ヴェッセリーナ・カサロヴァ・リサイタル in 大阪 ~ つきまとう違和感
2004/3/31

大阪での公演、ザ・シンフォニーホールに出かける。東京(2回)、横須賀、大阪、名古屋という全国ツアーで、主催者は公演ごとにまちまちだが、プログラムは一本(下記)。アンコールも同様の模様。

モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」序曲
 グルック(ベルリオーズ版)「オルフェオとエウリディーチェ」よりオルフェオのレチタティーヴォとアリア
 同、バレエ音楽「精霊の踊り」
 モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」よりセストのアリア
 ブリテン「音楽の夕べ」(ロッシーニに基づく)より「行進曲」・「チロル風」
 ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」よりロジーナのアリア
   … 休憩 …
 ロッシーニ「チェネレントラ」よりアンジェリーナのアリア
 ビゼー「カルメン」より第一幕への前奏曲
 同、ハバネラ
 同、第2幕への前奏曲
 同、ジプシーの歌
 同、第4幕への前奏曲
 ヴェルディ「ドン・カルロ」よりエボリのアリア
   … アンコール …
 ブルガリアの歌
 ロッシーニ「アルジェのイタリア女」よりイザベッラのアリア

まあ見事にインストルメンタルとヴォーカルのピースが交互に並べられている。こういうリサイタルでは仕方ないことだが、誰ひとりオーケストラの演奏を聴きたくて来ている訳じゃないから、ここまでやらなくてもと思ってしまう。序曲があってアリアならともかく、ヴォーカルのナンバーが済んだあとにまで、同じオペラのインストルメンタルピースを並べるのは無意味だ。大阪センチュリー交響楽団を指揮するデイヴィッド・サイラス氏、分をわきまえた感じが態度にもありあり。面白味はないにしても手堅い指揮ぶりだが、さっさと演奏を開始し、終わればソリストにそそくさとバトンタッチ、お客さんに申し訳なさそう。

さて、カサロヴァの歌、デビュー以来、録音が出れば必ず購入していた私だが、ここ数年はお小遣いが減ったこともありますがパスしている。

今回のリサイタルでも顕著だったのは、音色と強弱のバランスを失する箇所が耳につくこと。突然に野太い低音域が出現することに、私はすごく抵抗感がある。それ自体は汚い声でもないし迫力充分なんだが、先行部分とのギャップが…。声の強弱もあわせると、TV番組に挿入されるCMの音量ギャップのイメージ(ちょっと言い過ぎかな)。彼女の歌、こんなだったんだろうか。どのナンバーも客席は大拍手だけど…

ロッシーニは安心して聴けるのだが、カルメンとエボリはどうも。作りすぎのような感がある。聴き手の準備が整わないままに、いきなり重いアリアだからも知れない。どのナンバーもそうだが、この人はオペラの中で聴きたい。ちょうど一年前、彼女との共演が多いエディタ・グルベローヴァのリサイタルを同じホールで聴いたが、ひとつのアリアでオペラ全体のドラマを感じさせる彼のソプラノの域にはずいぶん距離がある。

ザ・シンフォニーホールも空席が目立つ。最高席は12000円だが、二階中央部がまとまって空いている。両サイドのバルコニーや二階の最後列が塞がっているのでとても奇妙だ。舞台から見たら、さぞ変な眺めではなかったか。

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