ダニエラ・バルチェッローナ・リサイタル ~ 3か月遅れて
2004/9/21

公演のチラシ

手許のチケットの日付は6月7日、それから3か月あまり。短いようでいて、その間にはいろいろなことがあった。いったい何枚のチケットを処分したことか。近いところでは、松本のヴォツェック、帰りの麻績インター・京都駅間の夜行高速バスも押さえていたのに…。そして名古屋のリゴレット、近鉄特急の手配寸前だった。

捲土重来、ダニエラ・バルチェッローナのリサイタルを聴けることになったのも、父の葬儀も終わり、ほぼ一段落したからという皮肉。彼女の深い声は私にとっての癒しの音楽となる。

ヴィヴァルディ「グリセルダ」より「もはや私の心は傷ついて」
 ヘンデル「ジュリアス・シーザー」より「抜け目のない狩人は」
 グルック「オルフェオとエウリディーチェ」より「エウリディーチェを失って」
 ロッシーニ「湖の女」より「幸せに満ちた城塞よ」
   … (休憩) …
 ロッシーニ「ヴェネツィアの競艇」
 ロッシーニ「ジョヴァンナ・ダルコ」
   … (アンコール) …
 トマ「ミニョン」より「君知るや南の国」
 ロッシーニ「タンクレディ」より「胸の高鳴りに」
 ビゼー「カルメン」より「ハバネラ」

アンコールの二つのフランスものはともかく、いずれも、素晴らしい歌だった。まさに豊麗という言葉がぴったりなメゾソプラノの響き。

ただ、そのアンコールの「タンクレディ」を聴いてしまうと、プログラムに組まれた歌には、まだ、完璧、陶酔までの余地があるようにも思う。譜面台を立てて歌うプログラムと、「タンクレディ」のときには3m以上もあった楽譜との距離、それに象徴されているような…

「タンクレディ」の歌は完全に彼女の血肉となっている感じだ。びわ湖ホールでのオペラ上演で聴いたときも素晴らしかったけど、今回はそれ以上だ。なのに、どうしてカバレッタだけなのか、フランスものをカットしてでも、カヴァティーナ部分の Oh patria!から歌って欲しかった。

「エウリディーチェを失って」では、レチタティーヴォから始めて、アリア本体だけだと美しいけれど間延びしがちな曲が、オペラの中にポジショニングされることを改めて感じさせてくれたのに。「湖の女」でも、前後半の見事な対比、しっとりとしたメロディラインと軽やかなパッセージを両立させる類い希な声を聴かせてくれたのに。

リサイタルだからプログラム本編は意欲的な内容を盛り込んで、アンコールでリラックスということはよくあることだが、ちょっと残念。譜面台は余計だなあ。まあ、それも、200安打ぐらい当たり前になってしまったイチローみたいなもので、こちらの期待水準が高くなりすぎているせいだけど。

とか何とか憎まれ口を叩いても、とっても満足できたリサイタルであったことは間違いなし。まあ、メロメロになってしまうところまで至らなかったのはこちらの精神状態のせいかも。

東京(9/16、オペラシティで同プログラム)でもお聴きになった方によれば、コンディションは大阪のほうが上だったようだ。ただ客席のノリは今ひとつとか。

ザ・シンフォニーホールは半分程度の入り、ちょっと淋しいものがある。これだったら、いずみホールで満席で開催したほうがいいのに。座席移動摘発のため(?)ドアごとに配置されたホール係員の姿が目立つのも今ひとつだった。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system