スマトラ島沖大地震チャリティコンサート ~ 言葉にできない!
2005/2/24

公演のチラシ

音楽監督大植英次がヒラリー・ハーン帯同で急遽帰国し、ザ・シンフォニーホールで開催されたチャリティコンサート。予告されたのが1月下旬だったから、彼らとジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の欧州ツアーの間に話がまとまったのだろうと思う。人気アーティストのスケジュールがよく押さえられたものだ。しかも、彼女は、たった1回のコンサート(たぶんノーギャラ)のために、大阪まで来てくれた(もともと5月に来日予定あり)。

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
 バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番よりラルゴ
 ストラヴィンスキー:ロシアの歌(ピアノ伴奏)
 バッハ:シチリアーナ(ピアノ伴奏)
 チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品47「悲愴」
 エルガー:エニグマ変奏曲より

前半だけで充分なコンサートだ。それほど素晴らしい前半の出来だった。大植監督就任以来、定期演奏会はじめ大阪フィルの相当数のコンサートを聴いていますが、プログラム前半だけをとれば、そのどれをも凌駕する。

二人のコンサートマスターが並ぶことからして異例のものですが、津波の犠牲者慰霊のチャリティということもあろうし、何より、プログラム冒頭があの曲だから、半年先に迫ったバイロイトへの壮行という感すらあった。このオーケストラからかくも見事な弱音が出るのを聴くのは、昔を知るものにとっては驚くべきことだ。明るい舞台に乗ったオーケストラという視覚的なものもあるだろう、音のうねりの中には毒を感じない、やや健康的にすぎる響きかも知れない。まあ、それも好みの問題、彼の地でも自分自身の音楽を奏でてきてほしいと思う。
 大阪で伝説のバイロイト音楽祭の公演があったのは何年前になるだろう。今年、大阪の音楽監督がバイロイトのピットに入る。

ヒラリー・ハーン、ちょっと言葉にできない。何という音!
 まったく初めて聴いたプロコフィエフだったが、これまでに聴いた最も美しいコンチェルトの演奏!!

ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの音は、他では聴いたことのないようなものだ。楽器そのものなのか、演奏自体によるものなのか。冷たく澄んだような音でありながら、しっとりと暖かい音でもある。小気味のいいリズムを刻むようでいて、たっぷりと音を保持した響きでもある。相矛盾するような要素が渾然一体となって、美しいとしか形容できなくなってしまう。こんな演奏を聴くと、世界は美しい、人生は美しいと思えてくるから不思議。

きっとつまらない曲ではと、プロコフィエフに持っていた先入観も吹き飛ぶ。彼女が最初の一音を奏でた瞬間から釘付けになってしまいました。いつもなら、プログラム二曲目のコンチェルトは半分ぐらい意識不明のことが多いのに…

大きな編成のオーケストラなのに、トゥッティの瞬間はほとんどない曲だ。知らなかった。コンチェルトというよりも、楽器同士の対話、ヴァイオリンの相手方が次々と入れ替わる。ここでの大阪フィルは見事。トリスタンでのデリカシーがそのまま持続されている。競い合うコンチェルトではなく、共に奏でるコンチェルト。とってもいい感じ。

アンコールも大サービス。2曲目からは音楽監督がピアノの前に座り、都合3曲。なんで舞台の隅にピアノがあるんだろう、コンチェルトにピアノパートでもあるのかしらと思っていた私。

彼女、コンチェルトに先立って日本語で挨拶、アンコール曲目の紹介も日本語。ちょっとはにかんだようなところは、25歳。休憩時間のホワイエ、サインを求める長蛇の列が上階まで続いていた。

おそらく、前半のプログラムにリハーサルのほとんどの時間を費やしたのではないだろうか。「悲愴」はオーケストラにしてみれば、何百回も演奏している曲だし、定期演奏会のような準備も今回のコンサートではできなかったのだと思う。それが、やはり演奏にも現れていたと感じる。

悪い訳ではなかったけれど、ごく普通の「悲愴」だ。アンサンブルの乱れもところどころに。第一楽章提示部や第四楽章全体、どうも今ひとつの感が残る。終楽章はとてもあっけなく終わってしまった感じ。音楽監督のドライブが伝わるところと、そうでないところがまだら模様。その点では、まさかあるとは思わなかった最後のアンコールのエルガーのほうが、もやもや感もなくスッキリ。

チャリティコンサート、趣旨はもちろんだが、ファンにとっても素敵な贈り物となった夜だった。

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