コンテンポラリー・ウオーキング(?) ~ "いにしえ"からベリオ
2004/10/24

「古都に流れる現代の響き」ルチアーノ・ベリオ作曲「セクエンツァ全曲演奏」というキャッチコピー、京都のお寺をハシゴする演奏会、しかも無料。
 これは行かねば、まだ紅葉には早いが、10月も下旬となれば暑いということもなかろうと、観光気分で出かけた。

文化庁舞台芸術国際フェスティバルの一環のイベントで、チラシには"無料"だけど申込先の記述があったので、整理券でもあるのかと電話してみる。そうすると、申込みは数珠送りの人数のあたりをつけるためだそうで、要は勝手に行けばいいとのこと。主催者は果たして現代音楽を聴きにきてくれる人がどれほどいるのかと心配げだ。

「この文化庁のイベントはどれも閑古鳥が鳴いていますが、これだけは無料だし、観光ついでの人も来るから、きっと満席になりますよ」
 「そうですか、だといいんですが…」
 結果、主催者の危惧にもかかわらず、私の読みが正解。大盛況!

●10:00 大本山百万遍 知恩寺御影堂
  ~人と地と~ 弦楽器に筝と鼓を加えて
  箏 池上眞吾
  セクエンツァ II (ハープ,1963) 吉野直子
  セクエンツァ VI (ヴィオラ,1967) 川本嘉子
  セクエンツァ VII (ヴァイオリン,1976) 安田明子
  セクエンツァ XI (ギター,1987-88) 尾尻雅弘
  セクエンツァ XIV (チェロ,2002) 安田謙一郎
  鼓 山本哲也

丹波橋で近鉄から"おけいはん"(大阪では最近「京阪電車」のことをこう言う)に乗換、出町柳で叡電に乗り継ぐ中高年ハイカーと分かれ、地上に。百万遍の交叉点ではコンサートのチラシを配るおねえさん。
「あっ、これ行くんですけど、どっちに行けばいいのかな」

来たことなかったけど、知恩寺はすぐそばだった。そういえば今回のお寺、どこにも行ったことがない。奈良の生まれ、大阪の育ちなのに…

箏曲で始まるのも何か変だが、弦(絃)楽器を集めたプログラムですから、これでもよいのだろう。
 吉野さんのハープの演奏でセクエンツァのスタート、弾くだけではなく、叩く、擦る、何でもありの曲だ。へえーっ、こういうものか、呆気にとられるという感じ。それに比べるとヴィオラ、ヴァイオリンなどは、それほど奇天烈でもない。御影堂の座敷の四列目中央に座っていたので、奏者は近いが譜面台で手許が見えにくい。きっと凄いテクニックなんだとは思うのだが…

ギターのことはよく判らないが、尾尻さんの技も大変なものだと思われる。先輩のプロギタリストに今度尋ねてみよう。
 何と言っても安田さんのチェロが圧巻、まあ、ちょっと楽器が可哀想な感じもする。弓で弾くのは半分ぐらい、あとは手で叩きまくるという状態、チェロの可能性の極限まで追求したと言えなくもない。

何だか、とんでもないコンサートに来たみたいだ。さあ、次、行くぞお。

●12:00 浄土宗総本山 知恩院三門
  ~天と人と~ 金管楽器そのほかに謡と笙を加えて
  謡 山本章弘
  セクエンツァ V (トロンボーン,1967) 村田厚生
  セクエンツァ VIIb (ソプラノ・サクソフォン,1993) 國末貞仁
  セクエンツァ IV (ピアノ,1966) 藤原亜美
  セクエンツァ X (Cトランペットとピアノの共鳴,1984) 福田善亮
  セクエンツァ IXb (アルト・サキソフォン,1980) 貝沼拓実
  セクエンツァ III (女声,1996) 天羽明恵
  セクエンツァ VIII (アコーディオン,1995) ヤンネ・ラットゥフ
  笙 東野珠実

知恩寺と知恩院、よく似た名前で本家と分家のようだが、お隣ではない。12:00開演前に知恩院に到着するには、最後の鼓も数珠送りもパスしたところで、徒歩でもバスでも到底無理。したがってタクシー980円を奮発、東大路を南下。

「ちおーいんさんまで、お供さしてもらいます。10分ぐらいで行けると思います。コンサートでしたら、規制しているかも知れませんな。一方通行を三門の近くまで、入るようにします」

「ん」がほとんど入らないのが地の言葉、京都のタクシー。しかし、「お供」には恐れ入る。タクシー界の革命児MKではなかったけど、規制緩和に伴う競争はサービスの質を高めること間違いない。

