新国立劇場「ファルスタッフ」 ~ bocca baciata
2004/6/29

歌手はなかなかの適材適所、声のあるなし、好不調は見られるにしても、それが図らずも役柄とフィットしていたし、実年齢を見てもうまくキャストを配していると思う。芸の力で歳を超えるということはあるにしても、やはり相応しい年齢の配役は自然だ。忙しいスケジュールを縫って出かけた初台、楽しめた公演だった。

唯一、指揮者ダン・エッティンガーには相当のブーイングも飛んでいたが、そこまで貶すほどではないにしても、あれはあながち不当な評価でもないと私は思った(ブーイングに唱和したわけじゃないが)。
 指揮者自身の問題なのか、オーケストラ(東京フィル)なのか、音楽自体は生気溢れると言ってもいいし、快調に流れていくのですが、「やかましい」と感じる瞬間がとても多い。ヴェルディがスコアにtutta forzaと、あちこちに書いている訳でもないと思うが、思いっきり鳴らしてしまう。
 もうそこでは、ニュアンスもへったくれもない騒音に近い響きになってしまう。特に第1幕にその傾向が顕著、指揮者が若くて元気がいいからかも知れないが、このオペラでは感興を殺ぐものでしかない。一言で言えば、「修業が足りない」。

ジョナサン・ミラーの「ファルスタッフ」の演出は、初演100年のころ、チューリッヒで観たことがある。飛行機を降りてすぐに駆けつけた現地チケットボックスのおねえさんが、「とっても素敵な舞台ですよ!」と、チケットに言葉を添えてくれたのを思い出す。

今回の舞台はそれとは別のものだが、美術に凝っているのがよく判る。フェルメールなどオランダ絵画のイメージを借りたもので、L字型の壁を回転させる舞台転換、遠近法をうまく使って騙し絵の要素もたっぷり。

口を開けば"bocca baciata…(キスした唇は…)"ばかりのフェントン(ジョン・健・ヌッツォ)、その相手のナンネッタ(半田美和子)には、幸せいっぱいの若い恋人たちを見るというよりも、頭の中はセックスのことだけという脳天気さや愚かしさを感じるのですが、それは私も歳をとったせいかなあ。
 一方で、ウィンザーの女房たちにコケにされっぱなしの老境ファルスタッフ(ベルント・ヴァイクル)に心情的に同化してしまうのも、その裏返しかなあ。

ヴェルディはどんな気持ちでこのオペラを書いたんだろう。青春への追憶か、老いの悲しさか。一筋縄ではいかぬ喜劇、私は人間に対する皮肉なヴェルディの目を感じた昨日の公演だった。

もうひとつの発見は、第2幕第1場のフォード(ウラディミール・チェルノフ)のモノローグ、これを聴いていてイアーゴのクレードのパロディに違いないと思ってしまった。
 練り上げられた台本、精緻を極めるアンサンブル、そこに込められた含意、観るたび、聴く度に、新しい発見がある奥が深い作品だ。

医師カイウスのハインツ・ツェドニクは名バイプレイヤーで名をなした人だが、もう声がなくなってしまって、こういう役しか歌えないのだと思う。それも時の流れ、仕方ないことだろう。バルドルフォの中鉢聡は、この軽薄な役柄にはまっていて、声にも魅力がある。ピストーラの妻屋秀和との凸凹コンビは、その組合せだけで笑いを誘う。

アリーチェのスーザン・アンソニーは舞台映えのする人で、貫禄充分。ナンネッタの半田美和子は、二期会公演でこの役を歌った森麻季と比較すると、もう少し花がほしいという気はするが悪くない。クイックリー夫人のアレクサンドリーナ・ミルチェーワはプログラムの写真よりもかなりお歳の模様。ただ、そういう役柄だし、これはこれで。メグの増田弥生は、ちょっと存在感に乏しい感じだった。

ジョン・健・ヌッツォはNHK御用達みたいな感じになってしまって、妙な路線に進んでしまうのではないかと思っていたが、初めてナマで聴く歌は安定感があって好感を持った。しっかりメインストリームを外さないでほしいものだ。

ウラディミール・チェルノフは「シモン・ボッカネグラ」で聴いたことがあるが、フォードの軽妙さはなく、前述の歌にしても「仮面舞踏会」のレナートのアリアのようにシリアスに聞こえてしまうのは、それはそれで、ひとつの滑稽さの表出でもあるような…

同様に、ベルント・ヴァイクルの題名役も、からっと笑うような滑稽さではなく渋面のなかに口元がかすかにほころぶような役作りのようだ。声で圧倒するわけでもないし、大袈裟な演技もない。大向こう受けするのではなく、滑稽で哀れな等身大、自然体のファルスタッフだったのじゃなかったかしら。この役の作り方として、私は好ましい印象を持った。

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