アナスタシア/インバル/チャイコフスキー ~ 嗚呼!ストラディヴァリウス
2004/10/15

数日前、会社のエレベーターで、いずみホールの営業部長とバッタリ。
「15日のコンサート行こうかなと思っているんですけど、まだチケットは残ってます?でも、ちょっと高いですね」

「ロマンティック・チャイコフスキー」と銘打った5回シリーズのコンサートの第2回、京阪の5つのプロオーケストラによるチャイコフスキー交響曲全集という秋の企画、西本智実指揮の第4回は早々に完売したらしい。

今回の第2回だけが均一6000円で、他の回より1000円高い。ちょっと二の足を踏む値段だが、今回聴き逃したらいつ聴けるかという第3交響曲がプログラミングされているので、ふらっと立ち寄った。カップリングされているのは、ヴァイオリン協奏曲。

「誰か余り券をくれないかなあ」なんて、不埒な考えでいたが、チケットボックスの中にいた営業部長と目があってしまっては、ここは観念、当日券を買うしかない。

お目当ては「ポーランド」交響曲だったのだが、前半のヴァイオリン協奏曲はなかなかの聴きものだった。
 アナスタシア・チェボタリョーワ、いまどきのヴァイオリニストは美人揃いだなあ。そして、音も綺麗だ。でも、何だか少し音程が甘いんじゃないかという感じもあった出だしだった。
 ところが、「ポン!」という音とともに、第1楽章の途中、ソリストの弦が切れた。コンサートマスターの楽器を借りることになったが、音楽は中断を余儀なくされた。リスタートの箇所を指揮者と打ち合わせて、再開。ストラディヴァリウスは、第2ヴァイオリンの2列目の奏者が持って舞台袖に下がり、弦の張り替え。

ストップしたのはカデンツァの前だったので、アナスタシアは最大の聴かせどころを慣れない楽器で演奏する羽目になった。プロだから難なく弾くのは当然といえば当然、でもアクシデントのせいか舞台と客席に何とも言えぬ緊張感が漂う。800人のいずみホールだから、なおさら。これが、災い転じてということか。一気に引き締まった音楽になった。

第2楽章からはストラディヴァリウスが復活、一人の奏者が一曲の演奏中に楽器を使い分けるのを見たのは初めてで、楽器の違いを如実に感じた。数年前の大阪フィルの定期演奏会で、諏訪内晶子がショスタコーヴィチのコンチェルトで弦を切ったのに遭遇したことがあるが、あのときは開始早々だったので楽器を取り替えることなく、張り替えて最初からだった。

コンサートマスターの楽器も悪いものではない。よく鳴るヴァイオリンで、音量ではストラディヴァリウスを凌ぐほどだ。でも、決定的に違うのは、ストラディヴァリウスは低音から高音まで均質の美音が出るということ。これは歌い手の資質を測るのと似ている。天賦のものの大きさには抗えないということか。300年前の楽器が未だに使われ続けるというのは、そういうことなのだろう。

前半がそんな状態だったので、ポーランド交響曲はちょっと霞んでしまった感がある。
 指揮者のダニエル・インバルは、あの高名な指揮者(ユリアフ・インバル)の息子。確かに風貌は親父を彷彿とさせるところがある。まだ三十そこそこだ。指揮棒なしで、大きな身振りで明確な指示を送っている。コンチェルトでは譜面台を置いていたが、シンフォニーは暗譜、そんなに演奏機会のない曲のはずなのに、頭に入っているようだ。

6曲の番号つき交響曲の中では、もっともマイナーな曲、私は昔から1~3番は4~6番と同じくらい好きだったので、よくレコードで聴いていたが、実演は初めて。全5楽章の前半は今ひとつ乗り切れないところも見受けたが、第4楽章・第5楽章の出来はいい。フィナーレのロンド楽章の元気の良さは特筆もの。この楽章に限らず、大阪フィルの反応の良さが印象に残った。

大作曲家のレアもの交響曲、こういうのはそのときに聴いておかないと次はない。その伝で、一夜明ければ大津に大作曲家のレアものオペラに。

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