サンカルロ歌劇場来日公演「ルイーザ・ミラー」 ~ やっぱり、"熱"が不可欠
2005/6/11

オペラ通いを続けていると、不思議と当たりの多い演目と、そうでないのとがある。上演頻度とはあまり関係がない。その伝で行くと、この「ルイーザ・ミラー」は間違いなく後者。
 実演に接するのは四度目になるが、過去の三度は今ひとつだった。二度観たMETでは当初予定のプラシド・ドミンゴがキャンセル、代わったエルマンノ・マウロのヴェルディとは思えない大雑把な歌にがっくり、名古屋での市原多朗・林康子の上演も期待はずれに終わった記憶がある。

さて、私にとって裏切られた経験のないジュゼッペ・サッバティーニがクレジットされた今回の公演は、発売日10:00フラットにロッピー端末のボタンをタッチ、めでたく入手した最安席お宝チケットだ。

やはり、この人、しかも絶好調。ところが開演前に暗雲、場内アナウンスというのはロクなことはないのが常だが、案の定、「本日のロドルフォ役のジュゼッペ・サッバティーニは、二日前に足を故障し…」、場内からざわめきとも悲鳴ともつかない声が、「…が、本人の強い希望により出演…」、わあーっと大拍手。

なんだか、これが今日の公演の起爆剤でもあったような。どの程度の怪我か説明はなかったが、演技が云々のお詫びがあったものの、そんなことを感じる場面は見当たらなかった。足はともかくとして声帯は万全、過去の来日のときに声に疲れの陰を感じたこともあったが、今日は皆無。まさに全盛時の声だ。
 サッバティーニとフリットリの二枚看板で、「ルイーザ・ミラー」では初の当たりとなる。

ルイーザ・ミラー:バルバラ・フリットリ
 ロドルフォ:ジュゼッペ・サッバティーニ
 ミラー:ステファノ・アントヌッチ
 ヴァルテル伯爵:ジョルジョ・スリアン
 ヴルム:ナターレ・デ・カローリス
 フェデリーカ:キアーラ・キアッリ
 ラウラ:アンナ・マラヴァージ
 農夫:アンジェロ・カゼルターノ
 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:ガブリエーレ・ラヴィーア

このキャスト、不安要素は先月のフェニーチェ歌劇場のときの暴走指揮者、マウリツィオ・ベニーニがまたもピットにはいることと、新国立劇場では私は全くいい印象がないナターレ・デ・カローリスがヴルムを歌うこと。

やっぱり、ベニーニは序曲から暴走指揮者の面目躍如、落っこちてしまった奏者も何人かいたと思われる快走ぶりだ。そして、緩めるところは極端で、音楽が安っぽくなりがち。でも、このオーケストラは細かなことなどあまり気にせず、ガンガンいってみよー、というノリの良さだ。ジローラモ的雰囲気、ナポリっ子ってみんなこんな感じなんだろうか。ということで、細部はどうあれ、けっこう序曲だけで盛り上がってしまうから不思議。ま、いいか。さあ、オペラ本編のはじまりはじまり。

開幕の女声合唱はハーモニーはいささか濁り気味、委細かまわずというのが、どうもこのオペラハウスのキーワードなのかも知れないなあ。

ベニーニという人、速いところはもっと速く、遅いところはもっと遅くと極端に振れる傾向がある。テンポも揺らす。まともに付き合っていたんじゃ、歌ってられないところだが、フリットリ、サッバティーニ、スリアンに関しては、さすがに自分のペースを崩さない。彼らが歌う場面ではピットもわるさができないので音楽が締まる。気の毒なのは、父親ミラー役のステファノ・アントヌッチ、指揮者とオーケストラに煽られて、完全に自分のペースを見失っている。普通に力を抜いて歌えば、悪い声でもないのでそれなりの歌になるはずなのに、第1幕のアリアで足を引っぱられて、それが最後まで尾を引いた。もともとの地力がないのかも。真性カンタービレを聴かせてくれるイタリアのヴェルディ・バリトンは人材難なのかなあ。

ロドルフォの父親、ヴァルテル伯爵を歌ったのはジョルジョ・スリアン。チラシは二人のスターがデカデカと載っていたので小さな文字で書かれたこの人の名前を見落としていた。なあんだ、1か月前のアッティラではないか。ちょっと、今回の役にしては立派すぎる声かも知れない。
 比較的高いテッシトゥーラの役柄だが、歌に重量感もある。第1幕で息子ロドルフォを案じて歌うアリアなんて、なんだか国家や神について論じているような響きだ。この人のフィリッポ二世はいいかも知れない。

第2幕の幕切れ、ルイーザの裏切りに逆上したロドルフォと対峙する場面は、「ドン・カルロ」の「異端者火刑の場」のはしりのよう。ヴァルテル伯爵とヴルムの二人のバスのデュエットは、フィリッポ二世と宗教裁判長の絡みを連想させる。あの秀逸なデュエットと比べると、音楽的に足下にも及ばないが、「ルイーザ・ミラー」には後の作品の萌芽が随所に見られるのが面白いところだ。
 「トラヴィアータ」の手紙のシーンのバックの音楽は、ここで既に使われているし、第3幕のミラー父娘のデュエットを敷衍すればジョルジョ・ジェルモンとヴィオレッタの長大なデュエットになりそう。

もうひとつの不安要素であったヴルム役のナターレ・デ・カローリス、新国立劇場の天井桟敷では声の貧弱さを感じたが、びわ湖ホールでは特に問題はない。もともと、声量のある人ではないようだが、この悪役には風貌も相まってけっこうはまっている。

やはり、特筆すべきは、ソプラノ、テノールの二枚看板。聴いてみたら評判ほどではという歌手が世に多いなか、バルバラ・フリットリは掛け値なしというところ。均質でムラのない音色、完璧にコントロールされたフレージング、表現のきめ細かさ、完成されている。こりゃ、すごいや。

題名役なのに、いわゆる聴かせどころのアリアがない役柄なのに、この人が歌うと全編が聴きどころになる。デュエットやアンサンブルでも決して自分の歌を見失わないのが素晴らしいところ。第3幕は前半がバリトン(父親ミラー)、後半がテノール(ロドルフォ)とのデュエットだが、拙い歌には引きずられず音楽的水準を維持し、旨い歌には両々相まって相乗効果を上げるというのだから、尋常のレベルの歌手ではない。

サッバティーニは繰り返しになるが、開幕前の心配はよそに、声の調子は上々だった。この人のピアニシモの美しさは定評があるところだが、やや押さえつけられたような響きが混じり、通常の部分との音色の差異が見られて、好みが分かれるところでもある。でも今日は私は気にならなかった。それよりも、これほどのアクートの輝かしさと強さが保たれているとは驚き。第2幕の有名なアリアが、その前後を含め音楽的に演奏されることは意外に少ないが、今日はその稀なケースと言って過言でない。

オペラ公演では、全てがパーフェクトなことなど無いに等しいわけで、ここはよかったけど、あそこはひどい、なんて言いながらいつも観ているのだが、単純にプラス・マイナスの合計で満足度が決まるわけでもない。どこか突出してよければ、多少のことには目をつぶることができるものだ。

それで言えば、今日は、フリットリ、サッバティーニ、スリアン。さらにハラハラしながら、ちょっとどうかなと思わせながらも、幕を追うごとに不思議に盛り上がっていくベニーニとオーケストラ。そう、イタリアのオペラで不可欠な"熱"があった公演だ。客席もフェニーチェのときの何倍もと思える拍手と歓声となる。

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