井上道義/大阪フィル/京都特別演奏会 ~ 閑古鳥にもめげず
2005/2/26

これほど空いた客席を眺めたことは、ちょっと記憶にない。ネット裏P席だけが満員で、内外野は4割も入っていただろうか。
「15年前、京都会館でコンサートを振り始めたころを思い出すような客席です…」とは、アンコール前の井上さんの弁。彼が京都市交響楽団のシェフを務めていた頃、私は聴いたことはないのだが…

雪が舞う空模様ということもあるだろう。京都コンサートホールは京都の北のはずれ、そこで土曜日18:00開演ということもあるだろう。二日前、大阪フィルはビッグイベントを開催したばかり、大阪のファンは満腹状態ということもあるだろう。首都圏で言えば、都心から川崎・横浜どころか、横須賀あたりの距離感だから。
 でも、やはりプログラムの問題なのかも。

  井上道義:メモリーコンクリート
   ショスタコーヴィチ:「ステージ・オーケストラのための組曲」より
   ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

前半、ほとんどの人は聴いたことのない曲だろう(もちろん私も)。ショスタコーヴィチが好きな人なら、「ステージ・オーケストラのための組曲」を聴いてみたいと思うのだろうが、後半の交響曲第5番は逆に食傷気味だ。大阪フィルも指揮者を代えて最近何度も演奏しているはず。かつてこのコンビでも採り上げた交響曲第4番あたりのほうが、と思う。

そんなことで、演奏者にとっては気の毒な状況だったが、コンサート自体は充実、特に前半のプログラムは楽しめた。

自作自演はけっこう長い曲で、30分近く。自伝的な内容を、私小説風に心象風景を綴ったものということだ。目覚まし時計か電話の音、ビアジョッキの乾杯の音など、効果音が採り入れられたり、いろいろな音楽からの引用も多い。「すみれの花咲く頃」だったり「柳の歌」だったり…

何より、井上さんの指揮ぶり、表情は百面相。指揮台での酩酊状態、コンサートマスターとのけんか腰のやりとり、指揮台を降りてジャズのステップを踏むなどなど、そんなアクションも楽譜に書き込んでいるのだろうか。性急なマーチ、潜ませたアイロニー、そして多くの引用、ショスタコーヴィチとセットにして、違和感はない。

「ステージ・オーケストラのための組曲」は、これまで「ジャズ組曲第2番」と誤って呼ばれていたとか。たまたま、先週図書館で借りたCDの余白に「ジャズ組曲第2番」の「第2ワルツ」が収録されていたが、これがそれかな。まだ聴いていないので確かめなくては(ヤンソンス指揮フィラデルフィア管弦楽団の交響曲第11番)。

「行進曲」「叙情的ワルツ」「小さなポルカ」「第2ワルツ」「第1ダンス」という5曲だったが、どれも親しみやすい曲だ。アコーディオンやサクソフォーンなどが大活躍。曲想はどことなく野暮ったくて、しかし洒落ている。いかにもショスタコーヴィチ。そういう表現ができる大阪フィル、これは快演。

交響曲第5番は第3楽章が印象に残った。この楽章、弦楽器を細分しているのは知っていたが、後ろのほうのプルトから弦の分奏をスタートさせているんだ。これは見ていて初めて判ること。とても精妙な合奏だった。最近の大阪フィルの進境を感じるところだ。

あっ、そうだ、客席が淋しかったのは、いつもは目立つ学生の姿が少ないからかも知れない。彼ら、もう休みに入っているのかも。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system