現田茂夫/大阪フィル定期のロシア・プロ ~ ちょっとあっさり過ぎて
2005/6/9
最近の大阪フィルの定期演奏会にしては珍しく、やや空席の目立つシンフォニーホールだった。
リャードフ:交響詩「キキモラ」作品63
プロコフィエフ:交響的協奏曲ホ短調作品125
(チェロ協奏曲第2番)
カザルス:鳥の歌(アンコール)
ダヴィド・ゲリンガス(チェロ)
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
最近の大阪フィルの好調を感じさせる上手い演奏だけど、どことなく盛り上がりに欠けるコンサートだった。何故か考えてみると、アンコールは別として、前半の曲はあまり馴染みがないということだし、リムスキー=コルサコフは有名曲ではあるにしても、演奏自体があっさり目で、淡々と推移したいう印象。
ひょっとして、「キキモラ」がいちばん面白かったかも。短い曲で前半と後半の対比が鮮やかで楽しる。そこへ来るとプロコフィエフは長い。プログラムには40分とあったが、もっと長く感じた。
美しくメロディを歌うかと思えば次の瞬間にはガチャガチャガチャと無機的な音が続くいかにもプロコフィエフらしい作品。最初はチェロ協奏曲であったものが、いろいろと音を加えて交響曲もどきにしたのだろうか。1週間前に聴いたモーツァルトの協奏交響曲K364が、小振りな編成ながら堂々たる佇まいであったのと対照的。大きな編成と曲の長さがあるのに、パッチワークのようで聴いていて落ち着かない。
猛烈に難しそうな独奏チェロだが、楽器本来の響きが活かされていないことに、フラストレーションを感じる。まあ、作曲者がそういう意図をもって書いたのだったら、こんなことを言っても始まらないが。それとも、初演者(ロストロポーヴィチ)の場合だと違っていたのだろうか。少し前に聴いた同じ作曲家のヴァイオリン協奏曲第1番は見事な曲だと思ったのに、作品番号からするとだいぶ後のこの交響的協奏曲には、インスピレーションの不足を感じる。
アンコールの「鳥の歌」では、ダヴィド・ゲリンガス氏のチェロはそれこそ美しい響きを聴かせていたので、やはりチェリストや楽器の問題じゃなく、プロコフィエフはそんな部分を拒否していたんだろうか。
「シェエラザード」はもっと面白く演奏できると思うのに、素っ気ない感じさえした。管楽器群の破綻もなく、コンサートマスター長原幸太氏の骨太のソロの冴えはいつもながら。大植英次監督が同じ曲を採り上げたときは聴き損ねたが、そのときはどうだったんだろうか。血湧き肉躍るというところまで行く必要もないが、現田茂夫氏の演奏は、協奏曲のバックのようにも聞こえる。安全第一ということだろうか。