「ラスト・サムライ」という映画は観ていないが、そのロケで使われたのが、今回の三門前の石段らしい。一段あたりの高さが半端じゃない。ギリシャの円形劇場の客席もかくやと思わせる。早い話が、甲子園球場のアルプススタンド。閉じられた門扉の内側にピアノが据えられている。開演前に、石段に座ってサンドイッチを頬張る。リュックの中から座布団がわりの厚手のタオル。あとで気づいたら、「飲食禁止」の立札、まあ固いこと言わずに。この移動時間じゃ、お昼を食べる時間もない。

謡で始まるパート2。セクエンツァを邦楽でサンドイッチする構成だ。

トロンボーンの村田さんのベストが派手でユニーク。そして音楽もユーモラス。まさに人間の声に近い音が出るんだ、この楽器。
 興味津々だったのは天羽さん。いったいどんな歌なんだろと思っていたら、これもとんでもない曲だった。ステージ袖から登場してきた天羽さん、何やらスキャット風に歌いながら歩いて来るではないか。拍手が出るのを「もう始まってるの」とばかり手で制するところは、すみだトリフォニーでのツェルビネッタを思い出した。歌の破天荒さでは、日生劇場での「ルル」以上か。歌詞というものが、あるようで、ない。音と言うのか何と言うのか、楽譜にはどんな風に書いているんだろう。

●14:45 本山獅子谷 法然院本堂
  ~地と空(くう)と~ 木管楽器に龍笛と篳篥を加えて
  龍笛 笹本武志
  セクエンツァ I (フルート, 1958) 佐久間由美子
  セクエンツァ IXa (クラリネット, 1995) ジュン・チェン(銭俊)
  セクエンツァ IXc (バス・クラリネット, 1998) 大橋裕子
  セクエンツァ XII (ファゴット, 1995) パスカル・ガロワ
  セクエンツァ VIIa (オーボエ, 1969) 加瀬孝宏
  篳篥(ひちりき) 中村仁美

パート3まで少しインターバルがあると思い、歩き出したのはいいが、南禅寺まで来たら、この先、哲学の道を辿っていたのでは遅刻は確実と判明、仕方ない、またしてもタクシー、野村美術館の前から乗車。
 「あっ、ひとつ手前で曲がってしまいましたわ。すみません」と言った途端に、メーターを「支払」に倒した運転手さん、初乗り630円。なかなか京都のタクシーは好感がもてる。

クラリネットの銭俊さんは、見事な弱音に舌を巻いた。こんなにきれいなピアニシモがこの楽器で出せるんだ。畏るべき名手だ。そして、彼のネクタイが不思議、黄色の地に黒の模様かと思えば、よくみると漢字、漢詩か経文か、まさかお寺にあわせたファッションでもないと思うが…
 同じ作品のバリエーションを演奏したバス・クラリネットの大橋裕子さんも、美しい音色を出す人だ。若い。「きれいな方ね!」と思わず隣のおばさまが漏らしていたが、確かに。

パスカル・ガロワさんはセクエンツァ初演者の一人なんだ。配布された立派なプログラムで知る。だからか、アコーディオンのヤンネ・ラットゥフさん同様に暗譜(この二人だけ)。(即物的にも)息の長い響きと急速なパッセージの交錯、普段オーケストラで聴く(埋没してしまう?)ファゴットの生の音はかくやという感じ。

加瀬さんは大阪フィルのトップ奏者なので、私は定期演奏会でお馴染みだ。この人のオーボエを初めて聴いたとき、しばらく聴かないうちにいい奏者が入っているんだと感心したものだ。今回の演奏では、オーケストラの中ではあまり聴けないオーボエの強烈な音もふんだんに出てくるし、楽器の、奏者の別の側面を見せられたような気がする。

夕方になり、セクエンツァ最後の曲となった加瀬さんのソロの半ばで、ゴーンと一発、腕時計を見れば午後四時、お寺の晩鐘が始まった。巧まずして、「古都に流れる現代の響き」のタイトルどおりになる。まさか、パスカル・ガロワさんのソロの後、満員の場内整理のためのポーズを取ったのは、東西の音を重ね合わせる意図があったからか…

しかしながら、演奏後半に始まった鐘の音は、オーボエが止んだ後にも続き、もし作曲者が聴いたなら何らかのインスピレーションに繋がったのではないかとの感慨を抱いた。

やれやれ、長いシリーズたった。爽やかな秋晴れの一日、当初の予定では東山ウォーキングのつもりが、機動力を使うことに。やっと最後に哲学の道の端くれを歩いて銀閣寺前まで。そこではお祭りの様子、御輿が出ていた。
 一足早く土曜日に全曲制覇した友だちから、各所での演奏時間、移動所要時間、野外の冷え込み方、昼食のアドバイスなどをもらっていたので、つつがなく全17曲マラソンを完走。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草52段)」、そう言えば、吉田兼好の草庵もこの辺りだったはず。

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