スポレート実験オペラ劇場「舞台裏騒動」春秋座 ~ 京都は暑うーい
2004/7/4

この公演、行こうか行くまいか、迷った。名前も聞いたことのない作曲家、フランチェスコ・ニェッコ。音楽祭で名前が知れたスポレートのことは知っているものの、どんな作品なのか、どんなレベルの歌が聴けるのか、皆目見当がつかない。チケットも高いし(1階7000円、2階5000円)、場所も遠そうだし、やめておこうかと思った矢先、オークションで見た半額のオファーが私の背中を押した。

さびしい入りだ。贔屓目に見ても客席の三割も埋まっていなかったと思う。そんなに広くもない劇場で、あまりにガラガラだと、客席も何となく居心地が悪いが、かえって舞台上との間に一種の緊張感を生むことにもなるので、一概にさびしいというわけでもない。多分オールイタリアンキャスト、しかも若い人たち、閑古鳥が鳴いている客席にもかかわらず(いや、それ故にか)、手抜きなしの演奏だった。

プログラムは買わなかったが、公演チラシによれば1805年のスカラ座での初演ということだ。別の本にはスカラ座で1846年に23回公演という大当たりを取ったとも書かれている。その間40年だから、19世紀の前半、これは人気作品だったということなんだろう。

オペラの舞台裏のドタバタを題材にした作品は結構ある。いま最も有名なものは、「ナクソスのアリアドネ」のプロローグだろうか。
 この作品、プリマドンナの我が儘に引っかき回される「オペラセリアの稽古」(原題)ということで、ありがちなブリモウォーモとの痴話喧嘩、さらにプリマドンナに想いを寄せる裏方も絡み、というお話。

と言っても、そんなご大層なプロットがあるわけでもなく、いろいろなオペラからアリアを挿入、一種のガラパフォーマンス風です。浮気なプリモウォーモのレチタティーヴォが突然「あれかこれか」(ヴェルディ「リゴレット」)に移ったり、後に反省して「人知れぬ涙」(ドニゼッティ「愛の妙薬」)で和解なんて、うまくシチュエーションにあわせて組み入れている。

でも、何か変だなあ。1805年の初演ということは、「リゴレット」(1851年)も、「愛の妙薬」(1832年)も出来ていないし、ヴェルデイなんて生まれてもいない。

と言うことは、基本のプロットとアンサンブルを中心としたニェッコ作曲の音楽があって、上演のときに適宜フィットするヒットソングを何曲か挿入すればOKということなんだろう。全二幕、休憩を含んで二時間だから、借り物のアリアの分を控除すれば、正味のオリジナルは一時間程度かなあ。ま、この時代の作品、ましてやブッファに本歌取り(平たく言えば借用、悪く言えば剽窃)は、当たり前だったんだろう。

オーケストラというものはなく、舞台上にピアノ、弦が四人(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)という簡素なもの。多分いろいろと省略しているのだろうが、いったいスカラ座ではどんな風に上演したのかな。
 若い歌手たち、金の卵がいるかなと思って聴いたが、劇場支配人代理の詩人役を務めたオマール・モンタナーリ(バリトン)が印象に残った。
 プリマドンナ役のサブリーナ・ヴィアネッロ(ソプラノ)、この程度の歌手なら、国内にいくらでもいる。彼女が悪いということでは全くなく、国内の水準が高いことを再認識する。ただ男声、そしてアンサンブルとなると、やはり差があるのは否めない。

さて、京都芸術劇場「春秋座」というのは、京都の北東、大原に向かう道の途上、ほとんど町はずれにある。京都駅からバス50分、遠い。京都造形芸術大学のキャンパスの一部で、ホールの隣は学食、休憩はそちらでというのも面白い。劇場のモダンなファサードの大階段はユニークだ。ふと、「ゴッドファーザー Part 3」に出てきたテアトロ・マッシモ(パレルモ)が思い浮かぶ。

それにしても、京都は暑い!
 京都駅に降り立ったら、駅前広場では祇園祭のコンチキチンの演奏をやっていた。春秋座に早く着いたので、近くの一乗寺下り松まで歩いて、詩仙堂に寄っていく。紅葉で名高い名園も、この時期は閑散としたもの。あっつうーと言いながら、ここで京都らしい夏を静かに味わうのもいいかも。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system