シェーファー/大阪フィル定期 ~ いま、ショスタコーヴィチの時代かな
2004/9/9

理不尽な暴力が世界に溢れている現在、ショスタコーヴィチの音楽がすうっと耳に浸み込んでくるのは不思議だ。つい先日も京都で広上淳一/京都市交響楽団による第6交響曲を聴いたばかりだが、こちら大阪フィルの定期では第10交響曲が採り上げられた。15曲の中ではメジャーな作品のはずなのに、定期演奏会では約30年ぶり2度目というのだから、珍しい演目と言えるだろう。

演奏の印象は京都のそれに近いものがある。インテンポできっちりと聴かせる。大仰な表現、過剰な思い入れを排し、各楽器群のアンサンブルを着実に積み上げる。それでいてオーケストラの機能性をフルに発揮させる。この2月の大植英次による第7交響曲は音楽監督就任以来の最大の成果だと思ったが、指揮者が代わっても、それは今回の第10交響曲にも受け継がれている。

ドイツ期待の若手というヘンリク・シェーファー、新日本フィルの音楽監督を彷彿とさせるルックス、長身痩躯。クラウディオ・アバドの助手として、ベルリンフィルの下稽古をしていたそうだ。ワレリー・ゲルギエフとジェナンドレア・ノセダとの関係みたいなものかな。

そういう目で見るせいか、きっちりとオーケストラを仕上げるという手腕はなかなかのもの。反面、やや面白みに欠けるということが言えるかも知れない。何の破綻もなく端正かつスムースに流れていく音楽は、ショスタコーヴィチらしくない気もする。こういう演奏、私は気に入っているが、もっと荒々しい演奏も可能だろう。

この日、仕事の関係で、パーティ会場からシンフォニーホールに回り、既にアルコールも入っていたため、楽章の途中では夢うつつになったりした。心地よいショスタコーヴィチ、それも珍しい経験。

そんなことで、シベリウスのヴァイオリン協奏曲第2楽章からの鑑賞、プログラム冒頭の交響詩「ポヒョラの娘」は聴いていない。1階席後方の立見で聴いた中国人ソリスト、ホァン・モンラのヴァイオリンは落ち着きのあるいい音がします。ロレンツォ・ストリオーニということだ。

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