としての魅力を感じるに至らなかったゲルギエフの演奏に比べ、今日の演奏は出色。細部に傷がないわけではないが、大阪フィルの楽器のバランス、各パートのフレーズの丁寧さが、これほどのレベルに達したのを聴いたことがない。

ホールを満たす大音響が、昔ならやけっぱち的な響きになることが多かったオーケストラ、今は周到にコントロールされた音を出すのが驚きだ。それは、あの第一楽章の「ボレロ」の手法を借りた部分で顕著、そして終楽章の楽想の変化の自然さ、人を喰ったようなフレーズの見事な融和。マーラーのときは、ややギクシャクしたものを感じたコンビが、6回目の定期演奏会(いずみホールを含む)で見せた進化だろうか。国内オーケストラでは不満の多い木管群だが、今日は上出来、なかでも決してオーケストラから浮いてしまうことのなかったピッコロ奏者には感心した。

やはり駄作ではないかと思った前回の第7交響曲、これは傑作かも知れないと思った今回、こんなことなら二日連続で聴けばよかった。
 来シーズン、春の祭典、ブルックナー第8、サムソンとデリラ、マーラー第6で定期演奏会を振る大植音楽監督、この多彩さも魅力だ。

ほとんど恒例のようになったステージからの大植さんのコメント、さすがに一曲プログラムだと、それは、なし。オーケストラ退場まで席を立つ人がほとんどいないのは、それを期待してか、人気のゆえか。しかし、終演後のクロークのカオス状態は困ったものだ(ちょっと工夫すればスムースに流れるのに)。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system