8月!の定期演奏会 ~ 広上淳一/京都市響のショスタコーヴィチほか
2004/8/28

京都市交響楽団のホームページによれば、「真夏の8月にも定期演奏会を開催するという日本オーケストラ界における革新的な試み」という謳い文句だ。確かに南半球ならいざ知らず、日本の、ましてや京都の8月なんて、ヴァイオリンのニスが溶けそうなのに。

珍しいショスタコーヴィチの第6交響曲をメインにしたプログラム、京都コンサートホールは遠いけど(京都駅からでも30分はかかる)、コンサートに飢えた時期のこと、近鉄電車・地下鉄を乗り継いで出かける。

懸念事項は、藤原歌劇団の「トラヴィアータ」の演奏で、閻魔帳に☆三つじゃなく、×を三つぐらいつけた広上淳一氏が指揮台に上ることでしょうか。オペラの適性なしと私は見るが、シンフォニーだと違うかも知れないし…

ショスタコーヴィチ:交響詩「10月革命」op.131
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35 
 ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調op.54
   米元響子(ヴァイオリン)

広上氏の指揮を聴いたのは、長期休養明けの「ドン・ジョヴァンニ」ハイライトと平野公崇をソリストに迎えた異例のコンビネーションプログラム、そして件の「トラヴィアータ」だけだと思っていたら、大阪音大カレッジオペラハウスでの「トスカ」というのも昔あった。しかし、純オーケストラコンサートでは初めてか。

今夜のコンサート、私の予想を完全に覆すものだった。

ひとことで言うと、とてもきっちりしたショスタコーヴィチだ。あまり極端なテンポの動きはない。各ソロパートもしっかりしていたし、アンサンブルも緻密だ。夏休みの名曲コンサートじゃない、さすがに定期演奏会、革新的な試みというのも誇大広告でもなさそう。

しかし、演奏がきっちりしすぎて、この作曲家らしい過剰や諧謔のトーンが抑えられているようにも思える。「端正な」というおよそショスタコーヴィチのシンフォニーに似つかわしくないような言葉が浮かぶ。

楽章を追うごとにどんどん加速していく第6交響曲、でも今日の演奏はアレグロ(第2楽章)とプレスト(第3楽章)の差をあまり感じなかった。スピードを上げてオーケストラを煽ってしまうと破綻の危険があるが、どこか狂気じみたところがあるこの曲、ちょっと物足りない気もする。チョン・ミュンフンあたりがやると、オーケストラはボロボロになっても、凄まじいクライマックスになるのかも知れないなあ。

プログラム冒頭の交響詩「10月革命」も、ほぼ同様の印象。丹念にモチーフを重ねていく、オーソドックスと言ってもいいアプローチだ。

意外の最たるものは、どうせなら同じ作曲家の協奏曲で、オール・ショスタコーヴィチ・プロにしてくれたら良かったのにと思ったチャイコフスキー。営業にも配慮した苦肉のプログラムかと思いきや…

これが、大変にいい。

米元響子というソリストはまだ20歳らしいが、感心したのはソロの入りの驚くほどスムースなこと。余計な気負いがなく、すうーとオーケストラに溶け込んでくる。若いしテクニックも問題ないのは当たり前だが、この人は叙情派だ。音楽の息づかいがしっとりと美しい。パリで勉強中のようで、じっくりと育っていってほしい人だ。
 広上氏のサポートも出色、今夜の一番の聴きものは、間違いなくこのコンチェルト。協奏曲だとこんなにいいのに、声だと、歌だと、全然ダメというのも面白い人だ。

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